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何を今頃怒り狂っているのだ・・・といった今朝の沖縄タイムスの一面と社会面の大見出し。
例によって沖縄紙のウェブ記事のアップは遅いので、見出しのみを転載し、記事は毎日記事を掲げておく。
◆沖縄タイムス一面トップ
執筆者等訂正申請断念 「集団自決」修正
教科書会社が拒否
記述回復 交渉は継続
◆沖縄タイムス社会面トップ 26面、27面
文科省圧力に憤り 厚い壁「真実」遠く
訂正申請断念
執筆者 出版社を批判
「教科書の責任放棄」
軍強制復活へ決意 関係者
検定意見を崩せず
「もう一度団結し行動を」 仲里前県民大会実行委員長
軍の「主語」あいまい
沖縄タイムスは悔しさの余りに思いつくだけの単語を書き並べたような見出しの羅列だ。
だが、今頃タイムスがこのようにド派手に悲憤慷慨するのもおかしなもので、この問題は去年の暮れにほぼ決着していたはず。
年が明けて教科書からの「軍命削除」がほぼ決定的になったが、そのときもタイムスはこのように派手なパフォーマンスをしていた。⇒教科書記述で集団自決の「軍強制」は削除!
ほぼ決着のついたニュースを事後報告するだけだったら毎日新聞の方がまともといえるが、沖縄タイムスのパフォーマンスには隠れた意図がある。
今朝のタイムスのバカ騒ぎは同じニュースに対するパフォーマンスなので、当然当日記のコメントも同じようになる。
以下は「教科書記述で集団自決の「軍強制」は削除!」よりの引用です。
<「集団自決」問題には次の二つの側面がある。
①「大江・岩波に対する出版差し止め」訴訟。
②「教科書検定問題」。
①の訴訟は最高裁にもつれ込んで判決待ちの状態だが、②の教科書検定では「軍命なし派」の勝利となった。
裁判官はマスコミ報道や「世論」を気にするというが、最高裁裁判官にとってこのニュースは大きな判断材料になると思う。
最高裁勝訴に一歩近づいたと当日記は見る。
>一部執筆者らが目指していた「日本軍が県民に強制した」との記述の復活は、2009年度から使う高校日本史教科書では困難となったことが8日、分かった。
教科書業界は会社側と執筆者側で分裂していると前に書いたが、
分裂した一方の執筆者側はさらに分裂し、共同記事が正直に報じているように、実際に騒いでいるのは「一部執筆者」であり、その中でも2名だけがいかにも教科書執筆者を代表しているようなパフォーマンスをしているに過ぎない。 それをマスコミが針小棒大に報じるから、いかにも執筆者全員が怒りを表しているような印象を与えるのだ。
文科省は07年3月末、「集団自決」についてこれまで認めてきた「日本軍が強制した」との記述を退ける教科書検定審議会の検定意見を公表した。
その直後、教科書執筆者の実情に詳しい現代史の専門家秦郁彦氏は次のように語っている。
再三引用するが、多くの執筆者の心境を「渡りに船」という絶妙の比喩なので以下に引用する。
<秦郁彦氏は産経新聞(東京版)へのコメントで「軍の命令」が独り歩きした背景を探った上で、こう述べている。「教科書執筆者も(軍命が無かったことに)既に気付いており、今回の検定はいわば“渡りに船”だったのではないか」と。痛烈な皮肉と受け取った。>(産経新聞2007/04/01 05:06)
⇒沖縄県民の大誤解 教科書検定
その後、「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」(「11万人集会」)を初めとする沖縄左翼の猛反発におびえた文科省は、「軍が関与」との表現で訂正受けたが、強制の記述は認めなかった。
その一方、藤岡信勝拓大教授は、例え「関与」といえどもわざわざ教科書に記述すべきではないと文科省の妥協に反対していた。
ともかく教科書に「軍の命令、強制」が削除されることが決まったことは裁判にとっても大きな前進である。
>沖縄で07年9月、これに抗議する大規模な県民大会が開かれた。文科省は反発を考慮し、教科書会社側を促す形で訂正申請を受け入れたが、強制という表現ではなく「軍が関与」との表現で同年12月にいったん決着した。
結局、幻の「11万人」のバカ騒ぎは、運動そのものが幻となた。
あの大騒動は一体何だったのか。>
「もう一度団結し行動を」と訴えているのは「11万人」集会の実行委員長だった仲里利信氏。
そう、あの「毒おむすび」の仲里県議である。
今は県議を引退して農業で過ごしているらしいが、後任の実行委員長がきまらないことに「心が痛い」という。
実行委員長のときは僅か数ヶ月の間に6回も東京に「教科書検定意見撤回」の要請のため6回も東京に赴いていたという。
最近は暇になったので、またぞろ「11万人」集会を開きたいらしい。
◇
集団自決問題では「訴訟」と「教科書検定」の二つの点で論争があると再三述べてきた。
これで「教科書検定」の論争は「軍命、強制削除」で決着がついた。
沖縄の作家星雅彦氏は、大阪地裁の判決には疑問を呈したが、教科書問題に関しては「11万人」集会の熱気に押されたのか沖縄タイムスと同じ立ち位置で文科省検定意見に批判的であると書いた。
<星雅彦氏の疑義!『鉄の暴風』と地裁判決へ
掲載された『うらそえ文藝が』が出版されたのは、例の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(「11万人」集会)の熱気も覚めやらぬ大会の約7ヶ月後だったためか、「編集後記」の後半部分では、文科省検定意見に対しては批判的な記述がみられる。
だが、前半部分の大阪地裁判決に関する記述では、終始判決に批判的で、当日記がこれまで記した疑問とほぼ同じような疑問を呈している。>
上記引用の星氏の「編集後記」の後半部分を紹介して欲しいという意見があるので以下に前半部分と、前回省略した部分をあわせて全文引用する。
文字起こしは辛い!
●大江健三郎氏の「沖縄ノート」については、座間味島の元戦隊長梅澤裕氏と渡嘉敷島の元戦隊長赤松嘉次への名誉毀損の成立は認めず、軍の関与を認め、原告側の請求を全面的に棄却した。
●この事件から、浮上した諸問題がある。 まず当初からの争点であった戦隊長の直接命令の有無であるが、その「伝達経路は判然とせず、自決命令を発したとはただちに判定できない」と判決し、その一方では、軍から自決用に手榴弾を渡された住民証言を根拠にして「隊長の関与も十分に推認できる」としている。
●文科省が「軍命ありき」を削除した行為は、かつての「軍民一体化」の精神とは、裏腹なものであり、自ら過去の思想を醜悪なものとして隠蔽しようとした行為にすぎない。
●反面、住民の集団自決が「戦陣訓」の洗脳による時代の犠牲であるならば、逆に軍命の犠牲による死であることに固執する必要があるのかどうか。また殉死が良いはずはないが、無かったとは断言できないのである。
●従って、県民大会等を経た現時点において、軍命によって集団自決があったと解釈して、教科書から「集団自決(強制集団死ごを削除しようとした文科省に対し、県民が怒涛のごとき怒りの抗議をしたことは当然の帰結だが、政治的妥当性がある。しかしそれでもなお、先に挙げた諸疑間は残ったままだ。
●別な視点から大きな疑惑が他にもある。戦時中に起きたスパイ容疑への軍事処刑(中国・東南アジアでの一部の日本軍の残虐行為にそれは酷似している)と、また戦後、元戦隊長らがずっと生き延びてこれた現実があるということだ。
●実は今回の「うらそえ文藝」で「集団自決」問題を特集しようと考えたが、まだ究明の余地があるように思われ、時間も必要であることを痛感し、結局、特集を組むことを取り止めにした。
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