狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄戦での米兵の蛮行、日本兵を殺した沖縄人

2022-12-27 14:24:31 | 資料保管庫

 

 

 

 

 

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沖縄戦史を書いた本は数多くあるが、米軍上陸後の米兵の住民に対する蛮行について記した本は殆どない。 

恥じるを知る沖縄人は自分や家族が米兵の陵辱に会った事を他人に言いふらすはずはない。

昭和20年の米軍上陸から昭和30年の約10年間の米兵による住民への蛮行を米軍のプロパガンダ紙であった沖縄紙が報じるはずも無かった。

従ってこの間の約10年間は沖縄戦史にポックリと大きな空白を生じている。

昭和30年に起きた「由美子ちゃん事件」を契機に初めて地元マスコミが米兵の蛮行を大々的に報じることになる。

 

比較的戦闘の少なかった北部地域では米兵の強姦事件を防止するため4月の時点で既に米軍公認の売春宿が設営されていたと書いた。

詳しい状況を知りたいとの問い合わせがあったが、出典元の『天王山』は上下二冊で1000ページ近くの膨大な本故、同書から該等部分を抜粋し以下に引用する。

 

天王山 沖縄戦と原子爆弾 上 (早川書房)  ジョージ・ファイファー 小城正 訳(267、258、269頁)

≪4月20日、北部地域における組織的な抵抗が終了した旨公式の声明がなされ、海兵隊6師団は掃討戦に転じ、兵器の手入れをしたり写真をとったり、赤十字のテントで歯磨きや剃刀の刃や煙草を受領し、大雨の降っている間はできれば昼寝をし、晴れている間には靴を磨くといったような、軍隊生活でのささやかな楽しみを味わいつつあった。(略)

まもなく、冒険を求めていた多くの若い兵が、運天村の近くのある家に急いで行くようになった。 物事がすべて厳格におこなわれているときには、売春宿を設けることは合衆国海兵隊としてふつうに行われていることではなかった。  しかし、ここでは例外を設けるだけの理由があった。 海兵隊がこれまで戦った太平洋のすべての島の中で、沖縄はたくさんの魅力的な女性を含めて、大きな民間人の人口を有するはじめての島だった。 すでにごく少数の女たちが食べ物と交換に売春していたが、花柳病を予防するとともに、部隊のあとを追って女たちがどこまでも移動するのを避ける手段として、こうすることが適切と思われたのである。 また、兵が村の中をうろついたり、既に若干の苦情が申し立てられているように、強姦事件を予防する上においても、良い方法であると判断されたのであった。
水上特攻艇や超小型潜水艇の巣窟として占領され運天は、本部半島の海兵隊第六」師団司令部所在地から15マイル北方にあった。 自ら志願して集まった女性達は毎日、衛生部員による検診を受け、大きい清潔な家で働いており、長い時間働いて、その地方の標準からすればかなりの金額を稼いでいた。 また、ここに通う者も相当の時間をかけなければならなかった。 まず、長い列を作って順番を待ち、三円(三十セント)券を買いーこのような占領を予期して既に軍票が作られていたー衛生部員のいるテーブルでコンドームを受領し、それから売春やどの入り口にできている、もっと短い列の後尾について順番を待たなければならなかった。  そして、マダムが相手を割り当ててくれる間、小部屋で待つのである(ある「年配」の兵はー26歳だったー小部屋の女性用のベッドに腰かけて待っていると、13歳ぐらいの女の子が入ってきた。 彼がその女の子に身振りで帰るように合図をすると、彼女はマダムと一緒に引き返してきた。 そして、マダムは彼に、その子で満足するか、あるいは帰るようにといったのである。 そこで、彼は女の子を受け入れることにした)。  このような「キャット・ハウス」の存在はもちろん発表されることもないし、認められてもいなかったが、連隊付きのカトリックとプロテスタントの従軍牧師がこの不名誉な話を聞きつけて抗議した。 連隊長は現代的な心の広さを見せて「もし私の部下がセックスすることを望むなら、そうさせてやるまでのことだ」と答えた。 二人の牧師は転属を願い出た。≫

『天王山』はアメリカ人が書いた沖縄戦記だが体験者として沖縄人が書いた沖縄戦記にも米兵による住民への残虐行為を記した部分がある。

以下に引用の「月刊ビューポイント」記事と上記引用文を照合すると米兵の知られざる「住民への蛮行」が垣間見れて興味深い。

 

平成19年10月31日
真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から62年 第2部  <9>

相次ぐ米軍の無差別攻撃・暴行
住民、一斗缶鳴らし自衛
 日本兵の使っていた壕を海兵隊員が攻撃した際にケガをした少女を抱く第1海兵師団所属のデロマ薬剤師助手。民間人の誰もがこの少女のように扱われたわけではない(米軍撮影、沖縄県立公文書館所蔵)  (中略) 

だが、本土と沖縄を分断させる「米軍のヒューマニズム」戦術は、沖縄県民を一時的には感動させたが、人為的な政策であり、すべての米軍がヒューマニズムあふれる行動を取ったわけでは無論なかった。

 長周新聞社(下関市)が平成十七年に発行したパンフレット『沖縄戦の真実-千人の沖縄県民に聞いた本当の声』は、原爆展を沖縄で行った時の劇団はぐるま座、富田浩史氏のルポを掲載している。そこには、沖縄のメディアや地元の学者らが強調する「日本軍が住民を壕から追い出したり、スパイ容疑で殺害したり、あるいは凄惨(せいさん)な集団自決にすら追い込んで“本土決戦”を準備するための“捨て石”にした」という沖縄戦とは全く違った県民の証言が収録されている。幾つか紹介しよう。

 六十代の婦人。「糸満市のいま“ひめゆりの塔”のあるあたりで逃げ場所をなくしたとき、いったんすれ違った米兵に突然銃を乱射され、母は後ろから背中を撃たれて大ケガをして死んだ。叔母もいとこも即死だった。……父の弟の奥さんなどは、壕の中でなにかの破片が顔にあたり、鼻がとれて穴が空いているだけの無惨な顔にされてしまった……」

 本部町出身の六十代の婦人。この女性は沖縄戦の時、二歳だった。あまりに泣くので壕から出されてしまった。「そのとき母が壕から出てわたしを守ってくれた。助けてくれたのは母親だった。米兵ではなかった」と話す。

 <当時一六歳だったその婦人のお姉さんは、敗戦直後、女友だちと二人で歩いているとき、突然あらわれた米兵に襲われた経験があるという。お姉さんは危うく難をのがれたが、友だちは目の前でなぶり殺しにされたそうである>と富田氏は続ける。

 ほかにも、壕の入り口で赤ん坊にお乳を飲ませていた母親が米軍の戦車砲の一撃で惨殺された、北谷(ちゃたん)町では軍人・民間人の区別なく皆殺しにして、遺体を股(また)裂きにして海に投げ込んだ、十歳の少年は降参旗を振ったが艦砲に撃たれて死亡、さらに戦後も米兵の暴行を告発する証言などがあふれている。

 同新聞は、日本共産党から除名された福田正義氏が創刊したもので、反米色が強い。それでも現在の沖縄のメディアが封印している事実を暴露している点で意味があろう。

 昭和八年生まれの宮里真厚氏は、戦争前後の様子を『乙羽岳燃ゆ』にまとめているが、そこには、戦闘が終わると黒人兵や白人兵が夜、民間地帯に出没、民家に上がり込み「女性を出せ」と要求して住民を不安に陥れた、と書かれている。実際、宮里氏の近所にもアメリカ兵が来た――。

 <(米兵が上がり込んだ家の)奥の座敷の住民が打ち合わせ通りに、天にも届けとばかりに勢いよく一斗缶を叩(たた)き出したのである。そうすると隣の家でも一斗缶を叩く音がして、そのうち村中がガンガンなり出した>

 しばらく茫然(ぼうぜん)として立っていた米兵は、事の成り行きを察知するや、一目散に大通りの方へ駆け戻っていったという。翌朝、門の前に大型の牛缶が二個あった。米兵が慌てて落としていったものだ。その牛缶をめぐって住民の議論が白熱したが結局、みんなで食べることに。その「恐怖の報酬」の味たるや、「終生忘れることはないうまさだった」と宮里氏。

 戦中派の沖縄県民からも、頻発する米兵のレイプに対して、家に鉄条網を張ったり、各家庭にドラム缶を置いて、米兵が来たら思い切り鳴らして精いっぱいの威嚇をしたという話を聞いた。

 「米軍のヒューマニズム」は広く流布されて、こうした占領下での米兵の乱暴狼藉(ろうぜき)を告発する記録はそれほど多くない。

(編集委員・鴨野 守)

米兵が女を求めて民家を徘徊したという証言を記録した乙羽岳燃ゆ』 のタイトルにある乙羽岳とは沖縄の本部半島の運天の近くにあり、アメリカ人ジョージ・ファイファーが書いた『天王山』の記述と沖縄人宮里真厚氏が書いた『乙羽岳燃ゆ』の記述が一致し、沖縄における米兵の蛮行がここであぶりだされてくる。 

現在の乙羽(おっぱ)岳はキャンプ地になっており近隣にある乙羽牧場の「おっぱ牛乳」や「おっぱアイスクリーム」は沖縄北部観光の名物にもなっており、名護入り口の「道の駅・許田」で販売されている。

「おっぱアイスクリーム」をなめながら夏のキャンプを楽しむ若者に、

かつてこの地で米軍による住民陵辱が連日のように行われていた歴史を知る者はいない。

「集団自決」に追い込まれた住民が怯えた「米兵の蛮行」はけして単なる噂ではなく実体験として沖縄住民を襲っていたのである。

「集団自決」のパニックへ住民を追い込んだのは軍命ではなく、

「米兵の蛮行」への恐怖心であると思う方

クリック」お願いします。

■乙羽岳森林公園

■[道の駅 許田] おっぱ牛乳のアイスクリーム http://blogs.yahoo.co.jp/eminee_k/52991779.html
 

【おまけ】

読者の 提供して下さった富村順一氏の独白です。

              ★

押しかけて来た大江派

 話は変りますが、今大江(健三郎)先生を支援している方々の中には私の知人が沢山います。(11)9日の裁判を傍聴に行き、多くの知人と会いました。それらは皆大江さんを支援する人達でした。沖縄からはフォークシンガーも来ていました。その人と私はレコードを出したこともあります。

 実は去年(平成18)10月に私は堺市の阪南病院という精神病院に一晩泊められたことがあります。大江支援者が何度も私の家に押しかけ、私と口論となり、私はその人達を木刀で叩き、大怪我をさせたことがあります。その連中は何遍も私の家に押しかけてきて、また私の留守中に出版物や名詞などを盗んでいくために私は犯人は判かっていました。大江先生を支援するグループと知ってましたから、警察に訴えましたが、警察は対応しませんでした。仕方なく私は、今度来たらひどい目に遭わせてやろうと思って枕元に黒檀の木刀を置いてありました。その木刀は朝日新聞で拳銃で自殺なさった野村秋介さんから頂いた木刀で、今手元にあります。

 

島を救った元隊長さん

 どのようにして話してよいか、前後区別もつかなくなり、何度も録音を取り直しましたが、自分の云いたいことを録音できません。

 私は人間を余り信用しません。と云うのは、座間味戦記を書いた、中村先生御存知の宮城晴美さん、あの『母の遺したもの』は、梅沢さんが自決命令を出してないと断言しています。だが彼女は法廷ではその立場を覆した。そのようなことを新聞で読んだことがあります。自分の書いたものにも責任が持てない。それは無論他人事だけではなく、私も赤松隊長について間違ったことを聞き、書いたことがあります。これは謝罪すべきです。何れ本が書けるようになれば、本で間違ったことを訴えているのなら、また本で謝罪をしたいと思ってます。

 私は嘘を云って遺族年金をごまかした人間が一方的に悪いとは思っていません。

 もし梅沢隊長や赤松隊長に濡れ衣を着せなければ、今の座間味島や渡嘉敷島はあのような仕合わせな島にはなってはいません。宮城初枝さんが嘘の沖縄戦記を書いたために、多くの本土の方々は宮城初枝さんから捏造した沖縄戦記を聞き、その家に泊り(宮城初枝さんは民宿を経営していた)、帰る時には余分な金まで置いて行ったために、宮城初枝さんの三人のお子さんが大学に進学出来た訳です。また本土から平和教育のために多くの中高校生が行ってます。その語り部が宮城初枝さんなんです。

 亡くなられた赤松隊長には申し訳ありませんが、濡れ衣を着てくれたお蔭で島の人が仕合わせになったとお考えなされば、気も休まれるんではないかと私は思ってます。故に沖縄の座間味島、渡嘉敷島の戦後の困難を救った方が、濡れ衣を着た梅沢隊長であり、赤松隊長だと思います。そのようにお考えになれば、多少なり心が安らぐことがあるのではないでしょうか。

 

「沖縄出身の日本兵」のこと

 さて、私が沖縄戦を語る時、ただ座間と渡嘉敷ではありません。久米島でスパイ容疑で殺された朝鮮釜山出身の具仲会さんのこともあります。戦前、具仲会さんは沖縄で鍋や薬缶(やかん)などを修理する鋳掛け屋さんをしていました。その方は標準語を使っていたので、日本人だと思ってました。あとで韓国人だと判りましたが、その家族七人がスパイ容疑で生後三ヶ月の赤ちゃんまで殺されました。

 その日本名谷川昇、具仲会さんは三年間私の面倒を見て下さった方です。何故私が具仲会さん一家にお世話になるようになったかと申しますと、具仲会さんは鍋や薬缶、釜の修理をしながら、朝鮮飴とスクラップの物々交換をしてました。私はその朝鮮飴を全部盗んだのです。具仲会さんに捕まってしまい、盗んだ理由を話すと、「ならば家(うち)に居なさい」と云う訳で、私は具仲会さんと一緒に具さんの大八車の後(あと)を押して、三年間沖縄本島を渡り歩きました。その一家が私にとっては命の恩人であり、また具仲会さん夫婦は私にとっては三年間、お父さんでもあり、お母さんでもあった訳です。

 長男坊に私より二つ歳下の一夫君がいましたが、一夫君が米軍の缶詰を持っていると山の部隊に報告したのは一夫君の先生なんです。その先生がカズオ君が米軍と会っていたとか、様々なことを部隊に報告した訳です。

 また朝鮮人一家だけでなく、23人の町民もスパイ容疑で殺されましたが、そのリストを作ったのは学校の先生であり、女性で初めて県会議員になった上江洲(うえす)トシさんです。そのことは私は『隠された沖縄戦記』という本に書いていますが、事実であるから上江洲さんは私を訴えることは出来ません。

 また島民を殺した日本兵と云えば、皆本土出身の日本兵と思うでしょうが、本土出身の日本兵は沖縄の地形はよく知らず、同じ沖縄人をスパイ容疑で殺したのは現地で入隊した防衛隊であり、護郷隊です。沖縄出身の日本兵です。だから沖縄の作家達は、沖縄戦記を書く場合には、「沖縄出身の日本兵」とは書かないのです。ただ「日本兵」と書けば、日本人は「本土出身の日本兵」と考えるでしょう。

 このように沖縄人は、自分達に都合のいい沖縄戦記を書いています。

 

日本兵を殺した沖縄人

 さて、自分のことも云わなければなりませんが、米軍が本部(もとぶ)半島や今帰仁(なきじん)に上陸すると同時に、本部村と今帰仁村の村民は米軍によって全て今の名護市、もとの久志村に収容されました。故に久志村に行った人々は飢えてましたが、今帰仁や本部は無人の村となり、芋をはじめとする食べ物が沢山ありましたので、私達は久志村の山を越えて、四、五日おきに本部や今帰仁の畑に芋堀りに行ってましたが、久志村の山では南部から生き延びてきた日本の敗残兵が四、五人ずつグループをつくり、二百人近くいました。私達が歩いていると、飢えた日本兵がよく「芋を下さい」と云って私達少年に頭を下げてきました。

 ある日のこと、元学校の先生が、「山には日本兵がいるでしょう。その日本兵にこの手紙を渡して下さい」と私達四、五人の少年が手紙を預りました。手紙の内容はよく分りませんでしたが、私達は本部に芋堀りに行く時に、途中の山に立て篭もっている日本兵に渡したのです。

 その翌朝、午前三時頃、激しい機関銃の音がするので、夜が明けてから行ってみると、きのう私達が手紙を渡した日本兵です。後で知ったことですが、私達に手紙をことづけた元学校の先生は手紙に「食べ物はあるから村まで取りにお出で」というような内容を書いていたようです。

 翌朝、自分達がきのう手紙を渡した日本兵が田圃の中で死んでいました。昭和21年の秋でした。沖縄は年に二度米が取れますが、二回目の稲が青々と茂ってましたので、秋だと私は思ってます。

 沖縄人は物欲しさに、山に隠れている日本兵をおびき寄せ、米軍に狙い撃ちさせ、そのご褒美に食べ物を貰った人達も沢山います。私もその一人です。だがそのような沖縄戦記を書く人は沖縄には居ません。だが私は『沖縄戦語り歩き』という本に書いてます。私が一番今でも悲しい思いをしているのは、四、五十人の村人が大きな壕に避難してました。一番奥には学校の先生や村の有志たちが一番安全な所に坐り、子供達お年寄りは弾除けのように壕の入り口に坐っている訳です。そのようにして犠牲になった子供お年寄りが沢山います。

 また或る日のこと、元学校の先生が、或いは村の有志が、私達十二、三歳の少年達に「喉が渇いたので砂糖黍を取って来い」と云ったので、私達は三人で取りに行きました。その時に二人の少年は、米軍によって艦砲射撃で殺されましたが、それがきっかけで、私は村人の壕に帰らず、一人で居るハンセン氏病のお爺さんと沖縄戦を生き延びたのです。

 戦後四、五年の沖縄の現状は、今の北朝鮮と同じだったのではないかと私は思ってます。終戦後、金は通用しません。全ての食べ物は米軍からの無償配給です。故に公平に分配すべきですが、この分配する係りになったのが元学校の先生や村の偉い方々です。その人達が他の一般の人達の何十倍も横取りして、飢えた人達は蘇鉄を食い、命を落とした人も沢山居ます。中毒死する蘇鉄も、食える蘇鉄もありますが、その見分けはつきませんでした。

 故に人間は、いくら知識や知恵があっても、飢えた時には狼になると思います。

 

 

沖縄集団自決の真実

「沖縄人の見た沖縄戦」③

――「嘘を云ったお祖父(じい)やお祖母(ばあ)は沢山いる――

 

ルポライター(沖縄県国頭郡出身)   冨村順一(大阪市西成区78)

 

平成20310日  昭和史研究所会報 第131

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

残されたわずかな時間の中で歴史の証言を収集記録し、後世に伝えます。

これは本来国家のなすべき事業なのです。

 

参考⇒「サイパンの悲劇」と「集団自決」

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コメント

#ゆっくり解説 #政治 【ゆっくり解説】あの後も沖縄タイムス阿部記者は変なことばかり言ってます…

2022-12-27 08:18:53 | 政治

 

 

 

 

#ゆっくり解説 #政治

【ゆっくり解説】あの後も沖縄タイムス阿部記者は変なことばかり言ってます…

阿部記者本人の発信してるTweetとか動画とかまとめてくれるのすごいっすね、、、俺なら吐き気でまともに見れすらしないと思う。 ただこのような頭のおかしな(というか分かってて踊ってるのかもしれないが)記者を逆に広告塔にして沖縄タイムスのヤバさ、沖縄のヤバさを布教していくことはとても意義のあることだと思います。 頑張ってください。
一部を表示
 
 
16:35 「阿部記者には理屈が分からぬ」めちゃくちゃ草生えた でもこれ現文ままの「政治が分からぬ」でもほぼ問題なさそう
 
 
阿部くんの発言が日本人に対するヘイトスピーチなんだよなぁ…(無自覚)
 
 
 
 
相変わらず「ヘイトスピーチ」「ネトウヨ」って魔法の言葉使ってるんですねすごい記者なんですね(棒読み
 
 
途中でいつの間にか話変わってるの才能だと思うわ阿部さん
 
コメント (2)

集団自決、嘘つき教師が嘘の上塗りを出版!

2022-12-27 08:15:30 | ★改定版集団自決

集団自決、嘘つき教師が嘘の上塗りを出版!

2020-08-23 07:12:54 | ★改定版集団自決

 

きょう(23日)の沖縄タイムス社会面

宮城恒彦さん死去 86歳

座間味「集団自決」証言

               ★

沖縄タイムス+プラス ニュース

座間味「集団自決」の証言者 宮城恒彦さん死去 86歳

2020年8月23日 09:19

 沖縄戦中、座間味村で起きた「集団自決(強制集団死)」を生き延びた宮城恒彦(みやぎ・つねひこ)さんが21日午前2時10分、肺炎のため亡くなった。86歳。家族によると2週間ほど前から体調を崩し、入院していた。葬儀は22日、豊見城市の自宅で近親者のみで執り行われた。併せて初七日も繰り上げ法要で行った。

戦争体験を語る宮城恒彦さん=3月17日、豊見城市

 戦後は小学校の校長を務めた。ハルさんを壕に残したことを悔やんでいたという母ウタさんが亡くなったのをきっかけに、88年から戦争体験者への聞き取りを始め、自費で証言集28冊を発行した。

 告別式は、三七日(みなんか)の9月10日、もしくは五七日(いちなんか)の9月24日に開かれる予定。喪主は妻の美代子(みよこ)さん

                ★

戦後75年の節目に沖縄戦の語り部が他界するのは残念。

ご冥福をお祈りする。

だが、宮城恒彦氏のように嘘の証言をする方に対しては、歴史の真実として反証しておく必要がある。

過去ブログをサルベージし集団自決、嘘つき教師が嘘の上塗りを出版!2011-05-26を編集して再掲します。

                ★

「集団自決」軍命を記録 座間味村の戦争体験記第23号発行

2011年5月24日      

「人を狂気に陥れる戦争を二度と起こしてはいけない」。座間味村民の戦争体験を23年間発行してきた宮城恒彦さん=10日、豊見城市渡嘉敷の自宅
 
  【豊見城】沖縄戦中の1945年3月26日、座間味村で起きた「集団自決」(強制集団死)の生き残り、宮城恒彦さん(77)=同村出身、豊見城市渡嘉敷在住=が23年間続けてきた沖縄戦体験記発行に一区切りつけた。同村住民の戦争体験を収集し、最終号の第23号を3月に発行。宮城さんは「集団自決」で姉の宮平ハルさん(当時19歳)を失った。「最も悲惨な目に遭うのは住民だ。人を狂気に陥れる戦争を二度と起こしてはいけない」との思いに突き動かされ、33人の証言を刻んできた。
 最終号には、軍命による「集団自決」を明確に示す宮平春子さん(84)の証言を収録した。当時座間味村の助役だった兄、故・宮里盛秀さんが「軍の命令で、潔く玉砕しなさいと言われているから」と言った言葉が記されている。
 宮城さんの姉ハルさんの最期を見た故・宮里美恵子さん(享年85歳)の証言も記録できたことから「一段落ついた」と体験記に終止符を打った。
 宮城さんは戦後、ハルさんを失ったことを悔やみ、自分を責め続けた母親・ウタさん(享年91歳)を前に、体験を語れなかったが、ウタさんの他界後、初めて語った。座間味村史にある想像を絶する体験の多さに衝撃を受けた。中学校で国語教師をしていたため休みを利用し、戦争体験者を訪ね聞き取りを重ねた。
 89年に1号を発行した。多くの住民が語りたがらず、古傷に触れるようでつらかった。「方言で質問すると返してくれた。体験者でないと分からない複雑な思い、惨めさがある」。険しい表情で振り返る。
 体験記は毎回、1500冊発行し座間味村内の小中学校や過去の赴任校などに置いている。「文字も大きく、行間を広げ読みやすく工夫した。平和教育にぜひ活用してほしい」。体験記が“語り部”として受け継がれるよう強く願っている。

            ☆

座間味島の集団自決を命令したのは軍人より軍人らしい言動で、住民から畏怖されていた宮里盛秀助役だと言われている。

だが、これを覆す重要証人が盛秀氏の実の妹の宮平春子氏というのも不可解である。

肉親の証言は信憑性に欠けるという常識が、ここでは通用しないのである。

ここに登場する宮城恒彦氏は、大江・岩波集団自決訴訟の最高裁判断が出た翌日4月23日の沖縄タイムスで「これ(関与)は『命令』そものだった」というデタラメなコメントを吐いた元教員である。

宮城氏の発言はもちろん間違いであり、最高裁が「関与=命令」と確定したけではない。

宮城氏は軍人より軍人らしい「参謀長」と呼ばれた教頭が登場する『潮だまりの魚』の著者でもあるが、氏の発言ががいかにデタラメであるかは以下に引用の沖縄タイムス記事を読めば明白である。

参考⇒証言集『潮だまりの魚』に見る守備隊長の実像

沖縄タイムス 2008年1月31日(木)  
 
 悲劇の島から史実訴え/座間味村が証言集

 座間味村教育委員会が沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」を体験した住民らの証言などをまとめた「戦世を語りつぐ 座間味村平和学習ガイドブック」を発刊した。制作を委託された編集委員会が三十日、同村教委に引き渡した。沖縄戦の「集団自決」に対する日本軍の強制を示す記述を文部科学省が削除させた教科書検定問題が起きる中、「座間味での沖縄戦の真実を伝え続けよう」と編集作業は進められた。
 編集委員会は二〇〇六年十二月に発足し、同村で「集団自決」を体験した宮城恒彦さん(74)が委員長を務めた。沖縄戦を体験していない世代の編集委員が、体験者数十人から聞き取りをした。


改ざんNO


 同ガイドブックでは、座間味島の「集団自決」を「三月二十六日、米兵は大挙して住民のいる壕の近くまでやってきました。それを知った住民はパニック状態におちいり、(中略)死の道へと急いだのです」と書く。宮城さんは「抑えた表現にしたが、住民を『パニック』に追い込んだのは、日本軍の強制だったことは明白だ」と説明する。

 「『敵の手にとられないように玉砕するよう、軍より命令があった』と当時、村助役だった兄が父に話すのを聞いた」との宮平春子さんの証言を収録し、編集後記には「文部科学省による『高校の歴史教科書改ざん』に対する答えは、多くの証言者の声やこの冊子に記載された内容が証明しています」と記した。


改訂も検討


 編集委員の一人、宮里芳和さん(59)は「『軍から玉砕命令があった』との証言は複数あり、日本兵側からも軍命を示す証拠や証言が新たに得られ始めた」といい、同ガイドブックの改訂時に盛り込みたい考えだ。

 二千部を発刊した。修学旅行生の平和学習などに活用し、希望者には販売する予定。問い合わせは同村教委、電話098(987)2153へ。

  宮城恒彦氏                                            ◇

 写真

 >「三月二十六日、米兵は大挙して住民のいる壕の近くまでやってきました。それを知った住民はパニック状態におちいり、(中略)死の道へと急いだのです・・・抑えた表現にしたが、住民を『パニック』に追い込んだのは、日本軍の強制だったことは明白だ」

 

米軍が大挙して壕の近くまでやって来て中の住民がパニックに陥ったのなら、集団自決の原因は米軍であることは小学生でもわかることだ

このお方本当に国語の先生だったのだろうか。

それを「住民を『パニック』に追い込んだのは日本軍の強制だ」とは、まるでヤクザの言掛かりではないのか。

最高裁判断でさえも、「関与=軍命」と自分の都合の良いようにに決め付ける人物なのである。

このような理の通らぬ話がいかにも「正論」であるかのように、もっともらしく掲載される・・・これが沖縄タイムスの正体である。

■似たもの同士の宮城恒彦と宮城晴美■

>改訂も検討

宮城恒彦氏は、当初は自著で「軍命や強制はない」という内容で出版しておきながら、後で「言葉としての命令だけでなく、強要や誘導、目に見えない命令があった」といった苦し紛れの弁明で証言を変更した。

あげくの果てに「改定も検討」とは『母の遺したもの』が「軍命なし派」の証拠として係争中の裁判の原告側証拠となると、改訂版を出版をした宮城晴美氏のケースと全く同じパターンである。

おっと、もう1人『沖縄戦と民衆』を反対派の証拠に使われた林博史関東学院大学教授の例も、自著の内容と発言が違うという点では似たようなものだ。

宮城恒彦氏:
「米兵が大挙壕の近くに来て住民はパニックになり死の道を急いだが、住民のパニックも軍の強制である」

◆宮城晴美氏:
「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」(平成19年7月27日大阪地裁証人尋問)

                     ◇

【おまけ】

 読者の安仁屋正昭さんが宮城氏の人物像についてコメントされています

 5月13日

私の手元に平成9年5月発行の「しおだまりの魚たち」という小冊子があります。
この著者は本日記の「軍の関与=軍の強制=軍の命令」という明らかな間違いを読者に信じ込ませようとしている宮城恒彦氏です。
彼の経歴には、校長・島尻教育事務所所長が記されており、それなりの見識と社会に対する責任がある人物であることがわかります。

この冊子には、座間味の集団自決に遭遇した自身と家族、並びに村人や当時最も尊敬されていた校長先生夫妻の自決の様子が書かれています。
勿論、忠魂碑前の事も。
しかし、軍の命令によって自決をしたなどという最も核心的な事は何処にも書かれていません。
むしろ、迫りくる米軍の恐怖により、自分たちで相談して決した事になっています。

2008年6月20日に宜野湾市の志真志小学校にいた革マル派の宮城じゅんという教師が幼い子供達に集団自決の劇を演じさせ、問題となった時のことでした。
この宮城恒彦氏は会場となった体育館まで遠いところから出て来て、一番後ろで壁にもたれながら見ていました。

元教育事務所長といえば、所管する百数十校を指導とする総責任者だったはずです。
集団自決という最も悲惨な事件を子供達に演じさせるという暴挙に、何もせず傍観し、挙句の果ては 関与を命令と誤認させる原稿まで書くというのであれば、「嘘つき・世を惑わす者」として、何れ裁かれなければならない思います。

左翼思想を信じ込み、一方的な情報を与えられて活動している者達より、この宮城恒彦氏の方が罪が深いと言わなければならないと思います。

【おまけ】

証言集『潮だまりの魚』に見る守備隊長の実像 

2007-07-12 10:09:28 | ★集団自決

《ひと》沖縄戦「慰霊の日」に体験記を出す

2004年06月23日

写真

 

宮城恒彦さん

 沖縄戦で米軍が最初に上陸した座間味(ざまみ)島で45年3月26日に起きた「集団自決」の生き残りだ。当時は11歳。母親と姉弟で逃げ込んだ壕(ごう)の中で手榴弾(しゅりゅうだん)が爆発し、19歳の姉と担任の教師が亡くなった。

 「戦後、母が戦争を語ることはなかった。毎年3月になると、思い出したように嘆息した」。書き始めたのは、母親が他界した翌88年から。「自決」で住民173人が犠牲になった。自分だけでなく、島の人にも聞いてまとめた。

 「慰霊の日」に合わせて出してきた体験記は今年、16冊目になった。毎回、1千部以上を発行し、学校などに配っている。さらに、23日には、東京の出版社から過去の15冊をまとめた「潮だまりの魚たち~沖縄・座間味島の戦世(いくさゆー)」(クリエイティブ21)を出版する。

 元小学校長。一番苦しんだのは「日の丸・君が代」問題。惨劇を招いた戦前の教育が頭をもたげたが、個人の意見も言えず、公私のはざまで悩んだ。「自決の時、校長が合図をし、女性教師が手榴弾を投げた」。教師になったのも、あの時の体験で教育の大切さを知ったからだという。

 講演をよく頼まれるが、全部断る。10年前に一度だけ引き受けたが、「自決」の場面で胸が詰まり、しばらくの間、言葉が出なかった。

 「若い人にどう伝えるかは難しい。元気なうちはとにかく聞き書きを続けたい」

(文・大矢雅弘、写真・水野義則) 朝日新聞

http://mytown.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000119999991201

                    ◇

    ■証言者は「平和教育者」■

琉球新報の「沖縄戦特集<史実封殺> 届かぬ沖縄の心④」で証言をした宮城恒彦さん。

彼はこれまで何度か朝日の記事でも紹介されている。

朝日が紹介する『潮だまりの魚たち』(2004年6月発行)は、座間味島における著者宮城恒彦ほか多数の戦争体験者の証言集である。

著者自身が「集団自決」の生き残りであり、集団自決に触れられている箇所も多数ある。

が、同書では集団自決に関する梅沢命令あるいは軍命令には、伝聞も含め、全く触れられていない。

座間味島出身で集団自決の生き残りの証言集なら、当然これまでのマスコミが報じる集団自決を命じる“悪鬼”梅沢守備隊長を期待するのだが、そのような記述は一行も無い。

    ■「潮だまりの魚」に見る“悪鬼梅沢”と梅沢隊長の落差■

それどころか、集団自決発生の前後のエピソードとして、梅沢隊長が村民の女性らに山への避難を命じた記述(163頁)や、

あるいは戦闘により重傷を負った日本兵(少尉)が他の兵に対して、村の娘たちを無事親元に送り届けるよう指示した記述(167頁)などの、

軍による集団自決命令と完全に矛盾する人間的エピソードが、いくつも証言として載録されている。

これらの記述は、従来マスコミに流布している残虐非道な「悪鬼梅沢」とは全くかけ離れた普通の青年の行動が伺える。

これも、著者が、自身を含めた体験者の証言を丁寧に確認、記録した結果なのであろう。

このように、近年著される書籍においては、緻密な調査や史実の検証により、慶良間列島における集団自決については、部隊長命令あるいは軍命令によるものとはされないのが一般なのである。

より厳格に言うならば、学術的には軍命令で集団自決したという根拠は極めて薄いということになる。 

 

    ■真実と「平和教育」の狭間

その一方、元校長の宮城さんは「平和教育」との板ばさみなのか、

「軍命令」に関しては苦しい証言をしている。

<言葉としての命令だけでなく、強要や誘導、目に見えない命令があった>

「軍が直接命令をした」と言わずに「目に見えない命令があった」、

当時11歳の少年が「直接命令する軍人の姿」は理解できても、

「目に見えない命令」という抽象的な意味を理解できたとは思えない。

結局、宮城さんは多くの証言で「軍が命令して集団自決した」とは一言も証言していない。

>「自決の時、校長が合図をし、女性教師が手榴弾を投げた」

琉球新報特集でも次のように証言している。

<1945年3月26日の朝、宮城さんの家族が隠れていた壕に、気も狂わんばかりに逃げ込んできた女性が米軍上陸の様子を生々しく伝えた。  この言葉を引き金に「集団自決」が起こった>

いずれの証言も生々しい証言ではあるが、梅沢守備隊長の命令で自決したと決め付けるには根拠が乏しい。

せいぜい「目に見えない命令」とするのが精一杯だったのでしょう。

真実の証言とマスコミの煽動で揺れ動く心のあやが読み取れる証言だ。


    ■「歴史は政治で改ざんするものではない!」■

沖縄タイムスが異常な執念で同じ内容の社説を書き続けている。

何度議会を煽って、何度議決を繰り返しても「歴史の改ざんは出来ない」。

以下の社説のタイトルをそっくりお返ししたい。

社説【「検定撤回」再可決】歴史の改ざんを許すな (7月11日)

同じく琉球新報も7/11の夕刊は一面トップ、社会面トップの大見出しで「史実のわい曲」と来た。

「主体隠し」史実わい曲 教育関係者ら憤り  (7/11 9:42)

「歴史の改ざん」も「史実のわい曲」も沖縄の新聞ではすっかり手垢に塗れて陳腐な単語になり果ててしまったようだ。

これだけ連日紙面を使って大騒ぎするのなら、主張の対立する専門家、学者を総動員して紙面で大論争をする企画を組むのが新聞の本分だとおもうのだが、

沖縄の新聞は既に報道機関としての使命を忘れ去り、サヨク勢力のプロパガンダをその仕事としている。

その結果、「不都合な事実」は徹底的封殺し、偏った「市民運動」の走狗と成り果てている。

 

   ■沖縄の新聞に捧げる「二枚舌」(ダブル・トーク)の称号■

自らの主張に反する数々の証拠や証言は紙面から封殺する一方、都合の良い「証言者」だけの主張を連日取り上げ続ける。

学術的議論・検証を避けて、自分たちの主張だけは「紛れもない事実」と根拠無しに連日騒ぎ続ける。

「政治が検定に介入してはならない」と主張する一方、県議会の議決(政治の主張)が受け入れられるまでは検定に介入し続ける。

これだけで「二枚舌」の栄誉を受ける資格は充分だろう。

「歴史の改ざん」と「史実のわい曲」は鏡に映る己が姿ではないか。

コメント

毎日新聞「沖縄をあざ笑うひろゆき氏 冷笑の裏にある植民地主義!」

2022-12-27 04:20:52 | 翁知事国連演説訴訟

 

 

 

毎日新聞「沖縄をあざ笑うひろゆき氏 冷笑の裏にある植民地主義!」→ ひろゆき氏のマジレスがコチラ → wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 
 
ひろゆき

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【ツイッターの反応】



 
@hirox246 変態毎日新聞の愚かな記事ですね。
 
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@hirox246 座り込みを始めて〇日って事なんでしょうね(笑)
 
 
@hirox246 ライブカメラがいいお仕事してくれそうww
 
 
@hirox246 まぁ、毎日新聞の記者はろくな日本語の文章が書けないんでしょうねw
 
 
@hirox246 まだやってんの?
 
 
@hirox246 活動家じゃなくて活動屋だからですかね
 
 
@hirox246 職業「市民」の連中なんだから、同情をかうのが商売。それを図星で言われたからヒステリーを起こしているのですよ。
まあ、沖縄人は純粋な日本人じゃありませんから(いや本人たちが言ってる)、そなメンタルは理解しがたいものですよ
 
 
@hirox246 事実を言えばシャベツになります
 
 
@hirox246 変な活動家は多いですね…知り合いの地元民で座り込みしてる人聞いた事ないしな
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