狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

橋下徹氏が甦らせた「白旗・赤旗論」

2022-08-16 07:40:00 | 政治

橋下徹氏が甦らせた「白旗・赤旗論」

長い江戸時代のおわり
朝日新聞の特集した豊永郁子氏の「白旗論」は目新しい話ではない。この元祖はは、40年以上前に森嶋通夫の主張した「白旗・赤旗」論である。われわれの新著『長い江戸時代のおわり』の第6章から、これに関する議論を紹介しておこう。

池田  平和ボケの戦後第一世代からはずっと下なのに、ウクライナ戦争でトンチンカンなことを言って炎上したのは橋下徹さんです。大阪で政治家をやって日本維新の会を作ったころは、むしろ護憲派を批判するリアリストとして振る舞っていたのに、今回は「戦争で民間人が犠牲になるのはよくないから、ウクライナは降伏した方がいい」とか「戦争しないで『政治的妥結』すべきだ」などとTVやツイッターで繰り返しました。

ところが多くの人に批判されたら主張を180度急変させて、「ウクライナに『戦え』と言うなら、NATOは自ら参戦しろ」とか「政治家を民間人の人質と交換しろ」とか言い出す。支離滅裂で、何がいいたいのかわからない。

與那覇 私は今回の言動のおかげで、逆に橋下さんに一貫性を見出せるようになりました(笑)。最初は無抵抗主義の超ハト派で、途中から核戦争も辞さない超タカ派になったわけですが、これは「俺に後ろめたい思いをさせんなよ!」というメッセージでは一貫していると思うんですよ。

毎日ニュースで戦場となったウクライナの映像が飛び込んできても、なにもできない私たちとしてはただ後ろめたさを感じるしかない。そうした罪責感を消す方法の一つが、ウクライナが降伏して戦争が終わってくれること。もう一つが自分たちも直接参戦して当事者になり、「他の人に不条理を押しつけてはいませんよ」というポジションを獲得すること。その点ではハト・タカの垣根を超えて、彼が提示した二つの選択肢は一致しているわけです。

橋下さんはかつて、政策の面でも日本には珍しい「新自由主義」の政治家でしたが、多くの日本人が「新自由主義的」と見なして嫌っているのは、むしろそうしたエートスの方だと思うんですよね。とにかく自分が後ろめたく感じるのが嫌で、だからあらゆる詭弁や罵詈雑言を駆使して「俺は完璧に正しく、なにひとつ悪くない!」と強弁する。困窮している人を見たら「どうせ自己責任だ」、自分を批判する意見に対しては「利権で言ってるだけだろ」みたいな。

池田  彼に一貫性があるかどうかは疑問だけど、伝統的な左翼の護憲派とは違うという一方で、自民党の右派とも違うという差別化を考えてるんじゃないですか。かつて仲のよかった百田尚樹さんとか有本香さんのようなネトウヨとも決別してしまった。今度の選挙で野党第一党になるかもしれない維新がどういう立ち位置で戦うかを、彼なりに考えていたと思うんです。

ところが悲しいかな、外交・防衛についてはまるで予備知識がないものだから、テレビで行き当たりばったりに「そこは違う」などとコメントしているうちに、右でも左でも真ん中でもない、訳のわからない話になってしまった。日本維新の会の党としての見解は常識的なものですが、多くの人が橋下さんの意見を維新の方針だと思って、コアなファンが離れてしまった。これは維新としては大きな損失だと思います。

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沖縄タイムス・新川明が捏造した「白旗の少女」、捏造された卑劣な日本兵

2022-08-16 06:23:03 | 政治

沖縄タイムス・新川明が捏造した「白旗の少女」、捏造された卑劣な日本兵

2021-06-29 10:30:57 | ★改定版集団自決

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沖縄戦の再検証のため過去ブログ新川明と白旗の少女 捏造された一フィート運動2009-08-12 を編集・再掲します。

                ★

『うらそえ文藝』の集団自決特集の対談で、「一フィート運動」の創始者である上原正稔氏が「沖縄タイムス恐喝事件」を暴露したことが話題になった。

当時富村順一氏の恐喝に50万円を脅し取られた沖縄タイムス編集局長新川明氏(後に社長)は、定年退社後も極左評論家として健筆を振るっている。当日記には何度も登場した沖縄タイムスOBである。

新川明

新川明氏は、一人の論者を集団で袋叩きにする「沖縄イニシアティブ方式」という言論封殺方式の主導者として当日記に登場している。

実は小林よしのり氏もこの言論封殺の犠牲者である。
 
ことの発端はこうだ。
 
沖縄の作家目取真氏が琉球新報で小林氏を批判というより、罵倒した。
 
それに反論した小林氏が犠牲になった。
 
体のいい言論封殺だ。
 
目取真氏が「沖縄版・言論封殺魔」といわれる所以である。
 
ことの詳細は雑誌『WILL』増刊号に「これが沖縄の言論封殺だ」というタイトルで、筆者(狼魔人)が寄稿してあるので読んで欲しい。 『WILL』の記事は、ここで読める。⇒罠にかかった小林よしのり 護送船団方式の沖縄論壇
 
そして、新川明氏の当日記へのもう一度の登場は「一フィート運動」の記録フィルムを歪曲する卑劣な絵本作家としてである。

新川明氏は、米軍が写したフィルムの中に、偶々写っていた白旗を持つ少女の映像を発見し、絵本という形で子供たちに「悪逆非道な日本兵」を教え込む平和教育教材を作った。

これに関しては当日記で過去に再三エントリーしたが、今でも一日に100件近くアクセスのある人気エントリーである。

ちなみに「1フィート運動」は左翼集団に乗っ取られイデオロギー化したため、創始者の上原正稔氏は現在これに関わってはいない。

以下は白旗の少女の神話ー改定版を編集した再掲です。

                   ◇

 

「白旗の少女」や長寿の秘密 高校英語教科書に“沖縄” 

 

米軍によって撮影された記録フィルムの中で、戦争に翻弄される子どもたちの姿は見るもの胸を打つ。

中でも特に有名な二枚の少女の写真は、戦争の残酷さを伝えて圧倒的迫力で見る者の心を大きく揺さぶる。

その写真の一枚が白旗の少女として知られ、もう一枚は「うつろな目の少女」として後に有名になる写真である。

うつろな目の少女が、実は女装した男の子であったということを知る人は少ない。⇒「うつろな目の少女」の秘密!

  

白旗の少女とは、沖縄戦で白旗を掲げ投降した少女のことで、大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』に写真が初めて登場。

「1一フィート運動」の成果である1986年公開の米軍撮影記録フィルムの中の少女の笑顔が県民の印象に残った。

少女は当時7歳の比嘉富子さんであった。

手製の白旗を掲げ投降する少女の姿は、男服を作り変えたと思われるボロボロのもんぺに裸足のみすぼらしい姿で、健気にも白旗を右手に、左手でカメラのレンズから顔を隠しているように見え、見る者の心を打った。(映画版を見るとカメラに手を振っている様子)

後の調査によると、少女を写したカメラマンは二人いて、一人が記録映画、もう一人がスチル写真を撮影した。

以後白旗の少女の写真は多くの沖縄戦記出版物に転載され見るもの全てを圧倒的感動の渦に巻き込んでいく。

白旗の少女の発掘は、『写真記録「これが沖縄だ」』(1977年)の初版発行の7年後になるので、同書掲載の写真は1987年の改訂版で新たに掲載したのだろう。

新川明が白旗の少女を捏造ー卑劣な日本兵を創作

白旗の少女が公開されたその翌年の6月には、左翼ジャーナリスト新川明氏(元沖縄タイムス社長)と画家・儀間比呂志氏がコンビを組んで『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』という絵本が出版され、同書を原作にしたアニメ映画まで製作されている。

 白旗の少女が教科書に載ったり、修学旅行生に紹介され、写真やフィルムを見た多くの人々がその場面に衝撃を受けるのは、白旗を手に投降する少女のけなげな姿にあったのではない。

読者が衝撃を受けたのは、「平和教育」のため、歪曲され、捏造された醜悪な日本兵の姿である。

米軍が提供する沖縄戦の写真を歴史教育に使用するのは異存はない。

だが、事実を捻じ曲げ日本兵貶めるとなると話は別だ。

記録写真を見た「識者」の色メガネを通して、歴史が捏造される典型的例が「白旗の少女」だ。

新川明著『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』には、少女(りゅう子)が白旗を掲げて銃剣を構える米兵に投降する場面(先頭のりゅう子の後ろには両手を上げた多くの日本兵が追随している版画絵)で、少女は日本兵と住民が雑居する壕にもぐりこむが、壕を取り囲む米軍に投降勧告をされ、誰が最初に壕をでるかで日本兵達が醜く言い争う。

そのクライマックス・シーンで次のようなくだりがある。

 兵隊たちがいいあらそいをはじめました。

「おとなしく出れば殺さないはずだよ」

「では、だれがさいしょに出るのか」

「こういうときは、兵隊さんがさきだよ」

ほかの人たちもいいあらそっています。

「あなたたちは、そんなに死ぬのがこわいのか!」

りゅう子をガマに入れまいとした女の人が叫び出すと

隊長はあわてて雑のう(ものをいれるもの)から白い布をとりだしていいました。

「ためしに子どもをさきに出してみよう!」

ゆっくりと目をあけると

すきとおるひかりのむこうに

アメリカ兵のすがたがみえました。

戦車のかげで鉄砲をかまえたまま

白い歯をみせてわらっています。

 

ふりかえると、日本兵たちが

両手をあげてついてきました。

おじいさんや女の人も

よろよろとつづいていました。

そのむこうに、ガマが黒い口をあけていました。

 

同書の「あとがき」には次のように書かれている。

 
  <さる太平洋戦争では中国をはじめたくさんの国の人たちが犠牲になりました。日本の国民もヒロシマやナガサキに代表される大きな被害をうけました。しかし、沖縄戦は、ほかにみられない軍隊の姿をさらけ出しました
 本来、軍隊は国土と国民を守ることをタテマエにしていますが、究極的には自国の国土の中でさえ、自国の国民に銃口を向けて食糧を奪い、無闇に住民を殺す存在でしかないことを明らかにしたのです。それが、戦争であることを沖縄戦は教えました。
 >
 
<私たちはこの絵本作りで、沖縄戦世を追体験しました。
 はじめに、沖縄一フィート運動の会が入手した米軍の沖縄戦記録フィルムに、爆砕された山の石ころ道を、白旗をかかげて米軍に近づいてくる少女がありました。おかっぱ頭で、モンぺはずたずたに裂け、焦土を踏む素足が痛々しい。
 さらに映像は、ロングになり、少女の約十メートル後から、両手をあげて、ついてくる日本兵たちの醜い姿まで写していました。それは、わずか数秒のカットでしたが、見ている私たちにあたえた衝撃は小さくありませんでした。 >
 

日本軍への憎悪を掻き立てるような文章を書いた新川明氏は、元沖縄タイムス社長で、沖縄紙の論壇からから保守論客を放逐した左翼ジャーナリスト。

また、版画絵を担当した儀間比呂志氏は、沖縄ではよく知られた文化人で、このコンビで作られた絵本は読者に大きなインパクトを与えた。

絵本が糾弾するのは、白旗を持った少女を盾に米兵に命乞いする日本兵の卑劣な姿であった。

■実際はどうであったのかー比嘉富子さんの証言

記録映画版の映像で動画を見ると、虚脱したようにゾロゾロ歩く避難民の列の中に少女を見たカメラマンが、その姿に興味を持ってカメラの焦点を合わせ、気が付いた少女がカメラに手を振ったという印象である。

それを示す他の角度の写真には少女の背景に反対方向に向かって歩く日本兵らしき人(防衛隊という民間人の可能性も)のリュックを背負った姿も映っており、「識者」たちが主張する少女を盾にした卑劣な日本兵という雰囲気は画面からは読み取れない。

 


1985年、新川明氏が創作した『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』の発刊で、「卑劣な日本兵」という神話が一人歩きを始めた。

それを見たご本人の比嘉富子さんが、1987年「白旗の少女は私です」と名乗り出て話題を呼んだ。

そして1989年、今度は比嘉さん自著による『白旗の少女』(講談社)が刊行される。

比嘉さんは当初名乗り出ることも、自著を出版することも躊躇していたと記されている。

そして比嘉さんが、あえて自筆による出版に踏み切った動機を次のように書いている。

・・・ところで、沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画のなかで、白旗をもって投降するわたしのうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、わたしを盾にしてついてきたかのようにごかいされてているのは、大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、わたしの歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、偶然、一本道でわたしと合流した人たちです。 そして、私のほうが先に一本道には入ったため、あたかも白旗をもった私を弾よけにして、あとからついてきたかのように見えるのです。
したがって、わたしと、背後から歩いてくる兵隊さんとは、いっさい関係がなかったのです。 このことは、事実として書き加えておかなければなりません
。(204、205頁)>

比嘉富子さん、よくぞ無事で生きておられて、よくぞ真実を告白してくださいました。

不幸にして比嘉さんが生きてはおられず、また生きてはいても何かの都合で名乗り出ることなく沈黙を守っていたら、どうなっていたか。

「少女を盾にした卑劣な日本兵」は歴史として永久に沖縄戦の歴史に刻まれていた語であろう。

ここで登場する日本兵は名も顔も知られぬ無名兵士ゆえ、梅澤、赤松両隊長のように名前を特定されることはない。

だが、日本軍の代表として「醜悪な日本兵」の印象が沖縄戦史に刻まれていたであろう。

記録映画を見た観客は、真実をそのまま写すカメラの目を通して事実を見る。

だが、新川明氏や儀間比呂志氏のような「識者」の文や絵を通して伝えられるものは真実とは遠くかけ離れたものである。

では、「白旗の少女」のご本人である比嘉富子さんが、名乗り出て真実を告白したため「白旗の少女」の神話は崩れ去ったのか。

否、そうではない。

相も変わらず「卑劣な日本兵」を断罪する『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』は一行の訂正もされず発売されているし、全県の図書館で読むことが出来る。 そして子どもたちへの「平和教育」では「悪逆非道」のイデオロギーで日本軍を貶め続けている。

デタラメな記事を満載しながら、今でも発売し続ける『鉄の暴風』と同じ構図である。

「りゅう子の白い旗」の書評

●沖縄タイムスの書評(1988年6月22日)=「琉子」は沖縄戦を描いた絵本「りゅう子の白い旗」を映画化したもの。主人公・琉子の体験を通して、日本軍の住民に対する残虐な行為など戦争の悲惨な実態を描いたもの。対照的に沖縄の自然や情景を織り交ぜた美しい映像で、命の尊さを訴えている

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