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7月29日午後1時10分。
三人の高裁裁判官が着席した。
詰め掛けた傍聴人の耳目が、今泉裁判長の口元に集中した。
瞬時の緊張と静寂が法廷を支配した。
裁判長判決文を読み上げた。
「原判決を次のとおり変更する」
その瞬間、傍聴席の中からガッツポーズ見られた。
裁判長の判決文朗読は続いた。
「被控訴人(被告・琉球新報)は、控訴人(原告・上原正稔)に対し、105万4000円及びこれ対する平成23年2月5日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え」
無言のガッツポーズが、「ヤッタ!」の歓声に変わった。
徒手空拳で琉球新報の言論封殺に立ち向かった上原正稔さんの逆転勝訴である。
ということは琉球新報の全面敗訴である。
支援者の皆様に深く御礼申しあげます。
皆様の温かいご支援の賜物と上原正稔に代わって感謝申し上げます。
■逆転勝訴の画期的意義
沖縄の言論空間は異論を許さぬ「全体主義」であるといわれて久しい。
琉球新報、沖縄タイムスという2大紙を頂点に、学会、教育界から出版界にいたるまで網の目のように張られた思想統制に逆らうものは村八分の仕打ちを受けるのが常だった。
沖縄2大紙の影響力を恐れるのは、言論界のみならず政界も同じだ。
先日の参院選でも自民県連は、新聞の論調に平伏した。
政府の「辺野古移設」に逆らって「県外移設」と主張し支援者の反発を買ったのが記憶に新しい。
傲慢不遜な琉球新報は、上原正稔という人物を軽く見るという大愚を犯した。
絶対権力者の気に入らない記事は他の識者同様に唯々諾々と平伏すと考えた。
希代の奇人上原正稔氏は琉球新報の書き換え要求を頑としてはねつけた。
渇しても盗泉の水は呑まず、という上原氏の信念からだ。
上原さんは琉球新報との戦いを法廷に持ち込み、勝訴した。
巨大組織の琉球新報の驕れる脳天に鉄槌を下したのだ。
では、沖縄の言論界を支配する琉球新報の全面敗訴を今朝の沖縄タイムスはどのように報じたか。
社会面トップを飾る「市民ら野嵩ゲートで抗議」、「『普天間』の金網怒りの灯火煌々」の派手な記事の下に隠れるようなベタ記事が・・・。
沖縄タイムス 2013年7月29日 18時56分
連載を一部掲載しなかったのは契約違反だとして、ドキュメンタリー作家上原正稔さん(70)が琉球新報社に約1千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部は29日、原告の請求を棄却した一審那覇地裁判決を変更、琉球新報社の契約違反を一部認め、約100万円の支払いを命じた。
判決によると、上原さんは2007年5月から琉球新報の夕刊で沖縄戦を取り上げた連載を執筆。同社は一部の原稿に新味がないとして書き直しを求めたが、上原さんは拒否し、同社は08年8月、連載を打ち切った。
琉球新報社は契約について「初出の資料を用いた連載をするという内容」と主張したが、判決理由で今泉秀和裁判長は「初出の資料のみに基づいて連載するとまでは記載されていない」とした。(共同通信)
☆
沖縄タイムスは地元紙が「言論封殺」で裁判所に鉄槌を下されるという重大ニュースを、共同配信でお茶を濁している。
沖縄タイムスにはも、はや地元の重大ニュースを自力で報道する気力も能力もない。
単なる紙くずであることを自ら証明したような記事である。
>同社は一部の原稿に新味がないとして書き直しを求めたが、上原さんは拒否し
琉球新報が「新味がない」として全面削除を要求した部分は、集団自決の核心の部分だ。
琉球新報が問題にした箇所は、「沖縄戦の集団自決は日本軍の強要による」という琉球新報の主張に逆らい「軍命はなかった」と記述された部分だけに限られている。
琉球新報の主張する「新味がない」などの削除理由は、「軍命があった」と書いていないことが、新報社方針と合わなかったからであり、この連載の読者な誰でも気がつく事実である。
琉球新報の報道は確認していないが、おそらく沖縄タイムス同様ベタ記事で誤魔化して、この判決の持つ重要な意味を矮小化しようとするだろう。
判決の持つ意味
(1)沖縄紙が独占的に支配していた言論空間の一角に大きな風穴が開いた。
(2)梅澤。赤松両隊長の汚名が完全に回復された。
「慶良間諸島でおきた「集団自決」は梅澤、赤松両隊長の命令による」という通説は、大江・岩波集団自決訴訟では立証出来ず、梅澤、赤松両隊長の汚名は回復されたが、必ずしも満足できるものではなかった。
訴訟の「名誉毀損」「損害賠償」請求では敗訴したため、沖縄2紙の印象操作により「裁判で軍命令があったことが確定した」などと誤解する人も多かった。
今回の高裁判決では、上原さんの原稿が掲載拒否されたのは、181回の連載中「慶良間で何が起きたか」の章(5回分)と、181回目の最終回の2度であり、いずれも「集団自決に軍命はなかった」と明記した部分に限られている。
判決文では一度目の「慶良間で何が起きたか」(慶良間編)を削除した琉球新報の理由を次のように否定している。
「被控訴人(琉球新報】は、なんら合理的理由もなく控訴人(上原正稔)の執筆した慶良間編の掲載を一方的に拒否したと認めるほかはなく、このことは、被控訴人(琉球新報)の『パンドラの箱を開ける時に係る連載執筆契約の義務に違反し、債務不履行に該当するといわざるを得ない。 これに反する被控訴人の主張は採用することが出来ない」
さらに判決は最終回の掲載拒否については、こう判断している。
「被控訴人(琉球新報)が第181回の原稿について控訴人(上原正捻)に書き換えを求め、控訴人(上原)がこれに応じなかったという理由だけでこれを掲載しなかったことに何ら合理的な理由は見当たらず、これも、被控訴人(新報)の『パンドラの箱が箱を開ける時』に係る連載執筆契約の義務に違反し、債務不履行に該当するものと思わざるを得ない。 これに反する被控訴人(新報)の主張は採用することが出来ない」
この裁判の意義については、途中からこの裁判を知った人達には理解しにくいと思われるので、これから数回にわたり解説記事を連載の予定である。
【おまけ】
人物探訪: 昭和天皇を護った二人のキリスト者(下)
天皇を処刑して、共産革命を引きおこそうと
するソ連の野望にフェラーズは立ち向かった。
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■1.マッカーサーへの意見書■
フェラーズは、天皇が帰られた後に、執務室に閉じこもり、
マッカーサーへの意見書の仕上げに没頭した。意見書の原稿を
書き上げると、すぐに恵泉女学園の河井のもとに届けさせた。
河井からの意見をもとに修正し、再度チェックを受けてOKを
貰ったのが10月1日。翌日、フェラーズは完成した意見書を
マッカーサーに提出した。二人の合作と言ってよい。
意見書では、冒頭で「彼らの天皇は、祖先の美徳を伝える民
族の生ける象徴である」と、ハーンから継承した天皇観から説
き始め、次に今回の戦争に関しては、「天皇が自ら起こしたも
のではないことを立証しうる」と述べた。続いて、
大衆は、裕仁に対して格別に敬慕の念を抱いている。彼
らは、天皇がみずから直接に国民に語りかけることによっ
て、天皇はかつて例がないほど彼らにとって身近になると
感じている。和を求める詔書は、彼らの心を喜びで満たし
た。彼らは天皇がけっして傀儡などでないことを知ってい
る。また、天皇を存置しても、彼らが選びうる最も自由主
義的な政府の樹立を妨げることはないと考えている。
[1,p225]
最後の一節は、軍国主義を復活させないためには、天皇制を
廃止する必要がある、という連合国内の意見に釘を刺したもの
である。
■2.戦争裁判で天皇を裁けば■
無血侵攻を果たすにさいして、われわれは天皇の尽力を
要求した。天皇の命令により、700万人の兵士が武器を
放棄し、すみやかに動員解除されつつある。天皇の措置に
よって何万何十万もの米国人の死傷が避けられ、戦争は予
定よりもはるかに早く終結した。
フェラーズは同様の文章を家族の手紙にも書いており、この
部分はまさに彼の実感そのままである。
したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、戦
争裁判のかどにより彼を裁くならば、それは、日本国民の
目には背信に等しいものであろう。それのみならず、日本
国民は、ポツダム宣言にあらまし示されたとおりの無条件
降伏とは、天皇を含む国家統治機構の存続を意味するもの
と考えている。
もしも天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるなら
ば、統治機構は崩壊し、全国民的反乱が避けられないであ
ろう。国民は、それ以外の屈辱ならばいかなる屈辱にも非
を鳴らすことなく耐えるであろう。
後半は河井道の「陛下が殺されるようなことがあったら、血
なまぐさい反乱が起きるに違いありません」とフェラーズに語っ
た言葉に基づくもののようだ。
そして「それ以外の屈辱ならばいかなる屈辱にも耐えるであ
ろう」とは、「堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に
太平を開かむと欲す」という終戦の詔勅を思わせる。これも終
戦の詔勅に関して、「天皇の父親らしい戒めに対して、国民は
孝心を明らかにして従順に従ったのであった」と語った河井の
思いが反映しているのだろう。
フェラーズの意見書には、河井を通じて、当時の日本国民の
天皇への「敬慕の念」が注ぎ込まれていた。
■3.「相互の尊敬と信頼と理解」■
彼らは武装解除されているにせよ、混乱と流血が起こる
であろう。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍
を必要とするであろう。占領期間は延長され、そうなれば、
日本国民を疎隔してしまうことになろう。
米国の長期的利益のためには、相互の尊敬と信頼と理解
にもとづいて東洋諸国との友好関係を保つことが必要であ
る。結局のところ、日本に永続的な敵意を抱かせないこと
が国家的に最も重要である。
意見書はこう結ばれた。「相互の尊敬と信頼と理解」という
言葉には、初めて来日した時に「日本は魅惑的で美しい。神秘
に満ちた心温まる国だ」と感じて、河井らとの交友を築いてき
たフェラーズの体験が窺われる。そうした友好関係こそ「米国
の長期的利益」となる、というのがフェラーズの信条であった。
■4.「ソ連は、日本に革命が起きることを望んでいる」■
2日おいて、10月4日にフェラーズは第2の覚え書きを提
出した。
ソ連は、日本に革命が起きることを望んでいる。我が国
(アメリカ)の政策は、革命を期待しているかのようだ。
革命には、天皇の排除が最も有効なのである。[2,p89]
当時、ソ連の共産党機関誌「プラウダ」は激しい天皇制批判
を繰り返していた。また日本共産党も「戦争犯罪人追求人民大
会」を開き、1600人にのぼる戦犯リストの冒頭に昭和天皇を挙
げていた。
天皇が戦犯裁判で処刑となり、国中に反乱が起きれば、それ
が共産革命の引き金になり、日本を共産陣営に追い込む結果と
なりかねない。フェラーズは危機感を募らせていた。
10月2日、皇族の梨本宮守正元帥が、そして6日には元首
相・近衛文麿、天皇側近の内大臣・木戸幸一と、皇族と側近に
まで逮捕の手が伸びていた。
■5.マッカーサーの回答■
11月29日、アメリカの統合参謀本部は、マッカーサーに
対して指令を伝えた。
裕仁は、戦争犯罪人として逮捕・裁判・処罰を免れては
いないというのが米国政府の態度である。天皇抜きでも占
領が満足すべき形で進行しうると思われる時点で、天皇裁
判問題が提起されるものと考えてよかろう。[2,90]
米国政府は天皇訴追を十分ありうるものとして、マッカーサ
ーに判断に必要な証拠の収集を命じた。この回答として、翌昭
和21(1946)年1月25日、陸軍参謀総長アイゼンハワーあて
に電報が送られた。
過去十年間に、程度はさまざまであるにせよ、天皇が日
本帝国の政治上の諸決定に関与したことを示す同人の正確
な行動については、明白確実な証拠は何も発見されていな
い。
と始まるこの回答で、まず大日本帝国憲法はヨーロッパの立憲
君主制と同じ原則に則っており、内閣が行った政治的決定を天
皇は裁可するだけで、拒否する権限はなかった事が説明されて
いる。
昭和天皇は立憲君主の立場をよくわきまえ、可能なかぎ
りその原則に従って行動した天皇だった。帝国議会の議決
を裁可しなかった例は一度もなかったし、国務大臣の補弼
(ほひつ)を俟(ま)たずに大権を行使する独断政治を強
行したこともなかった。
つけ加えれば、日米開戦までの過程で戦争を避けるため
に、自らの立場で可能な範囲で軍部や内閣に意見を述べて
いる。昭和天皇は決して好戦主義者ではなかった。外交交
渉を優先させることで、なんとか戦争を回避しようと努力
した。
最後の一節には、また河井道の影響が窺われる。河井はフェ
ラーズに勅語や御製を示して、天皇の平和を求めるお気持ちを
伝えていた。恐らくは、開戦前の御前会議で昭和天皇が「四方
の海みなはらから(同胞)と思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ」
との明治天皇御製を示されて、再度の外交交渉を求められた事
もその中にあっただろう。
■6.「あれはカワイ・ミチから授かったものだ」■
続いて、回答書では天皇を訴追した場合に、「日本国民の間
に必ずや大騒乱を惹き起こし」、そのような事態に対処するに
は、百万の軍隊と数十万の行政官が必要となる、としている。
主張の内容は、フェラーズの覚え書きをそのまま引き写したも
のである。
マッカーサーはフェラーズの覚え書きを机の左の引き出しの
一番上に入れ、しばしば取り出しては読んでいた。フェラーズ
は後に語っている。
私はあの覚書の内容について自信が持てなかった。あれ
はカワイ・ミチから授かったものだ。彼女は実に偉大な女
性だった。彼女が私を助けてくれた、彼女は知らないだろ
うが、マッカーサーの天皇に対する態度に、彼女は大きな
影響を及ぼしたと思う。[1,p228]
このマッカーサーの回答書で、米政府の天皇不起訴の方針は
固まった。
■7.東条の覚悟■
米国はこれで固まったが、ソ連は強硬に天皇訴追を要求して
いた。3月2日から東京に終結した連合国各国の国際検察局に
よる被告人選定作業が始まった。
フェラーズはこの時期、天皇の無罪を立証すべくあらゆる手
を尽くした。3月6日、終戦時の海軍大臣・米内光政を総司令
部に呼んで、こう言った。
・・・ソ連は全世界の共産主義化を狙って、日本の天皇
制とマッカーサーの存在を邪魔にしている。アメリカ国内
でも上層部に天皇を戦犯として裁くべきだとの主張が相当
ある。
その対策としては、天皇が何ら罪のないことを日本側が
立証してくれることが最も好都合だ。そのためには近々開
始される裁判が最善の機会だと思う。この裁判で東条に全
責任を負わせるようにすることだ。
そこで、東条に次のことをいわせてもらいたい。開戦前
の御前会議において、たとえ陛下が反対されても、自分は
強引に戦争にまでもっていく腹をすでに決めていたと。
[1,p266]
米内は「まったく同感です」と賛同し、獄中の東条に弁護人
を通じてフェラーズの意を伝えた。東条は答えた。
そんなことは心配ないと、米内君にいってくれ。おれが
恥を忍んで生きているのも、この一点があればこそだ。
東条は東京裁判において、大東亜戦争は自衛戦であり国際法
に違反していないこと、また開戦の決定は内閣の責任であり、
昭和天皇が拒否権を行使されることは、憲法上も、慣行上もな
かったことを堂々と述べた。[a,b]
■8.「昭和天皇独白録」とバイニング夫人■
フェラーズはさらに次々と手を打っていった。第2の手は昭
和天皇ご自身に直接語っていただくことだった。風邪を引いて
寝込まれていた昭和天皇に、戦争への関わりと思いを語っても
らい、寺崎英成ら側近たちが記録した。この記録は44年後に
発見されて「昭和天皇独白録」としてセンセーションを起こし
た。その英語版がフェラーズの残した文庫から発見された。
この文書がどのように使われたのかは分かっていない。ただ、
天皇不起訴という決定に対して米世論が反発した場合、あるい
は天皇が証人喚問された場合には、この文書が使われただろう。
[2,p149]
フェラーズがもう一つ打った手は、皇太子にアメリカ人女性
の家庭教師をつけることだった。それによって欧米の世論を軟
化させようというのが、狙いだった。フェラーズが選んだエリ
ザベス・バイニング夫人は、彼と同じクエーカー教徒であり、
また夫人の児童文学者としての才能と評判を彼はよく知ってい
た。
バイニング夫人は4年間、皇太子の家庭教師を務め、帰国後
の1952年に著した『皇太子の窓』はアメリカでベストセラーと
なり、皇室に対するアメリカ人のイメージを変えるのに大きな
役割を果たした。
■9.「天皇陛下を戦犯より救出したる大恩人」■
東京裁判開廷から2ヶ月過ぎた昭和21(1946)年7月、フェ
ラーズは陸軍を退役して帰国の途についた。その際に、次のよ
うな手紙を、天皇の側近・寺崎英成に書き送った。
あなたの有能な上司、すなわち天皇陛下に次に会うとき、
私の気持ちをぜひ伝えてください。私が日本を去るのは、
私が日本にいるよりもアメリカに帰った方が、日米両国の
相互理解の増進により多くの貢献ができると確信したから
です。天皇陛下に心からの敬意を払っています。[1,p273]
フェラーズはこの言葉通り、帰国後は全米各地を回って極東
問題やソ連についての講演を行い、雑誌に記事を投稿した。
『リーダーズ・ダイジェスト』1947年7月号には、『降伏のた
めに戦った天皇裕仁』と題して、昭和天皇を讃えた。その中で
はソ連が東洋における支配的地位を狙って、日本からの和平斡
旋の依頼を握りつぶして、戦争を長引かせ、自らに最も好都合
な時に対日戦を始めた事を指摘した。
1950年2月、ソ連は突如として天皇を細菌化学戦争の計画立
案に関わった罪で「追加戦犯」として、国際軍事法廷で裁くこ
とをアメリカに求めた。しかし米国は解決済みの問題として、
これを黙殺した。
昭和46(1971)年2月、日本政府はフェラーズに対して、勲
二等瑞宝章を贈った。その申請書にはこう書かれていた。
ボナー・フェラーズ准将は・・・連合国軍総司令部に於
ける唯一の親日将校として天皇陛下を戦犯より救出したる
大恩人である。[1,p190]
(文責:伊勢雅臣)
『パンドラ訴訟』の高裁判決は、7月29日に下されます。
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