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「戦後民主主義」の象徴ともいえる大江健三郎と岩波書店の表現の自由を守るため、そして彼らを勝訴に導くため、
小田裁判長は、梅澤、赤松両隊長の名誉も人権も踏みにじってまで「新判断」示した。
最高裁の判例を無視し、アメリカの判例に従ったようなその「新判断」を記述した判決文の、「公務員」について触れた部分を抜粋するとこうなる。
≪特に、公務員に関する事実についてはその必要性が大きい。そうだとすると、仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も、言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものといえる。 したがって、新しい資料の出現によりある記述の真実性が揺らいだからといって、直ちにそれだけで、当該記述を含む継続が違法になると解するのは妥当でない。(判決文抜粋)≫
出版物で罵詈雑言で名誉を毀損され人権を踏みにじられ、後に新資料によりその罵詈雑言が誤りであると判明しても、被害者は人権蹂躙にも名誉毀損にも寛容であれ?
個人の寛容という犠牲の下に、自由な言論の発展のために出版の継続を認める?
小田裁判長よ、貴方は言論出版社の廻し者か!
貴方に人間の名誉と人権を踏みにじる権利があるのか!
仮に梅澤、赤松両隊長が、63年前に軍人であったことを理由に「公務員」の範疇に入れたとしても、次の理由で彼らの人権を制限することには無理がある。
①両隊長は軍人といっても大本営から遠く離れた沖縄派遣の第32軍の所属であり、しかも沖縄の参謀本部から更に離れた慶良間島の特攻隊長に過ぎない。 少なくとも「A級戦犯」に問われたような日本軍の軍事作戦の中枢部にいた軍人ではなく、日本の戦争指導には関係のない現地の一隊長に過ぎない。
②「集団自決」訴訟では「隊長命令の有無」から、タテの構造による「日本軍の命令」にすりかえられ、「軍命」の責任の所在はいつのまにか一軍人から日本軍そのものに変わってしまった。
③ならば、一離島の現地戦隊長に「高度な公共の利害」とか、「公益を図る」とか本来日本軍の幹部が負うべき重責を求めることは矛盾ではないのか。
④小田判決の「新解釈」がいう「自由な言論の保障」を求めるのなら、軍人が公務員だといっても、少なくとも大本営に属した戦争指導者たちではあっても、両隊長のような現地の一戦隊長ではないはずだ。
⑤A級戦犯に指名されるような日本軍の幹部ならともかく、両隊長のような下級の一軍人に「言論の自由」を保障するため、「公務員だったから」という理由で、名誉も人権も我慢せよとは、小田裁判長の越権行為である。
裁判官は世論を気にするという。
世論は新聞によって操作され、新聞は記者の驕りによって作られる。
記者の驕りが作った「見出し」が判決に多大な影響を与えるとしたら、判決は見出しが作る。
恐ろしいことだ。
判決は「見出し」が作る 「全知全能」と驕る記者と判事が日本を劣化させる
以下は上記エントリーの抜粋です。
■新聞が「歴史」の判決を下す■
新聞の見出しが歴史を作ったという、もっとも典型的な例は「南京百人斬り競争」であろう。
そもそも判事は法律の専門家ではあっても歴史の専門家とは限らない、いや専門家では無いと断定してもよい。
その判事が専門家の検証はともかく新聞記事が出たということだけを証拠にしたという。
こうなると新聞の恣意的記事、(この場合は読者に媚びて面白おかしく講談のように書いたのだが)が裁判の判決さえ作ることになる。
下記引用文の「この記事」とは「100人斬り競争」を講談のように報じた毎日新聞の記事のこと。
この記事を「事実」と判断するにあたって、内心の躊躇を感じなかった判事はおるまいー彼らは「虚報」とは別の事実を体験していた。 だがこの体験を基にすれば、この記事が「非戦闘員虐殺」「虐殺者の英雄化」「日本人虐殺民族」という「論理」をたどらざるを得ない。 だが、そうならざるを得ない点が探求の出発点で筈であって、痴呆のようにこの「論理」のコンベアにのせられていくなら、それは裁判官の任務を放棄したと言えるであろう。(『私の中の日本軍』下 山本七平)
南京落城時、便衣隊、即ちシナ人の市民服を着た兵隊が市民生活の中に溶け込んでいた。 勿論便衣隊を殺しても戦時法違反ではない。
その時期、実際に百人斬りを見た人はいない。
■全知全能と錯覚する記者■
歴史の専門家が専門誌に研究の成果を論文として掲載するより、
新聞記者が歴史の一部分を誇大に捉え、場合によっては捏造してセンセイショナルなキャンペーン記事を書いたほうが歴史は動く。
人間はポジションによって、自分の能力を超えて、その道に関しては、専門家以上に専門家であると思い込んでしまうことがある。
新聞記者が「○○を取材した」となると、その瞬間○○の専門家に化身する。
山本七平は、戦前の陸大出の軍官僚は現在の東大に負けずとも劣らないエリート意識に満ちた集団だったとこき下ろした後、現在の新聞記者について次のような文を書いている。
こういうタイプの人(陸大出の軍官僚ー引用者注)は、戦後はあまりお目にかからないが、暴力という点を別にすれば、新聞記者の中にはいるようである。 いわば自分は何もかも知り、かつ何もかも理解しているという前提に立つので、自分の知らないことや理解できないことを、すべて、嘘か間違いか、ありえないことにしてしまうタイプである。 従って自分に理解できないことがあると、それを理解するために質問しようとはせず、反射的に「おかしいですね」「そんなことはないでしょう」と言い、あげくの果ては滔々(とうとう)一方的にまくし立てと、「つまるところ、こういうことですネ」と勝手に決めて帰ってしまい、こちらを唖然とさせるタイプである。(『私の中の日本軍』上 昭和50年)
>いわば自分は何もかも知り、かつ何もかも理解しているという前提に立つので、自分の知らないことや理解できないことを、すべて、嘘か間違いか、ありえないことにしてしまうタイプである。
勿論山本氏は彼が接した新聞記者一般のことを言っているのだろうが、
最近の沖縄の「集団自決」に関する記事を見る限り、沖縄紙の記者を特定して述べているのではないかと思うほど見事に当てはまる。(山本七平氏が沖縄タイムスの愛読者だったかどうかは寡聞にして知らないが、それにしても当てはまり過ぎる!)
そう、『鉄の暴風』を書いた大田記者は、現地取材などしなくとも全知全能の記者たる自分達が歴史を作っていくとでも考え、自分の知らないことは「嘘か間違いか、ありえないこと」にした。
彼の後輩である現在の沖縄の記者達は、彼から継承した自分の基準を絶対化する。
そして新聞社の基準に外れたものは「不都合な真実」として決して紙面を飾ることはない。
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