我那覇真子 橋下徹さん討論から逃げるんですか?水島総と沖縄登録論で対立!爆笑問題の所属事務所は?
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当日記管理人は、翁長知事(沖縄県)を相手取って二件の裁判を係争中です。 代理人弁護士には手弁当でご協力いただいていますが、訴訟費用の資金難で交通費、宿泊代などの実費支払いや、説明会場を借りるのも厳しい状態です。
- 金融機関:ゆうちょ銀行
- 名義:沖縄県政の刷新を求める会
- 記号:17010
- 番号:19246121
- 金融機関:ゆうちょ銀行
- 金融機関コード:9900
- 預金種目:普通
- 名義:沖縄県政の刷新を求める会
- 店名:708(ナナゼロハチ店)
- 店番:708
- 番号:192461
チャンネル桜の水島社長が我那覇嬢を党首とする新党を立ち上げると言ったので、心配していた。
理由は書かないが、私は、水島社長の下での党首になるのは、反対だった。
水面下で色々準備しているだろうから、詳しい事情を知らない者が反対等をネットで論じるのは、適当でないと考えていたので、控えていた。
が、↓で水島社長の下での党首になるのはお断りし、別の党を立ち上げるとの話がでて、安心した。
「【沖縄の声】橋下徹氏の著書をめぐって/「県民投票」直前のシンポジウム[桜H31/2/28]」
https://www.youtube.com/watch?v=V1P6yBOM0WA
我那覇嬢は次のように語った。
炎上商法をする。
タイムス、新報の嫌う論をだせば、叩こうと記事にする。
そうすれば、注目を浴びる。
特攻気分だ。
沖縄を守った特攻隊員のように、肉体は滅びても、沖縄を守ろうとした心が残り、それを我々は継いでいる。
(自分はここで終わるかもしれないが)後に続く人に精神が受け継がれて、長い闘いができる
我那覇嬢が、タイムス、新報の嫌う論をだせば、タイムス、新報に叩かれ、「オール沖縄」に叩かれる。
玉砕するかもしれない。
でも、そこに、彼女は悲壮感を漂わせない。
そうよ、玉砕と言っても、ターミネーターと同じく、欠片を拾い集めれば、ヒューってと再生。
不滅です。
これで、終わりでない。
というものの、やっぱり叩かれるのは、気分の良いものでない。
大変だ。
組立て直し。
沖縄県民が持っている魂を呼び覚ます作業。
彼女は、ワクワクすると言っている。
私も、ワクワクする。
「石垣陸上自衛隊 きょう着工 2019年3月1日 11時59分」
http://www.qab.co.jp/news/20190301111755.html
>反対する住民は「本当にきょうが来るのかな、こんな日が来るのかと思ってたんですが、住民の声を全くききませんよね。だから体を張って止めるしかない」
手続きを経て進めても、「止めたい」の我を通そうとする。
沖縄の不屈の精神は、こういうことを言うのではないと信じたいが、結果としては、反対派の我を通すのに使われている例しか本土に伝わってこないから、沖縄県民ってさぁ…、となる。
沖縄県民が本来持つ魂が覚醒して、「沖縄県民ってさぁ…」を吹き飛ばして欲しい。
☆米軍基地撤廃派のこんな意見を良く聞く。
「米軍基地が日本の国防になるのなら、日本の全県に均等に分散させよ」「沖縄だけに集中させるのは差別だ」などなど。
その瞬間、これらの文言は自己破綻に陥る。
米軍基地撤廃を叫ぶなら日本国内から国外に移設するのが筋論のはずだが、その同じ口で「米軍基地を日本国内に均等に分散」と叫ぶのが矛盾と言うのだ。
もう一つの破綻を指摘しよう。
この意見の致命的過ちは、米軍基地とゴミ処理施設を同一に見ていること。
米軍基地は国防のための施設でありその設置する場所は自ずと限られてくる。
つまり地政学的条件に適しない地域に住民が誘致したとしても、設置したら無用の長物になるのが米軍基地だ。
その点沖縄は「太平洋の要石」(keystone of the Pacific)といわれるように地政学上重要な位置にある。
沖縄返還前の米軍車両のナンバープレートにはkeystone of the Pacificという標示があった
「日本は沖縄を本土防衛の捨て石にした」とよく言われるが、米軍の攻撃進路に、他の地域にあった沖縄を持ってきて捨て石にしたわけではない。
米軍が沖縄を本土攻撃の重要地点、つまり要(かなめ)石と考えたから進路に位置する沖縄に攻撃をかけたのだ。
そう、沖縄は「捨石」ではなく「要石」だったのだ。
ただ、物事には常に二つの側面がある。
現在の位置に沖縄が存在するということは、国防上も経済上も要石でありメリットである。
一方日本侵略を狙う国にとっては攻撃の要石であり、そこに住む住民にとってはデメリットになることは、沖縄戦における米軍の猛攻撃を見れば明白である。
沖縄がその地政学的優位性を生かして琉球王国を経営してきたことは周知の通りだ。
この沖縄の地政学的地位を如何ともしがたい「宿命論」として受け止め、それをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは、県民が決めればよい。
「沖縄宿命論」に関し、過去にエントリーした「 小指の痛み」を加筆編集して再掲する。
沖縄に米軍基地が集中しているのは戦略的地位に沖縄が存在する宿命である、という沖縄宿命論がある。
その一方で東西冷戦が終わった現在、沖縄に戦略的価値を求めるのはナンセンスだという非宿命論もある。
非宿命論に従うと、日本の防衛に沖縄だけを盾にするのは不公平だから、米軍基地は日本全国に公平に分担させよということになる。
米軍基地はゴミ処理場なみに地元住民の同意とスペースさえあるなら日本全国何処でもよいということだ。
普天間基地を「県外・国外」と叫ぶドサクサ紛れにに、米軍基地の全面撤去を叫ぶサヨク勢力も蠕動し始めた。
2010年の「4・25県民大会」が開かれた日の沖縄タイムス社説はその勢力に呼応するように「[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ(2010年4月25日 )という仰々しいタイトルだった。
[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ
沖縄タイムス 2010年4月25日 09時55分
圧倒的な基地負担が沖縄の宿命であるはずがない。国による不合理な押し付けを拒否し、きょう、県内各地から多くの住民が県民大会に集う。
米兵暴行事件に抗議して開かれた1995年の10・21県民大会以来の島ぐるみ運動だ。仲井真弘多知事をはじめ41市町村の全首長(2人代理)、政党、各種団体、市民が一丸となって米軍普天間飛行場の県内移設に反対の意思を表明する。
「県外・国外移設」の可能性を十分に追求しない政府の不誠実な対応に抗議し、党派を超え世代を超えて「県内移設ノー」の意思を示すのは初めてである。その波紋は大きく広がるだろう。基地沖縄の宿命論に終止符を打つときだ。
米兵暴行事件への対応策として、橋本龍太郎首相は「米軍の兵力構成について継続的に米側と協議する」との総理談話を発表したが、実現しなかった。小泉純一郎首相は2004年10月、普天間について「県外、国外の両方を考えていい」と発言したが、その8カ月後、「自分の所にはきてくれるなという地域ばかりだ」とあっさり撤回した。鳩山由紀夫首相が「最低でも県外」と公言したことで県民の期待はかつてなく高まった。
普天間問題を考える上で最も重要な要素は、政権交代によって生じた住民意識の変化である。急浮上した辺野古修正案であれ勝連沖埋め立て案であれ、県内移設はもはや不可能だ。歴史の歯車を後戻りさせるようなことがあってはならない。
政府はこれまで沖縄の「地理的優位性」を強調し、米軍基地の必要性を主張してきた。台湾海峡に近く、北朝鮮から適度な距離にある、と政府関係者はいう。
しかしその論に具体性は乏しい。沖縄駐留の海兵隊は約2000人の遠征隊を動かす編成で、任務は紛争地での自国民救出など限定的だ。
海兵隊を運ぶ艦船は長崎県佐世保に配備されている。朝鮮半島情勢が悪化したとき、船は佐世保からいったん南下して沖縄で隊員や物資を載せ、再び北上する。北朝鮮を警戒するのなら九州中北部に海兵隊を集約させたほうがよっぽど合理的だ。
海兵隊はアジア太平洋で広範に活動しており、絶えず日本をガードしてくれていると考えるのは都合のいい思いこみだ。「日米同盟=基地提供=沖縄」という固定観念は事実を直視しないために起きる幻想にすぎない。
戦後日本は経済復興を優先した。安全保障については米国に多くを委ね、米軍駐留をすべての前提としてきた。それが外交・防衛の原則となり、「同盟管理」さえ間違えなければ日本は安心だと信じ込んできた。
米軍がらみの事件事故で地位協定の問題が浮上し、それが主権にかかわる内容をはらんでいても、同盟が傷つかないよう沖縄だけの出来事として切り捨てられる。成熟した民主主義社会で、このような負担の不公平を放置し続けることは許されない。
「アメとムチ」によって基地移設を押し付けられる地域は、住民同士の対立感情が深まり、崩壊の危機にさらされる。環境汚染が指摘されても地元自治体に基地内立ち入り調査の権限はない。
基地問題は沖縄問題という地域限定の問題なのではない。この国のあり方が問われているのだ。
☆
沖縄に米軍基地が集中している理由を、沖縄の置かれている地政学的的位置に求める宿命論に対する反論のようだ。
このところ連日紙面を飾る米軍基地に対する恨み辛みの記事を読んでいると、なぜかその昔、伊東ゆかりが歌った「小指の想い出」の歌いだしを想いだす。(古過ぎる~笑)
♪~あなたが噛んだ 小指が痛い~♪
好きな彼氏に噛まれる小指の痛みは、ほろ苦い、いや「ほろ甘い」想い出を伴うのだろうが、沖縄の新聞に時折現れる「小指の痛み」には、伊東ゆかりの甘ったるい歌声とは似ても似つかぬ「恨み辛み」がこもっている。
好きな彼に噛まれるしか能のない小指が、美食三昧に明け暮れる口を羨んで見たところで、仕方のないこと。 小指は小指として生まれた宿命である。
一方、足の裏に言わせると小指はまだマシな方だ。 臭い靴の中で一生踏みつけられおまけに水虫の攻撃を受ける足の裏の身にもなって見ろ。
だが、そう言い出したらキリがない。
「口が堪能した美食のケツ末を一生処理し続ける自分は差別ではないか」、
と今度は肛門が騒ぎ出す。
だからと言って肛門で美食を味わうことも出来ない。
肛門が口を羨んでもせんなきこと。
小指には小指の宿命があり、肛門には肛門の宿命がある。
沖縄が地政学的に重要な位置に存在することを嘆いて、沖縄を浮島にして日本国中好きなところに移動させたい。
こんな白昼夢を見た沖縄タイムスの記者がいた。
所詮それは叶わぬ夢だが。
ここに『鉄の暴風』の執筆者で沖縄タイムスの先輩記者でもある牧港徳三氏が書いた「沖縄宿命論」がある。
『うらそえ文藝』(第10号 2005年刊)に寄稿の「ある種の記憶」という随想の中で牧港氏は次のように書いている。
《私は、以前こんな風に書いた。「沖縄・地理の宿命論。この地理的宿命論は他にもある。陸の孤島と化したことのある東・西ベルリン、或いは現在の南北朝鮮。南・北ベトナム。その地域によって分かれている地理的宿命論である。沖縄の落ち込んでいる不条理は、純粋に地理の生んだ陥穽とはいえないが、アメリカによって生まれた基地の重圧を一身に背負う沖縄は、偶然とは言え、一種の『地理の宿命』であることは間違いあるまい。
仮りに、沖縄が、四国か、九州の海岸か、或いはオホーツク海の氷島の傍であっても、いっこうにかまわない。白昼のミステリーと笑いとばせばよい変幻夢を、沖縄の今日の歴史は刻んでいる。」・・・と、かつて私は書いたことがある。(「無償の時代」)》
続けて牧港氏は、自身の沖縄戦の悲惨な体験を回想記風に綴った後、この随想を次のように締めくくっている。
「私はいつか書いた。沖縄が洋上に浮かぶ島なら、・・・その地理的宿命論という奴を放り出したい思いの一途な思いが時々頭をもたげるのである。」と。
回りくどい表現ながら、沖縄が洋上に浮かぶ島なら、沖縄を宿命論の及ばない他の地域へ移動させたいと願望しているのである。
勿論はこれは牧港氏の夢想であり、現実には沖縄を他地域に移動させることは出来ない。 小指がそうであるように。
だが、沖縄が、マスコミが喧伝するような基地公害で住みづらい地域であり、それを我慢できない県民なら、他県へ移住することは自由である。現在の日本では基地のない地域へ移住するのを妨げる法律はない。
ところが逆に近年他県から沖縄へ移住する人が増加している。
沖縄県の人口は毎年増え続けているし、「世界一危険な基地」を抱える宜野湾市野人口増加は県内でも特に著しい。
モノレール設置の立ち退き料をたんまり貰った那覇市のプロ市民が「世界一危険な基地」のある宜野湾市に移住した例もあるくらいだ。
米軍基地の公害を嘆くのなら、基地のないところへ移住すればよい。
雪の降らない暑い沖縄に生まれた宿命を嘆くなら、雪見酒を楽しめる雪国へ移住すればよい。
花見の宴を羨むなら、桜の名所に移住すればよい。
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3/17追記
琉球新報3/17社説 「捨て石」削除 本質から目を覆う暴挙だ
「捨て石」削除 本質から目を覆う暴挙だ
県が第32軍司令部壕説明板の翻訳用文案から「捨て石」の記述を削除した。沖縄戦の本質から国民の目を覆う暴挙だ。県は直ちに元の文案に戻すべきだ。
誤解されがちだが、捨て石とは情緒的な物言いではない。資料に裏打ちされた歴史的事実である。
1945年1月、大本営は帝国陸海軍作戦計画大綱を定めた。沖縄戦を戦う上で法にも等しい公的文書である。
そこには「皇土特ニ帝国本土ノ確保」を作戦の主眼とすると書いていた。沖縄を「縦深作戦遂行上の前縁」と位置付け、「前縁」では「極力敵ノ出血消耗ヲ図」ると定めていた。本土決戦に備える(縦深作戦)ため、時間稼ぎをする(出血消耗を図る)のが目的なのだ。「捨て石」は、これを3文字に要約したものといえる。
故に、住民を守るはずの軍が住民を戦闘へ巻き込み、時に壕から追い出すなどした。沖縄戦の悲劇性の根源はこの方針にある。だからこそ、「捨て石」は沖縄戦の核心、象徴であり、その削除は本質を覆い隠すことになるのだ。
それだけではない。戦後も日本は独立と引き換えに沖縄を米国に差し出した。本土で米軍基地が問題化すると、本土の基地は縮小して沖縄に基地が残り続ける事態は放置した。戦中も復帰前も復帰後も、「捨て石」は沖縄と本土の関係を象徴するキーワードなのだ。その削除は、現在に通底する問題を見失うに等しい。
県は削除の理由を、元の文案が「長かったから」と説明する。耳を疑う。説明板の検討委員は沖縄戦史に通じた専門家だ。文案には研究の成果が込められている。それを削除するのに、「長かったから」が理由になるのか。
委員によると、文案を議論する際、県の担当者は委員の意見を尊重し、むしろ積極的にくみ取る姿勢だった。
してみると、「捨て石」の削除は、県上層部の意思ではないか。だが「捨て石」は資料に裏打ちされた言葉だから、削除を正当化する理由はない。だからこそ「長いから」という理由にならない言い訳をこしらえた。そう解釈すればふに落ちる。
そうでないのなら、県は研究成果を尊重すべきだ。ことの本質を伝えず、後から歴史を書き換えて何になろう。歴史から教訓を学ぼうとしない者は、過ちを繰り返しかねないと知るべきだ。
(琉球新報3/17社説、記事原文はコチラ)
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