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昨夜、県民投票に反対する「リレー演説会」が催され、筆者も論者の一人として登壇する機会を得た。
反基地活動家が、県民投票に不参加の市長や議員を住民訴訟を提起するとの報道がある。
欠陥だらけの県民県民投票を拒否した市長らを提訴するとは、本末転倒とんだお門違いだ。
むしろ、法的瑕疵のある県民投票を多額の血税を浪費して県民に押し付けるデニー知事こそ、糾弾され提訴されるべきではないか。
昨夜の演説会で、筆者は約300人の聴衆の前で「デニー知事を提訴する」と宣言した。
提訴の法的根拠については次回に詳述するとして、法的瑕疵のある県民投票が法廷審議で敗訴するはずはない。
一方、反基地活動家による「不参加」市長らへの提訴は、県民投票に法的拘束力がないため、原告の受けた被害を立証するのは不可能に近い。
提訴しても却下、門前払いがオチであろう。
以下、八重山日報の一面トップ記事である。
【インタビュー】県民投票で二者激論
辺野古米軍基地建設のための埋め立てを問う2月24日の県民投票は、県内全市町村での実施が困難な状況になっている。条例制定を県に直接請求した「『辺野古』県民投票の会」副代表の司法書士、安里長従氏(46)=石垣市出身=と、県内で最初に可決された県民投票への反対意見書を提案した砥板芳行石垣市議(49)に、それぞの主張を聞いた。
■民意明確化恐れるな 投票権は民主主義の生命線
安里長従副代表
県民投票の意義は、シングルイシューで沖縄県の民意を示すことだ。世論調査ではない。分からないなら白票を投じることができるし、投票場に行かない権利もある。民主主義は、ある公共的政策に対して決定をするので、基本的にイエスかノー。投票によって選ばれた政治家が市民の投票権を奪うのは民主主義の根幹・生命線を奪うことだ。
県民が県内の各地域から、適正に法定署名数の4倍の署名を集め、県議会での審議で県民投票条例が成立した。県民投票を拒否した石垣市でも有権者の50分の1以上を集めた。県と市町村が協力して、全県下で県民投票を実施できるようにすべきだ。
辺野古移設を問う県民投票ではなく、辺野古埋め立てを問う県民投票。普天間基地の問題は、県民に辺野古か普天間かの二者択一を迫るのではなく、普天間基地の県外・国外を国民全体に問うて解決すべき問題だ。
普天間返還の原点であるSACO(日米特別行動委員会)設置について防衛省は「沖縄の負担を可能な限り軽減し、国民全体で分かち合うべき」と公式に説明している。同じ沖縄の辺野古に造ることは破綻していないか。日本政府は軍事的な理由ではなく、政治的な理由で、本土の理解が得られないから沖縄に基地を置くと言っている。
在沖海兵隊元幹部のロバート・エルドリッヂ氏も述べている通り、政府はなぜ辺野古が唯一の選択肢なのか合理的な説明を一切しておらず、国民をごまかしている。
住民投票の権利は憲法で保障されている権利であり、県民投票は辺野古埋め立てに関する唯一の明確な意思表示方法だ。
2010年以降の各種国政選挙や知事選などで、辺野古移設反対を掲げた候補が相次いで当選している。しかし裁判では、沖縄には整理縮小の民意もあり、どちらが優先するのか選挙結果からは明らかではないと判断された。したがって沖縄の民意を客観的に疑義がないものにする県民投票が必要なのだ。
住民投票は間接民主制を補完する制度として、地方自治法で定められている。県民には、イデオロギーや党派性なしに、単に辺野古の埋め立てを良しとするのかノーとするのか、賛否双方の説明や意見を聞いて熟議し、市民が各々自由に決断する自己決定権がある。他人に指図されるのではなく、自分で決定するのが民主主義の基本だ。
ある地域に住んでいるため、投票ができなくなるのは、表現の自由及び法の下の平等に反し、憲法違反だ。
あらゆる意見や多元的な価値を認めた上で、賛成も反対も示そうとするのが私たちが生きている民主主義国家だ。
中国のような一党独裁を批判するならば、民意を明確にすることを恐れてはいけない。
■政治的な意図感じる 拒否の先島、中国脅威と対峙
砥板芳行石垣市議
第一に、「辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票条例」というタイトルには「普天間飛行場の移設に伴う」という文言すらない。これは大問題だ。普天間飛行場の辺野古移設は〝普天間飛行場の危険性除去〟が最大の目的だからだ。
しかも「埋め立ての賛否」を問うているが、県民投票をするなら「移設の賛否」を問うのが筋だ。なぜ「埋め立て」に限定しているのか。そこには、政治的な意味合いがある。
いま知事権限で行使できる最大のものは「公有水面埋立法」だ。2015年、翁長県政は埋め立て承認の〝手続きに瑕疵(かし)があった〟として「承認取消」を行い、16年末に最高裁判決で敗訴。今度は承認後の〝埋め立て工事自体に問題がある〟として「承認撤回」を持ち出した。
県は、16年の最高裁判決では「民意」への言及がなかったことから、今後の国との裁判を見据え、裁判を有利に運ぶ理由を整えるために、移設計画に反対の「民意」を利用しようという政治的な意図があるのだろう。
この前段として知っておくべきは、地方自治法第252条17の2「条例による事務処理の特例」で、条例を制定する際には県が市町村と適切な協議を行うよう定めてあるが、そのような協議が行われた形跡がないことだ。県議会で県民投票条例が審議される中、石垣市は反対の意見書を可決したにも関わらず、県は市と適切な協議をしていない。
これは県があまりにも拙速に県民投票の会の条例をそのまま市町村に押し付けているということだ。つまり、「県」が「強権的に」行なっている県民投票だと言える。
どうしても投票を実施したいのであれば、県は投票を延期し県議会に戻して、条例を改正する手続きもきちんと踏んだ上で、県全体で投票に参加できるよう再考する手続きをとるべきだ。
また、日本の安全保障を考えれば、戦後築かれてきた国際秩序に挑戦し、軍事拡大の意図も明らかにしてない中国に対する「不安」は大きい。先島の目と鼻の先で中国の軍事活動が常態化するのは、先島の人間からすれば恐ろしい。
その意味で、非常に厳しい立場に立たされている宮古島市、石垣市という先島の2つの自治体が県民投票を拒否しているという現実を、県全体で捉えていく必要がある。
普天間飛行場の移設に関しては20年以上も前から、日米両政府、沖縄県、宜野湾市、名護市など含め、政治の場で多岐にわたる議論がなされてきた。
その結果、辺野古に決まった。移設への反対は、時の責任ある先人たちの努力を顧みないことでもあるのだ。そのことを忘れないでほしい。