10年前と比較して、南西諸島で実際に有事が起こる危険は大幅に高まった。 そして、10年後は確実に、今より危険が高まるだろう。 南西諸島の人々は、今のウクライナ国民の悲惨な状況が、将来、 自身や家族の身に降りかかる可能性を、もう少し真剣に検討すべきだと考える。
日本新聞労働組合連合(新聞労連、石川昌義中央執行委員長)は22日、琉球新報のカメラマンが自衛隊員に訓練の撮影を制止され、データ削除を求められたことについて、抗議声明を発表した。「自衛隊や米軍の拠点を取材者の視点で監視する報道は、軍事力の暴走に歯止めを掛け、市民の安全な暮らしを守るために必要」と強調。自衛隊の対応を批判し、表現の自由の尊重を求めた。 陸自第15旅団は琉球新報の問い合わせに「分屯地の外から撮ることを全て規制するという姿勢は、基本的にはない」と回答している。 (稲福政俊)
琉球新報社
ezp*****8分前
非表示・報告
そもそも、この記事にはどこから琉球新報の記者が撮影していたかが書いていないので分からないが、もしも、自衛隊の施設内で撮影したのならば、管理権に基づき行動を制限することは可能である。
そのことが報道の自由を制限することにはならず、むしろ、記者側の違法行為が責められるべきとのだろう。
返信
0
件
17
2
sta*****
sta*****45分前
非表示・報告
報道の自由は尊重されるべきだ。だが報道機関は報道しない自由を行使しすぎてはないのか。自分たちの意に沿わない又は都合の悪い事実を意図的に報道しないことが度々ある。特に沖縄の報道機関は中国の新聞社ではないのかと疑いたくなることもある。権利を主張するのは構わないが同時に報道機関の役割を曲解していないか今一度自分たちの立ち位置を振り返ってみてもらいたい。
返信
3
件
140
5
c_o*****
c_o*****14分前
非表示・報告
人権やプライバシーを報道の自由と称して踏みにじるうえに取材できないことでクレームを入れる
最近は…
法律や条例で規定されていないのなら自由にやってもいい
という考えが横行しているが…
以前はそれに
社会通念上取材しても問題ないか
取材対象の立場を慮る
ということがあった
そんなにクレームを入れる前に取材交渉すべきだったのではないか?
それを認められないことにクレームをいれるのならメディアに理解も得られるが…
そうではないのなら、国家機密でメディアを排除した方良くなってしまうぞ
返信
1
件
30
1
whi*****
whi*****1時間前
非表示・報告
「自衛隊や米軍の拠点を否定的な視点で監視する報道は、敵国の軍事力の暴走を誘発し、市民の安全な暮らしを損なう危険性がある」と強調。琉球新報の対応を批判し、国防上必要な訓練の重要性への理解を求めた。
これくらい言ってくれる報道はないものかな…
返信
1
件
304
6
czw*****
czw*****3時間前
非表示・報告
取材側にも国防と言う意識を持ってほしい。何でもかんでも報道すればよいと言うわけではない。それによって国防が出来なくなったら責任をとれるのか。取材するなら前もって許可を取ればよいのでは。そうすれば機密上取材報道されれば日米同盟上まずい場面、または、国防上問題がある場面以外は取材に応じるはずです。
返信
10
件
652
21
max power
max power2分前
非表示・報告
撮影禁止の物では?
中国軍に渡れば、日本国民、自衛隊員、アメリカ軍兵士の命が危険にさらされると思います。
取材の自由は憲法21条で尊重されますが、日本国民の命を危険にしてまでは尊重されないと思います。
一方的な主張で、経緯が分からないのでこれ以上は言えませんが、自衛隊員がダメだと思うような行為をしたからこうなったのは確かでしょう。
返信
0
件
0
0
js3*****
js3*****1時間前
非表示・報告
「自衛隊や米軍の拠点を取材者の視点で監視する報道は、軍事力の暴走に歯止めを掛け、市民の安全な暮らしを守るために必要」
目の前で暴走してる中国の軍事力には何も言わず、それに対抗すべき努力をしている日米は監視すると。わかりやすい姿勢だな。
ちなみに彼らのいう「監視」って、日米の部隊の装備状況や整備サイクル、稼働率なんかを知りたい某国にはすごく役に立ってる。監視じゃなくて情報提供だな。場合によっちゃ外患誘致罪に問われかねないと思うんだ。
返信
1
件
165
4
dka*****
dka*****1時間前
非表示・報告
そうですね。琉球新報の建物の前の敷地から建物や記者や社員を撮影しても勿論削除しろとは言わないですよね。「偏向報道の拠点を国民の視点で監視する活動は、偏向報道の暴走に歯止めを掛け、国民が正しい情報を知る権利を守る為に必要」とあなた方の仰った事をそのままお返しします。
返信
1
件
183
2
han*****
han*****1時間前
非表示・報告
>「自衛隊や米軍の拠点を取材者の視点で監視する報道は、軍事力の暴走に歯止めを掛け、市民の安全な暮らしを守るために必要」
過度な訓練であったり、住民に危険の及ぶ様な訓練などが対象の場合ならそうなるだろね。だけど、現状のように訓練せざるを得ない状況を作り出す相手国があっての中で、その相手国側に立つ新聞屋を警戒するのは至極全うな事かなと。自分たちの思想追求が邪魔される事に県民を巻き込まないで欲しいもんだ。
返信
0
件
102
2
bfm*****
bfm*****3時間前
非表示・報告
自衛隊の活動は微妙な内容も含み、戦術戦略上報道されるて敵国に伝わるとまずいこともあろう。
マスコミは何でも自由とか言ってるが、その自由を守るため専制国家には知られたくないことは当然ある。
そもそも自衛隊だからこの程度で済むわけで、アメリカ軍なら問答無用で退場、中国軍なら拘束の上スパイの疑いをかけられるかもしれない。
本記事は過去に何度も再掲したが、最近特にアクセスが多くなっているので一部編集の上再掲する。
■沖縄タイムス 1983年6月8日
故赤松大尉直筆の手紙を届ける
衆議院調査室の徳嵩力さんが本社東京支社に
住民に「申し訳ない」
虐殺については否定?
【東京】戦時中、海上挺進第三戦隊の隊長として渡嘉敷島の守備につき、住民虐殺、集団自決のあの悲惨な「事件」に深く関与したといわれる赤松嘉次大尉(故人)が12年前、当時の陣中日誌とともに関係者に出した直筆の手紙がこのほど、沖縄タイムス東京支社に届けられた。渡嘉敷での数々の悲惨な出来事について赤松氏は「一部マスコミの興味本位な報道」と伝えられる事実関係については強い口調で否定。 敗戦の結果についてのみ「申し訳ない」とつづっている。折りしも、沖縄では三十八回目の「慰霊の日」をやがて迎える。
手紙を保管なしていたのは、衆議院外務委員会調査室に勤める徳嵩力さん(61)。復帰前、「鉄の暴風」(沖縄タイムス刊)を読み、そのなかで渡嘉敷島の住民虐殺、集団自決など悲惨な出来事を初めて知った徳嵩氏が、やっとの思いで赤松氏を探しあて、事実関係を尋ねたことに対する返書で日付は昭和四十五年十一月三十日。
そのなかで赤松氏は「戦時中、現地の方々の献身的な協力にも拘わらず力足らず、あのような結果になったことは沖縄で戦った者として現地の方々に申し訳なく思っている」と敗戦の悔いを「つづっている。
ただ住民虐殺、集団自決への自身の関与については「一部マスコミの、現地の資料のみによる興味本位的に報道されているようなものでは決してありませんでした」と強く否定。 同時に沖縄を訪ねた際(四十五年三月)の渡嘉敷住民、民主団体の抗議についても“大規模な歓迎”を受けたと、抗議が意外だった心情を吐露している。
仕事上の関係もあって「沖縄に強い興味を持つ」という徳嵩氏は手紙と陣中日誌を読み返し「どうも後で理由付けした感があり、説得力に乏しい」と感想を語る。 さらに「赤松氏個人への感情は別として」と前置き、「住民の証言の方が、より重みがあるし、軍隊は、その特性から、いつでも物事を正当化するものです。 教科書問題にしても、やはり虐殺の事実は事実として歴史にとどめるべきだし、それが生き残った私たちの使命」とも。
中学、高校の教科書で沖縄戦で住民虐殺の記述も復活の兆しにある。 赤松氏がどのような胸中で手紙をつづったかは、確かめるよしもないが、日本軍による住民虐殺、軍命による集団自決という悲惨な出来事が渡嘉敷島で起こったことはまた歴史の事実である。
☆
当日記を古くからの読者は上記引用の記事を読んで、アウトラインは理解できる読者もいるだろうが、複雑に絡み合った集団自決の整理のため、記事に書かれている事実の説明から始める。
ここに登場する徳嵩力氏は、1921年生まれ、長野県出身。戦後、国家公務員上級試験合格し1956年衆議院外務委員会調査になり、沖縄問題を担当。復帰の3年前の昭和44年(1969年)に衆議院職員初の沖縄調査団として沖縄視察をしたエリート官僚である。
徳嵩氏は戦後一貫して沖縄問題を担当した使命感から独自に沖縄問題の研究から発展し「鉄の暴風」、「秘録沖縄戦」(山川泰邦)、「沖縄ノート」(大江健三郎)などの沖縄戦の本を読み漁り、ついには赤松大尉を捜し当てて、ことの真相を問いただす。
ちなみに「鉄の暴風」が伝聞や噂の類を基に書かれた嘘まみれの本であり、「沖縄ノート」はその嘘のネタ本を下地にしたデタラメの本であることは、今では大方の知るところ。 「秘録沖縄戦」も、「鉄の暴風」の影響を大きく受けており、近年著者の故山川康邦氏のご子息が歪曲部分を削除した改定版を出したくらいである。
復帰前の沖縄戦の情報が少なかった当時としては仕方の無いことだが、徳嵩氏が沖縄戦を勉強した本が全て沖縄タイムスの偏向思想により歪曲された本だけだったのは徳嵩氏にとって不幸であった。
優秀で誠実な戦前の日本のエリート官僚の系譜を継いだと思われる徳嵩氏は、イデオロギーとは別の視点から、日本軍が沖縄に及ぼした被害の数々をこれらの「沖縄本」から勉強し、激しい贖罪意識に襲われる。
そして政府の沖縄担当の調査官としての使命感から赤松大尉を探し出して当時の状況を聞き取るのだが、赤松大尉がそれに対する返事を手紙にして送ったのが記事に出て来る昭和45年11月30日付けの赤松氏の手紙である。
今年は沖縄の日本復帰の40周年だが、赤松氏が手紙を送ったのは復帰の2年前、今から42年前の出来事である。
徳嵩氏は沖縄担当の官僚という職務上、沖縄紙の東京支局の記者と知り合うことになるが、ある席上偶々隣の席にいた沖縄タイムス記者に赤松大尉の手紙のことを話すことになる。
徳武氏としては赤松大尉の存在を知ったのが沖縄タイムス刊の「鉄の暴風」だったのだから沖縄タイムス記者に話すことに何の躊躇も無かったのだろう。
当時の徳武氏としては「鉄の暴風」や「沖縄ノート」がイデオロギーまみれのデタラメな本と言うことを知る由もなく、沖縄戦史の解明の資料として沖縄タイムスに手紙を渡したのも仕方の無いことである。
沖縄タイムスが赤松大尉の直筆の手紙を入手したら、どのような行動にでるか。
猫に鰹節とはまさにこのこと。
手紙の内容の如何に関わらず、イデオロギーによる歪曲した捏造記事を書くことは火を見るより明らかだった。
それが上記引用の記事である。
この記事は12面のトップを徳嵩氏の写真つきで大きく飾り。徳嵩氏の写真には「故赤松氏からの当時の手紙を見ながら住民虐殺について語る徳嵩氏」というクレジットが付いている。
沖縄タイムスの記事を見て、沖縄戦当時渡嘉敷島の駐在巡査を勤め集団自決の一部始終を目撃した比嘉(旧姓安里)喜順氏が記事のあまりにも酷い歪曲された内容に悲憤慷慨し、その日のうちに抗議の手紙を徳嵩氏に送った。
手紙の日付が沖縄タイムスの記事と同じなのは、それだけ比嘉氏が当時の生き証人として居ても立ってもおれなかった比嘉氏の心境を表している。
比嘉氏はその日の午後3時頃記事を読み、すぐ沖縄タイムスに抗議すると同時に徳嵩氏の連絡先を問いただし、その日のうちに手紙をしたため郵送している。
その手紙はご子息から公開の許しを得ているので、集団自決の真相解明の歴史的資料として下記に公開する。
その前にタイムス記事が触れている「同時に(赤松氏が)沖縄を訪ねた際(四十五年三月)の渡嘉敷住民、民主団体の抗議」について事実を説明しておく。
当時の新聞には、沖縄県民や渡嘉敷住民が、赤松氏を空港に出迎えた抗議した、と報道している。(※【おまけ】に詳述)
が、実際に空港で抗議したのは僅か十数名の那覇市の市職労の組合員であり、渡嘉敷住民は慰霊祭に赤松氏が参加するのを歓迎していた。
1970(昭和45年)3月26日、赤松氏が那覇空港で、左翼集団に取り囲まれて渡嘉敷島には渡ることを阻止されたことは過去にも再三書いたが、親族関係者の話で次のことも判明した。
赤松氏は、空港で、抗議集団にもみくちゃにされ、背広のボタンも引きちぎられる酷い有様だったという。
このような激しい抗議に遭っては、普通の定期船ではとても渡嘉敷島に渡ることができないと判断し、渡嘉敷行きは諦めかけていたが、翌慰霊祭当日、伊礼蓉子氏(旧姓古波蔵、戦時中、渡嘉敷村女子青年団長)のご主人が、迎えに来てくれ舟を出してくれた。
たが、結局、赤松氏はさらなる騒動を避け、島には渡ることはせず、島の入り口まで行って、慰霊祭への花束だけを託したという。
渡嘉敷の住民は赤松氏の来島を大変歓迎していたが、マスコミや抗議集団との混乱を避けるため渡嘉敷上陸は断念した。
なお、伊礼蓉子氏の娘さんは、赤松氏宅にも訪問したことがあり、赤松氏の家族と今も交流が続いているという。
この事件を、沖縄タイムスをはじめ全国の新聞、雑誌が騒ぎ立てて、これを機に赤松氏の悪評が一気に広がった。
赤松氏の地元では、地元紙である神戸新聞の記事を見た人が多く、赤松氏の長女は後にクラスメートからこのことを教えられたという。
なお、赤松氏を渡嘉敷に送る舟を手配した伊礼蓉子氏(旧姓古波蔵)は、星雅彦氏の手記「沖縄は日本兵に何をされたか」(雑誌「潮」1971年11月号に掲載)の中で証言者として登場している。
《村の指導者たちやその家族や防衛隊の幾人かは、そろって無事で、その集団にまじっていた。みんなひどく興奮していて、狂人のようになっていた。村長は狂ったように逆上して「女子供は足手まといになるから殺してしまえ。早く軍から機関銃を借りてこい!」と叫んだ。その意志を率直に受けて、防衛隊長の屋比久孟祥と役場の兵事主任の新城真順は、集団より先がけて日本軍陣地に駆けこみ、「足手まといになる住民を撃ち殺すから、機関銃を貸してほしい」と願い出て、赤松隊長から「そんな武器は持ち合わせてない」とどなりつけられた。(注・比嘉喜順、伊礼蓉子らの証言。その点、米田惟好は米軍に決死の戦闘を挑むつもりだったと、異議を申し立てている)(雑誌「潮」1971年11月号・星雅彦)》
赤松氏は当時の渡嘉敷村長の了解の下に沖縄訪問をした。
したがって「“大規模な歓迎”を受けたと、抗議が意外だった心情を吐露している」という赤松氏の心情は事実であった。
赤松氏に罵声を浴びせる組合員の中には赤松氏を出迎えにきた玉井喜八渡嘉敷村長がいた。
組合員の暴力的な実力行使で、結局赤松氏は慰霊祭に参加を断念するが、玉井村長は次のようなコメントを沖縄タイムスに伝えている。
「赤松氏は三年ほど前から慰霊祭に出席したいと連絡していた。ことしも村から慰霊祭のスケジュールを送ったらぜひ行きたいという返事があり、喜んでいたところだ。」
集団自決論争が問題解決を困難にしている理由は次の点にある。
①「事件」が60数年前のことであり、体験者はほとんどが物故している。
②数少ない証言も、当時子供だった証人の曖昧な証言に頼らざるを得ない。
③物的証拠は一つもなく、証言あるいは証言記録のみを証拠としているの。
④意識的嘘の証言は論外としても、証言の「思い違い、記憶違い」等も考慮に入れなければならぬ。
これらに親族、地域社会などの人間関係、経済的要素の呪縛や、イデオロギーの呪縛が絡むと証言の信憑性の検証はますます難しくなる。
2007年の「11万人集会」の前後、沖縄紙は夥しい数の証言者を紙面に登場させ、連日「体験者証言」と大々的に報じたが、そのほとんどが、「毒おにぎり証言」の例のように客観的検証に耐える証言ではなかった。
卑近な例で、意図せざる「記録の過ち」を一つ例示しておこう。
玉井喜八渡嘉敷村村長がミニコミ誌に寄稿した『遺族会発足当時を想う』と題する手記の中に、玉井村長の記憶違いが見られる。
手記はここ⇒沖縄戦を歪曲した沖縄タイムスの大罪
同手記には昭和53年赤松夫人が三十三回忌の慰霊祭に渡嘉敷訪問したとある
だが、これは玉井村長の記憶違いで、赤松夫人が慰霊祭に参加したのは昭和53年ではなく、正確には昭和59年に戦隊員や遺族の方々に同行し、赤松氏の遺品を寄贈している。
これは赤松氏の遺族関係者からご指摘を受けた。
玉井村長のような重要人物でさえこのような記憶違いを手記に書くくらいだから、故人が残した証言の記録が全て正しいとは限らず検証が必要なことは言うまでも無い。
実際に赤松夫人が渡嘉敷島を訪れたのは、手記にある昭和53年ではなく、昭和59年であるというから、赤松夫人は次の記念写真のどこかに写っているものと思われる。
■比嘉喜順氏の手紙
徳嵩様 謹んで申しあげます。
あなた様の東京支局によせられた故赤松大尉直筆の手紙を届けるの記事を読み、お便りを差し上げます。
私、当時(沖縄戦)昭和20年2月より昭和20年8月14日まで渡嘉敷村の巡査駐在所で勤務しておりました者であります。
それであなた様が「12年前より(まま)赤松大尉直筆の手紙」を届ける記事を6月8日の午後3時ごろ読みまして、早速沖縄タイムスに電話で貴殿の調査室の住所を知らして下さいと頼みまして、このお便りを差し上げます。 それで私は当時の最初から最後まで村民と共に行動し、勿論自決場所のことも一部始終わかっております。 あの集団自決は、軍命でもなければ赤松隊長の命令でもございません。
責任者として天地神明に誓ひ真実を申しあげます。 今までの戦争は満州、支那大陸で戦い、私達もその体験者の1人であります。 それが而も一番(不明)島、沖縄県、離島の自国内で連合軍の包囲を受け家族とも共戦争体験をしたのは、その人でなければ実際を語ることは出来ません。
「鉄の暴風」が発刊されてをるのも知らず、那覇の友人から聞かされ、それを見せてくれて驚いた程であります。 その時には既に遅く、全国に販売されていたようです。
それで一方的な言い分を聞いて実際に関与した責任ある私達に調査もされず刊行されたことは私の一生涯の痛恨の極みであります。
沖縄タイムスの記者が私を訪ね、渡嘉敷島について調べたことは今もって一度もございません。
私も戦い終わって昭和二十年八月二十七日、捕虜で金武村屋嘉の収容所に収容され、同年十一月三日そこを出て、家族をさがしあてたのが昭和二十年十一月十五日でした。 それで戦争の話、友軍の行動等を分かりました。
それに比較して赤松隊長のとった行動は本当に良かったと思われました。 戦争中而も敵の海、空よりの砲撃のさ中で軍の食料(米、味そ等)調味品を村民にも二分し与えて下さったあの赤松隊長の志を、行動を、こんな隊長が大東亜戦争、沖縄戦の悪い代表扱いに掲載されることは本当に残念でなりません。 あの戦争は吾々日本人全体の責任と私は思って憚りません。 徳嵩さんがどう云う理由で十二年保存されて、然も赤松さんが故人となられた今頃にから沖縄タイムスに掲載されたか、私には理解に苦しむものです。
赤松隊の生存者もをられるし、当時の村民も尚健在者が多数残っています。 それでお願いですが曽野綾子著「ある神話の背景」沖縄、渡嘉敷の集団自決、文藝春秋社刊をお読みにお読みになられたらと思います。
真実と云ふのは両方の調査の上に立って表現するものでありまして、一歩的に出してそれで何も知らない人々がそれを信じることになり、大方はそんなものではございません。 私はそう思います。
歴史の事実も本当はそうであったかと、両方の調査をし、綿密に調べられてから、正しく報らすのが真の在り方と思われます。 私も貴方が出された「タイムス」の記事を見て、当時の沖縄戦の生々しい実態が甦り、本当に何とも言ひようのない悲憤慷慨と申しましょうか痛恨の念が一極です。
只々書かなければ止まない衝動にかられてこのお便りを書きました。
徳嵩様の重要な部所にお勤め鳴られてをり幸いと思います。
益々ご健康で、ご繁栄でありますと併せて我が国の繁栄に寄与なされますようご御祈りいたします。 乱筆で御免下さい。
敬具
昭和五十八年六月八日午後十一時三十分
沖縄県北中城字大城の自宅にて
旧姓 安里 比嘉喜順拝
徳嵩力 様
★
赤松さんは一九七〇年三月二十六日、渡嘉敷村民に招かれ合同慰霊祭に参加する目的で那覇空港に着いた時、抗議団の怒号の嵐の出迎えを受けた。「何しにノコノコ出てきたんだ。」「人殺しを沖縄に入れるな」「赤松帰れ」のシュプレヒコールが浴びせられた。赤松さんは結局、渡嘉敷に上陸することはかなわなかった。沖縄で殺人鬼と面罵され、故郷に戻ると、事件を知った娘から「お父ちゃんはなんで沖縄の人たちを自決に追いやったのか」と責められた。赤松さんは「娘にまで誤解されるのは、何としても辛い」と記している。読者は赤松さんの人格について知らないものと思う。赤松さんの「ひととなり」を伝える二通の手紙を僕は一九九五年比嘉(旧姓安里)喜順さんから預かったが、それをここで紹介しよう。一九七〇年四月二日付の赤松さんからの比嘉さんへの手紙は次のように綴っている。―(前略)今度の渡沖については全く合点が行かず、なんだか一人相撲を取ったようで釈然と致しません。(中略)村の戦史については軍事補償その他の関係からあの通りになったと推察致し、できるだけ触れたくなかったのですが、あの様な結果になり、人々から弁解のようにとられたことと存じます。しかしマスコミも一部不審を抱いているように感じられましたので、いつか正しい歴史と私たちの善意が通じることと信じております。―
四月十七日付の手紙は次のように伝えている。―(前略)安里さんにはあのような俗説の流布されている中、ただ御一人で耐え忍び、ご心中のほどご察し申しあげております。(中略)先日、元琉球新報の記者より手記を書いてくれ、と言われ、聞いたところによりますと、現在マスコミの半分ほどは赤松さんを信じていると申されておりましたが、一度世に出し、これほど流布されてからでは難しいだろうから郷友会などを取材して新たに真実のものを出したらどうかと言っておきました。いづれにしても、私たちは真相が明白にされ、私たちの汚名が拭い去られる日を期待し、努力しております。一日も早く沖縄の人々にも理解していただき、私たちと島民が心を合わせて共に戦ったように、次の世代の人々が憎しみ合うことなく本土の人々と仲よくやってゆけることを祈ってやみません。安里さんも機会をつくって、ぜひ本土に来てください。皆、歓迎してくれると思います。また子供さんの勉学につきましても私たちをご利用下さい。いくらかでも戦時中のご恩返しができれば幸甚です。奥様はご病気のとのことですが、その後いかがですか。すでに沖縄は暑いと思いますので御自愛専一のほどお祈り致します。 敬具 赤松嘉次―
これが慶良間の〝集団自殺〟(集団自決という言葉は伊佐良博記者の創作であると、本人が記している)の真相だ。だが、沖縄タイムスの『鉄の暴風』は今も発行され続け、次のように伝えている。―恩納河原の自決のとき、島の駐在巡査(安里喜順さんのこと)も一緒だったが、彼は「自分は住民の最後を見とどけて、軍に報告してから死ぬ」と言って遂に自決しなかった。…赤松大尉は「軍として最後の一兵まで戦いたい。まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は全ての食糧を確保して、持久態勢をととのえ、敵と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」ということを主張した。(中略)座間味の戦隊長梅澤少佐は米軍上陸の前日、忠魂碑前の広場に住民を集め、玉砕を命じた。住民が広場に集まってきたその時、近くに艦砲弾が落ちたので、みな退散してしまったが、村長はじめ役場吏員などその家族は各自の壕で手榴弾を抱いて自決した。…日本軍は最後まで山中の陣地にこもり、遂に全員投降。隊長梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げた。―
この記述には真実の一カケラもないことは誰の目にも明らかだろう。正に「見てきたような嘘」でしかない。ノーベル賞作家の大江健三郎はこの『鉄の暴風』の記述をそのまま信じ、『沖縄ノート』で旧軍指揮官を糾弾したのだ。人は誰であれ、己の目の高さでしか物を見ることができない。だから、信じたいことを信じ、自分に都合のよいことを信じてしまうのだ。だが、慶良間の〝集団自殺〟については赤松嘉次さんと梅澤裕さんが命令したことはないことははっきりしている。
人間の尊厳を取り戻す時
僕は一九九六年六月琉球新報の『沖縄戦ショウダウン』の中で言明したが、もう一度ここで述べよう。―沖縄の新聞、特に沖縄タイムスの責任は限りなく重い。そして一人の人間をスケープゴート(生贄)にして、〝集団自殺〟の責任をその人に負わせてきた沖縄の人々の責任は限りなく重い。僕は長い間、赤松さんと梅澤さんは〝集団自殺〟を命令したとの先入観を拭い去ることができなかった。真実が明らかになった今、赤松さん、梅澤さん、そしてご家族の皆さん本当にご免なさいと謝罪しよう。そして今、僕は一つ脱皮して一つ大人になることができた。―
2011年10月中旬、ぼくは兵庫県を訪れ、赤松嘉次さんの弟秀一さんに迎えられ、一緒に嘉次さんのお墓参りをした。ぼくには神も仏も遠い存在だったが、長年の重荷を下ろし、何だか心が軽くなった。
だが、大きな問題が残されている。自分の親、子、兄弟を殺して遺族年金を受け取っていることは誰も語りたくないし、語れないものだ。僕は知識人でもなく、文化人でもなく、宗教家でもなく、道徳家でもない。だが、僕は知っている。自分が愛する家族に手をかけた者はいつまでも忘れず、心を痛めているのだ。だが、それを軍隊のせいにしたり、国の教育のせいにしたり、他人のせいにしてはならない。ましてや、無実の軍人のせいにしてはならない。自分のこととしてとらえない限り、心が癒されることはないのだ。そして、赤松さんと梅澤さんとそのご家族にきちんと謝ることだ。誰も彼らを責める者はいない。実際、座間味で母親に首を切られたという青年は「母親を恨んでいるか」との質問に「そんなことはありません。母を心から愛しています」ときっぱり答えた。赤松さんも梅澤さんも心の広い人間だ。きっと許してくれるはずだ。いや、きっと「ありがとう」と言ってくれるだろう。それが人間の尊厳を取り戻すということだ。僕はそう信じている。 (おわり)
☆
我々は「言論の自由」などと気軽に言うが、発表する場所の無い言論など一片の紙屑にすぎない。
だが弾圧され、言論封殺された言論が逆境を乗り越え一旦日の目を見ると、本来の価値に加えて輝きを増し、その反動で読む人の胸を打つ場合がある。
ドキュメンタリー作家上原正稔さんの著作「慶良間で何があったのか」が、それだ。
琉球新報が「社の方針と異なる」という理由で掲載拒否したことを、「慶良間で何が起きたのか」を本日の完結編まで読んだ人なら容易に理解できるだろう。
仮に琉球新報が読者を舐めきった暴挙に及ばず、そのまま上原さんの連載記事を継続していたらどうなっていたか。
勿論「言論封殺」で訴えられることもなかった。
「慶良間で何が起きたのか」の記事がネットに載ることもなかった。(琉球新報はこの種の連載記事はネットには載せない)
したがってこのようにネットを通じて「幻の原稿」が全国に拡散されることも無かったはずだ。
琉球新報が必死になって封殺しようとした「慶良間の真相」は、皮肉にも、琉球新報自身の「言論封殺」により全国読者の耳目に触れる機会を与えられたことになる。
さらにもう1人、「幻の原稿」に輝きと弾みをつけた功労者の名を忘れてはいけない。
南の島の小さな新聞八重山日報だ。
沖縄の代表的新聞琉球新報に反旗を翻すことは、異論を許さぬ「全体主義の島沖縄」で同じ記者クラブに属する弱小新聞としては、かなり勇気の要ることだ。
さすがの八重山日報も上原さんが琉球新報を提訴した経緯を書いた拙原稿を寄稿したときは、琉球新報社の社名を「R社」にする気の使いようだった。
だが八重山日報はあえて上原さんという火中の栗を拾った。
八重山日報の決断は、閉塞した沖縄の論壇に風穴を開けたことになる。
八重山日報の勇気ある行動にはいくら賛辞を送って余りあるものがある。
☆
上原さんの原稿に登場する比嘉(安里)喜順さんは4年前の2008年、94歳の天寿を全うされた。
「集団自決」は安里喜順巡査にとってまことに不幸なめぐり合わせであった。
当時29歳の安里巡査は事件の僅か2ヶ月前に渡嘉敷島に赴任したばかりの単身赴任であり、島の様子にも不案内であった。
ところが、渡嘉敷着任の一ヶ月足らずで、本島に新設された塩屋警察署への転勤が決まり、本島へ戻るはずだった。
本島との船便の連絡が途絶えがちだったため、その辞令を受けるのが遅れ、結局島を出ることが出来なかった。
結果的に「集団自決に」に巻き込まれることになる。
<昭和20年、大宜味村に塩屋警察署が新しくできて、私はそこに転勤することになっていたが、とうとう赴任することができなかった。
2月12日の日付で辞令は出ていたが、私が渡嘉敷島で受け取ったのは40日も経過した3月22日であった。
空襲などいろいろな事情があって相当期間が過ぎてから私に届いた。それを受け取って初めて自分が転勤になっていたことを知った。
辞令を受け取ったので翌日にでも本島に渡ろうと思っていたが、その翌日の23日から渡嘉敷島は艦砲と空襲が激しくなり、沖縄本島に渡ることができず、そのまま渡嘉敷島にのこり戦争に巻き込まれ、島と運命を共にした。>(「沖縄県警察史」より)
軍隊の主たる任務が敵との戦闘で有るのに対し、警察の主たる任務は住民の安全と秩序を守ることである。
平時にあっては武力を持つ二つの組織、軍隊と警察は日本の官僚伝統のセクショナリズムでしばしばいがみ合うことがあった。
だが、たった一人で島に赴任してきた安里巡査にとって自分の属する警察機構の上部のセクショナリズムに考えが及ぶことはなかった。
新任の安里巡査は、
島を取り囲む敵の艦船の前では全く無力であり、住民を守るためには赤松隊長の守備軍に相談する以外に打つ手はなかった。
島の住民の中では、村長、助役、校長等の有力者が島民をリードする立場にあったが、安里巡査も勿論このリーダーの1人であった。
ここで分かりにくいのは防衛隊員の存在である。
防衛隊員は現地招集の軍属である一方、村の助役や島民が兼任していた。
小さな島で島民と軍属の二つの顔を持つ防衛隊員という存在。
これが「集団自決」問題を複雑にしている。
防衛隊員は軍属として軍の陣地に出入りを許可されていたが、その一方で自宅には父として夫として頻繁に帰宅していた。
手りゅう弾を配ったとされる富山兵事主任がまさにこの防衛隊員だった。
<次は渡嘉敷島に上陸して来ると言うので、私は慌ててしまった。防衛隊員は軍と一緒に仕事していたので情報はよく知っていた。その防衛隊員の人たちが敵は阿波連に上陸して
赴任してまだ間がなく現地の情勢も良く分からない頃だったので、米軍が上陸して来たら自分一人で村民をどのようにしてどこに避難誘導をしようかと考えたが、一人ではどうする事もできないので軍と相談しようと思い赤松隊長に会いに行った。
赤松部隊は特攻を出す準備をしていたが艦砲が激しくなって出せなくなり、船を壊して山に登ったと言うことであったので、私は赤松隊長に会って相談しようと思いその部隊を探すため初めて山に登った。
その時は大雨でしかも道も分からず一晩中かかってやっと赤松隊に着いた。その時、赤松部隊は銃剣で土を掘ったりして陣地を作っていた。私はそこで初めて赤松隊長に会った。
住民の避難誘導の相談
このような状況の中で私は赤松隊長に会った。
「これから戦争が始まるが、私達にとっては初めてのことである。それでの住民はどうしたら良いかと右往左往している。このままでは捕虜になってしまうので、どうしたらいいのか」と相談した。すると赤松隊長は、「私達も今から陣地構築を始めるところだから、住民はできるだけ部隊の邪魔にならないように、どこか靜かで安全な場所に避難し、しばらく情勢を見ていてはどうか」と助言してくれた。私はそれだけの相談ができたので、すぐに引き返した。
赤松部隊から帰って村長や村の主だった人たちを集めて相談し、「なるべく今晩中に安全な場所を探してそこに避難しよう」と言った。その頃までは友軍の方が強いと思っていたので、心理的にいつも友軍の近くが良いと思っていた。全員が軍の側がいいと言うことに決まり避難する事になった。から避難して行くときは大雨であった。
私が本島にいた時もそうであったが、その頃は艦砲や空襲に備えてそれぞれ防空壕や避難小屋を作っていた。私が渡嘉敷に赴任する前から渡嘉敷島の人たちは、恩納河原に立派な避難小屋を作ってあった。
私は恩納河原にこんな立派な避難小屋があることを知らなかった。避難して行ったところは恩納河原の避難小屋の所ではなく、そこよりはずっと上の方で、赤松部隊の陣地の東側であった。を出発したのは夜で、しかも大雨であった。真っ暗闇の中を歩いてそこに着いたときには夜が明けていた。その時の人たちのほとんどが着いて来ていたと思う。避難して来た人たちの中には防衛隊員も一緒にいた。>(「沖縄県警察史」より)
軍官僚と警察官僚の対立で有名な事件に、昭和11年に交通信号をめぐって起きたゴーストップ事件がある。
だが、戦時中それも敵の上陸を目前にして日本の巨大組織の末端にいる赤松隊長と安里巡査はお互いの主任務を超えて住民の安全を守るため相談しあっていた。
日本の官僚組織の末端で任務に就く若い二人にとって、
「集団自決」はまことに不幸なめぐりあわせであった。
その時赤松大尉は25歳、安里巡査は29歳である。
■安里巡査を取材していた地元作家■
安里巡査の証言が「沖縄県警察史」に採録されたのは昭和63だが、それより約20年前に安里巡査に取材をしていた沖縄在住の作家がいた。
「集団自決」について独自の取材をした詩人の星雅彦氏は『潮』(昭和46年11月号)で次のように書いている。
「そこで安里巡査は、赤松隊長に向かって、村民はあっちこっちの壕に避難して右往左往しているが、これからどうしたらいいのかわからないので、軍の方で何とか保護する方法はないものか、どこか安全地帯はないものか、と相談を持ちかけた。 そのとき赤松隊長は次のように言った。 島の周囲は敵に占領されているから、だれもどこにも逃げられない。 軍は最後の一兵まで戦って島を死守するつもりだから、村民は一か所に非難した方がよい。 場所は軍陣地の北側の西山盆地がいいだろう。 そこで、安里巡査は、早速、居合わせた防衛隊数人に対し、村民に西山盆地に集合するよう伝達してくれと告げた。 彼自身も、各壕を回って、言い伝えて歩いた。 防衛隊の1人は、いち早くほぼ正確な伝達をした。 そして村長からも、同様の伝達が出た。
それは人の口から人の口へ、すばやくつぎつぎと広がって広がって伝わっていったが、村民のあるものは、赤松隊長の命令といい、あるものは村長の命令だと言った」(「集団自決の真相」より孫引き)
安里巡査の昭和63年の証言と20年前に独自の取材をしていた作家星雅彦氏の取材とは一致しているし、元琉球政府職員照屋昇雄さん、渡嘉敷島「集団自決」の生き残り金城武徳さんの証言とも一致する。
勿論、赤松隊長は敵の攻撃から避難する場所の助言はしたが(これを軍の命令する人もいる)、
「軍の命令で集団自決をした」という証言はない。
4年前の2008年、比嘉(旧姓安里)喜順さんは94歳の天寿をまっとうされた。
「集団自決」を分かりにくくしているも一つの要因に関係者の名前が当時と戦後で異なっている例が多いことである。
例えば手りゅう弾を配ったされる富山兵事主任も戦時中は新城の姓であった。
安里巡査も戦後比嘉家に養子に行き姓が比嘉に変った。
「集団自決」に軍の命令はなかった」と証言する証人たちに取材する沖縄のマスコミは皆無である。
これは上原さんの原稿を掲載拒否した琉球新報の言論封殺と軌を一にする。
■安里巡査を取材した本土新聞記者■
「世界日報」の鴨野記者が安里元巡査を取材した記録がある。
記録保存のため同記事を以下にコピペする。
月刊ビューポイント ■ダイジェスト版世界日報
沖縄戦「集団自決」から62年 真実の攻防
比嘉元巡査「地元紙一度も取材ない」
「軍の食糧、村民に与えた赤松氏」
戦火の渡嘉敷島で日本軍と住民との連絡役を任されていた駐在巡査、安里喜順氏(後に養子に入り、比嘉と改姓)。彼は赤松嘉次隊長の副官、知念朝睦氏とともに、当時を詳しく語ることのできる人物であり、存命ならば記者(鴨野)はぜひともお会いしたいと考えていた。
だが、知念氏や金城武徳氏からは「既に高齢であり、取材は難しいだろう」と告げられた。
別の関係者からは死亡説も聞かされた。しかし、比嘉氏の身近な人は、まだ元気なはずだと言う。
五月下旬、とりあえず自宅に向かった。家には誰もおらず、豪雨の中、二時間半はど粘ったが、会えなかった。ただ、近所の人から「お元気よ」という言葉を聞くことができた。夜、所在を確認できた。翌日、比嘉氏が入院中の病院を訪ねた。
古くからの友人である垣花恵蔵・わかば保育園理事長の姿を認め、比嘉氏の顔がはころぶ。
古くからの友人である垣花恵蔵氏(左)の見舞いに喜ぶ比嘉喜順氏
(沖縄県内の病院で)=5月30日、敷田耕造撮影
誕生日を聞いた。「大正四年四月二十九日です」。
「昭和天皇と同じ日ですね」と話すと、うれしげな表情を見せた。
二十分余りのインタビューで比嘉氏は、
「ただただ日本のためにと、生きてきました。何の心残りもありません」
「(沖縄戦のことについては)これまで自分が書いてきた通りです」と語った。
比嘉氏が昭和五十八年六月八日付で、衆議院外交委員会調査室に勤務し、沖縄問題を担当していた徳嵩力氏(当時六十一歳)にあてた手紙の内容を、
比嘉氏の子息の了解を得て、ここに公表する。
その日の沖縄タイムスには、徳嵩氏が赤松大尉直筆の手紙を同社東京支社に届けたという記事が掲載されていた。徳嵩氏は『鉄の暴風』を読み、赤松氏に事実関係を尋ねたところ、昭和四十五年十一月三十日付で返書が届いた。
その中で赤松氏は
「戦時中、現地の方々の献身的な御協力にも拘(かかわ)らず力足らず、あの様な結果になったことは沖縄で戦った者として現地の方々に申し訳なく思っている」と詫(わ)びている。
だが住民虐殺、集団自決への自身の関与については「一部マスコミの、現地の資料のみによる興味本位的に報道されているようなものでは決してありませんでした」と強く否定。
これに対して徳嵩氏は
「どうも後で理屈付けをした感があり、説得力に乏しい」「住民の証言の方が、より重みがあるし、軍隊は、その特性から、いつでも物事を正当化するものです」
などとコメント。
記事は、「赤松氏がどんな胸中で手紙をつづったかは、確かめるよしもないが日本軍による住民虐殺、軍命による集団自決という悲惨な事件が渡嘉敷で起こったことはまた歴史的事実である」と結んでいる。
比嘉氏はすぐさま、徳嵩氏に反論の手紙を書いたのである。
「私は当時の最初から最後まで村民と共に行動し、勿論(もちろん)自決場所のことも一々始終わかってをります。
あの集団自決は、軍命でもなければ赤松隊長の命令でもございません。
責任者として天地神明に誓ひ真実を申し上げます。
……『鉄の暴風』が発刊されてをるのも知らず、那覇の友人から聞かされ、それを見せられて驚いた程であります。その時には既に遅く、全国に販売されてをったようです。
それで一方的な言い分を聞いて実際に関与した而(しか)も責任ある私達に調査もされず刊行されたこと私の一生甲斐(原文のママ)の痛恨の極みであります。
沖縄タイムスの記者が私を訪ね、渡嘉敷島について調べられたことは今もって一度もございません」
比嘉氏は、捕虜となり収容所に入れられてそこで友軍の行動などを聞くのだが、それを聞いて改めて
「赤松隊長のとった行動は本当に良かった」と振り返る。
「敵の海、空よりの抱撃のさ中で、軍の食糧(米、味そ等)調味品を村民にも二分し与えて下さった、あの赤松隊長の志を、行動を、こんな隊長が大東亜戦争、沖縄戦の悪い代表扱いに掲載されることは本当に残念でなりません。
あの戦争は吾々日本人全体の責任と私は思って憚(はばか)りません」
そして徳嵩氏に、曽野綾子著『ある神話の背景』を読むようにと要望し、次のようにつづる。
「真実と云うのは両方の調査の上に立って表現するものでありまして、一方的に出してそれで何も知らない人々はそれを信じるよう(に)なり、大方はそんなものではございませんか。私はそう思います」
その十日後、比嘉氏は徳嵩氏からの手紙を受け取った。
「拝復 お手紙深い感銘をもって拝見いたしました」で始まる丁寧な返事だ。
彼は『ある神話の背景』を読み、
「如何に勉強不足であったかを改めて痛感させられた」
と率直に吐露。
比嘉氏の証言で真相に触れたことが「非常に幸いであり、また救いでもあった」と感謝を述べ、「機会がある度に、赤松大尉事件の自決命令は伝聞であって真実はこれこれであるというように訂正して参りたいと思っております」と告げている。
国家機密を暴くこと=新聞の責務であるみたいな前提がおかしい。
その機密が悪意ある第三国に利するものであれば、新聞はもはや国家反逆機関と言ってもおかしくない。
国のすべてを開示せよというのは、侵略の意図を隠さない隣国に全てをさらけ出しているのと同じなのだ。
とかく国の機密の開示を求める議員はほぼそれらの勢力と思って間違い無いだろう。
◆権力の乱用に対する"遺言"
ある国家機密に対し、「『国は守る』、『新聞は攻める』で、この間のバランスが微妙に成り立ってはじめて、民主主義は機能する」。もし、「攻める側の代表が守る側の代表を積極的に応援」したら、国は攻めも守りも自在に操れるようになる。
沖縄返還目前の一九七二年、米軍用地の原状回復補修費にからむ密約をつかんだものの、機密漏洩教唆容疑で逮捕された政治記者西山太吉。事件の流れを振り返りながら、今の社会で放置されている権力の乱用に対し、「遺言」をぶつける。
西山の警鐘は、基本的なことばかりだ。安倍首相による集団的自衛権行使に関する憲法解釈の変更は、民主主義社会ではクーデター的な措置ではないか。沖縄県内で基地を移転しても、政府の言う基地負担の軽減にならないのではないか。
戦後政治の変遷に自身の体感を混ぜ込みつつ、鋭い言葉を現代社会に投げる。密約、虚偽表示、改竄を結果的に見過ごす姿勢に、立ち返るべき原点を指し示す。
[書き手] 武田 砂鉄
1982 年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年秋よりフリーライターに。 著書に『紋切型社会』(朝日出版社、2015年、第25回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞)、『芸能人寛容論』(青弓社)、『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』などがある。
[書籍情報]『記者と国家 西山太吉の遺言』
著者:西山 太吉 / 出版社:岩波書店 / 発売日:2019年08月8日 / ISBN:4000613553
朝日新聞 2019年10月5日掲載
マスコミは第四の権力と言われています。
マスコミの権力の乱用をチェックする機関が必要なのでは?
マスコミの偏りはひどすぎる。
日本のマスコミとは思えないほどに。
ネットがなければと思うとゾッとする。
情報を得るために情報提供者と不倫関係を持ち、知りえた情報を記事にすることはせず政治家に横流し、挙句に情報提供者を守ろうともしなかった西山太吉氏にマスコミ人としての矜持を感じることはできない。
西山氏に批判すべき点はあるし、正当化もできない。
ただ、今どきの記者にそこまでして権力の闇を暴こうという気概があるのかということ。
今の連中はただのブン屋だよね。
記者が権力に忖度して、取材や報道を放棄したら、国民の知る権利はどうなるのさ?
そして、真に責められるべきは、情報漏洩を唆した西山氏ではなく、守秘義務に反して国家機密を漏らした外務事務官だろうよ。
とはいえ、取材源を秘匿しきれなかった西山氏も問題だけどね。
国家間の密約が漏洩すると、日本は信用を失う。もう、同盟国は情報を流さない。
記者がやった事は、日本の損失です。
新聞記者は敵国の犬、そう思って厳重に警戒する必要があります。特に公務員は気をつけて欲しい。
どんなに立派なことを言っても、機密を漏洩させるためだけに女性職員と恋仲になるのは人間として問題。
西山氏がプライドを持って、この国の将来を危惧して、使命感で取材をしたとは思えない。
特ダネを取ることだけに奔走し、
一人の女性の人生を破壊し、
スポットライトを浴びた自分に陶酔する
そして結果に対し責任を感じない
俗物としか言いようがない
西山の問題は機密情報を得るために外務省の女性と情事を重ねたことである
この人がヒーロー扱いされたことは日本の恥。
西山太吉のアノ事件のせいで、当初、彼を支持していた毎日新聞が、朝・毎・読の一角から転落していったのを目の当たりにした身には、噴飯モノの「遺言」だなぁ。
くだらないと思う
情報源の秘匿すらしなかった(情報漏洩した官僚がすぐに特定される形で暴露)
取材内容を自社の新聞社ではなく野党に渡した
女性官僚の弱みに付け込み男女の関係になり情報を得るとごみのように捨てた
擁護するところがない。
そこを隠して今の左翼の人はスターにしたがるね。
西山氏のあってはならない方法での情報収集を決して忘れてはならない。
最近の権力乱用は愛知県の大村知事 権力乱用についてはどの立場から考えるかによるがわたしもその言葉には賛成だ ただ立場が異なるとぶつかることもじゅうぶんある
芸能人の不倫ですら散々叩かれるのに今の時代にこんな事が起きたら大変な騒ぎになるはず、マスコミがまともならね
精力の乱用も厳禁!
あらためて、悪夢の安倍政権を崩壊させないといけないと思う。
不倫など女性問題を起こした政治家に新聞は辛らつだ。
マスコミは真実を知るためには非常手段もやむを得ない、と考えているのなら驕りではないか。
民主主義を守る云々は問題のすり替えのように感じる。
多くのタブーに切り込めない新聞に社会の木鐸を名乗る資格はない。
ああ、情を通じた奴ね。
守秘義務のある政府職員から色仕掛けで機密情報入手し、逮捕されると弾圧と開き直る、人として風上にも置けない西山某!当然情報渡した職員の罪も深いが。
女性に酒を飲ませて無理やり肉体関係を結び家庭崩壊させて、執行猶予の判決??
今ならありえんでしょう。
特種の為には手段を選ばず女性職員と不倫をして情報を持ち出させた奴ですよ。
でもマスコミはその事も弁護しています。
国家機密を暴くこと=新聞の責務であるみたいな前提がおかしい。
その機密が悪意ある第三国に利するものであれば、新聞はもはや国家反逆機関と言ってもおかしくない。
国のすべてを開示せよというのは、侵略の意図を隠さない隣国に全てをさらけ出しているのと同じなのだ。
とかく国の機密の開示を求める議員はほぼそれらの勢力と思って間違い無いだろう。
随分格好の良い書き方だけど、やった事は「外務省の事務職員だった人妻に酒を飲ませ、ホテルに引きずり込んで、情報を引き出すと言うジゴロ紛いのスパイ行為」でしかなかったね。
昔からマスコミの本質は変わっていない。
政府が国民に隠れて不当な密約を結んだことを暴いても、その中身を批判するどころか、権力と一体になって機密漏洩だのと一斉に非難キャンペーンを張ったおぞましい姿こそ、マスコミの本質だ。
レイプマン西山の遺言とか、いまどき間抜けしか引っかからない
メディアの取材のためなら何でも許されるとの誤った考えは何とかならないか?
ありきたりの記事書きたい為に、テメーのどすけべ心を満足させた、不届き者が西山だ。
この手の、錯覚石頭は、永遠に”かかし”に説教、批判をして
一生終わるんでしょうね。
情報公開した時、原文を修正せず、情報元を特定された、ことはジャーナリストであれば、軽率であり、迷惑をかけたわけだ。それの反省なしに、正当化はできない。
国家機密は有るさ。有って当たり前。正義面をして書くなよ。まあ、朝日毎日の記事だから誰も信用しないだろうけど。
自分だけは例外視し、祖国を否定する自虐史観。 真木よう子と大江健三郎 「日本人という事実が恥ずかしい」(22/11/21)
北朝鮮はバカどもにかつてどのように語られたか 大江健三郎
■ 北朝鮮の惨状を大江氏はどう考えているのか? ■ 残念ながら、「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、嘲笑したように、今日の破局の中に失われてしまった。大江健三郎がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。 そうした北朝鮮の惨状について、大江健三郎はどう考えているのだろうか。大江健三郎が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違ったのか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをしないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような過ちを繰り返すのみである。 また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大江健三郎は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったようだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要はつねに人事なのだろうか。 ■ 「帰るべき朝鮮がない」大江健三郎 ■ 新婚初夜に新妻を放り出して金日成に発情していた大江健三郎。 現在の北朝鮮の飢餓地獄しか知らない若い人々には、「自分には帰るべき朝鮮がない」と嘆く大江健三郎の感慨は、想像を絶しているだろう。しかし共産主義を理想とする人々の間では、北朝鮮がさかんに「地上の楽園」として宣伝されていた時期があったのである。 現在でもアメリカやフランスに憧れている人はいますが、大江健三郎のように日本人であることを後悔する人はいないと思います。 ■ あいまいなのは? ■ ノーベル賞と言えばオリンピックで金メダルを取ったようなものかもしれない。戦後ノーベル文学賞を二人の日本人作家が受賞している。 その一人、川端康成はストクホルムの授賞式で「美しい日本の自然ののなかで感性を育まれた自分」といった主旨のことを発言して世界の賞賛を浴びた。 もう一人、大江健三郎は「あいまいな国、日本、その日本人として恥ずかしい」といった主旨の受賞あいさつをして式典に参加した人たちに戸惑いを感じさせた。 二人が世界に発したメッセージはなんと対照的であったことか。国際社会で自分の属する国を愛さないと告白することは、それだけで軽蔑されることを大江健三郎は知らなかったイナカモノだったと解釈することもできる。 大江健三郎がストックホルムで行ったノーベル賞記念講演の「あいまいな日本の私」には前記のような一節がある。 「 核攻撃の犠牲者たる日本人が、なにか特別のモラルを持たなければいけないそうだ。投下した者のモラルは問わないわけである 」とは、谷沢永一氏の評である。 これが国際常識であって、大江健三郎のもってまわった言い方と、その非常識な内容とでは、聴講者は何を言っているのか、分からなかったであろう。内容は単に50年前の東京裁判史観とマルクス主義史観であり、その後の歴史学の進歩などは、まったく省みられていない。 大江健三郎の思想は、1950年代の冷戦時代から一向に深化していない。それがそのまま化石のように残されているのは、本人のIntellectual Dishonesty と、それを覆い隠すもってまわったあいまいな文体の故である。この講演は「あいまいな日本の私」よりも「日本のあいまいな私」と題すべきものであった。 ( 産経抄より )
「戦後民主主義者」と称する売国奴たち。隣国がすべて武装して日本に脅威を与える今になっても、まだ「防衛」を「悪」と決めつけ、「ボーダーレス」を唱え、日本人の「アイデンティティー」を抹消しようとする。 |
反日日本人の発言を垂れ流すNHK
~安保討論に自衛隊を侮辱した
大江健三郎 を出演させたNHK~
12月18日から20日までの3日間連続で、NHKは「 シリーズ安全保障 」というスペシャル番組を放送した。18日は「 徹底検証・日本の備え。テロとミサイルの脅威をどう防ぐのか 」などを、19日には「 変わる自衛隊・現場からの報告 」などでしたが、この2日間で放送された内容はまずまずでした。しかし、最後の20日に放送された「 討論・日本の進路を問う 」として、元内閣総理大臣中曽根康弘、元駐米大使栗山尚一、元副総理後藤田正晴、ノーベル賞作家大江健三郎の4人で安全保問題を討論するというのですから、NHKはどうかしていると思いました。 特に反日日本人で悪魔の思想を持つ大江健三郎を出演させたとはNHKは人選を明らかに誤っています。難解な文章を書く大江健三郎がノーベル賞を受賞したことは、これは特に批判することではなく、日本国民として喜ぶべきことであるが、セットで授与される文化勲章は辞退したというのだからどう考えても正常ではなく、NHKがそれを知らないはずはない。外国からの賞には、恭しく受賞をするが、日本のものとなると拒否するというのだから話しにならない。大江は祖国日本を愛していないばかりか、外国に行ってまで「 日本の悪口 」を言いふらす売国奴なのですが、こんな大江に日本の安全保障問題を語ってもらうとは「 NHKよ。何を考えているのか 」と大きな声を出したくなる。 番組での大江の発言は当然にイラクへの自衛隊の派遣に反対していますが「 派遣しない方が日本の将来のため、また子供達も誇りを持って生きていくことが出来る 」「 自衛隊ではなく状況が安定したら文民を送った方が良い 」「 憲法9条があるのに自衛隊をすでに外国に送っている。憲法改正を言う人はなぜ急ぐのか。20年、30年先を考えるとアジア諸国との平和的な関係が出来ると思う。憲法の規範に現実を押し戻すことが将来の(日本の)仕事です 」「 冷戦が終わり、仮想敵国がなくなっているのに北海道に大きな地上軍をおいている。自衛隊は災害救助をする別組織に変えるべきだ 」「 憲法の前文に『 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した 』とありますが、これからはインターネットの時代ですから、国もあるでしょうが国民が横につながることが強くなり、諸国民の公正と信義に信頼する国に、またその信頼に応える日本人になって欲しい 」などですが、もう完全のとんでしまっています。 中曽根氏が大江の発言を「 空想的平和主義 」と言って批判していましたが、当然でしょう。恐るべき悪魔のテロ国家北朝鮮の脅威が迫るなか、そんな国の信頼に応えていこうというのですから話になりません。 大江は「 ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている 」と昭和33年に毎日新聞のコラム「 女優と防衛大生 」で述べたことはあまりにも有名ですが、こんな同胞である日本人を貶める発言をする大江健三郎はノーベル賞作家として知られているより、戦後の日本をダメにした進歩的文化人の大江健三郎と言った方が知られているでしょう。 どんな立派な小説を書こうが親の悪口を言いふらすように自分の国と国民に罵声を浴びせる者は愚か者であり馬鹿にされます。自分の生まれた国を誇りにしない人間を誰が信用してくれるのでしょうか。それにしてもNHKは、自衛隊のイラク派遣が決定した後に安全保障の関する番組を放送するのは時期としては良いかもしれないが、私はイラクに派遣される自衛隊員には胸を張って堂々と行ってもらいと思っていますので、過去に自衛隊員を侮辱した大江健三郎をなぜ出演させ、再び自衛隊を貶めるような発言を許したのか。こんな反日日本人の発言を垂れ流すから受信料を払いたくないという人が増えるのではないでしょうか。税金が投入されている国営放送局に日本を愛しておらず自分の国の国民である自衛隊員に敬意を払わない反日日本人を出演させたNHKの真意とは何であろうか。 |
立憲民主党からの裏金問題に対してきちんとした説明をせず
ぐだぐだ言い訳をして再開をしたChoose Life Projectが
こんなツイートをしています。
https://twitter.com/ChooselifePj/status/1592464548019437569
—–
Choose Life Project
@ChooselifePj
先月31日から厚労省の専門部会で、介護保険制度の見直しの議論が始まっています。介護サービスを受けた際の自己負担額の引き上げなど検討されていますが…
「史上最悪の介護保険改定を許さない!!院内集会および記者会見」を11/18(金)14:00から生配信します??#介護守れ2022 ?? https://youtu.be/rFzkye0VJ60
—–
上野千鶴子に介護保険料改定を批判させる
という内容になっています。
上野千鶴子と言えば「平等に貧しくなろう」で有名な方です。
それなら私財を寄付すりゃいいでしょうにね。
結局、この人の主張って
「私はお金を出したくないし、私のお金は減らしたくない。あんたらが貧しくなりなさい」
というとても身勝手なものでしかないと思います。
上野千鶴子氏は
自分だけがかわいい身勝手な人
というだけでしかないように思います。
琉球新報の記事から。
【辺野古テント「強制撤去する」 封筒にメモ書きとマッチ箱見つかる 市民ら警戒「放火を意味する脅迫か」】
【辺野古問題取材班】沖縄県名護市辺野古の新基地建設の反対運動が展開される米軍キャンプ・シュワブゲート前のテントで16日、「皆様が長生きする事を祈ります」などと記載されたメモ用紙やマッチ箱が発見された。市民からは「放火を意味した脅迫ではないか」などと警戒する声が上がった。
▼辺野古で抗議活動する人は「プロ市民」?
反対運動の参加者が16日の午前8時20分ごろに発見し、封筒の中身を確認した。通報を受けて駆け付けた名護署が現場を確認。発見した市民から事情を聞き、メモ用紙などを回収した。
メモ用紙とマッチ箱はのり付けされた茶封筒の中に入っており、封筒には「辺野古基地反対運動されている方へ」と書かれていた。メモには「1カ月以内に看板、木材の撤去することをお願いします。されない場合、我々の方で強制的に撤去します」との記載もあった。
メモの日付は14日になっており、差出人は不明。発見した那覇市の男性(66)は「怖い。抗議行動に対する卑劣な脅迫だ」と憤った。
(長嶺晃太朗)
(2022/11/17 琉球新報)
以下がその脅迫状とかいわれるものらしいのですが、
日本語が怪しいし、11月と17日のところの1が全く別になっていて
文字そのものが怪しいです。
辺、抗議の抗の字の間違い、へんな読点の使い方
そして署名らしきところ、わかんむりに山の字。
日本語にはありません、中国語では存在するようです。
辺野古の反基地活動家の皆さんは是非とも被害届を出してほしいですね。
犯人が逮捕されて困ることはないはずですから、
被害届を出さないなんてことはしないですよねー?
北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射したりするたびに
聞かれてもいないのに即座に
「朝○学校の生徒に対するヘイトクライムがー!」
とあったかどうかもわからない被害を主張して
自分達に批判の矛先が向くのを誤魔化して被害者になってマウントしようとするため、
ここのところ繰り返し
「朝○人に対する嫌がらせがー!」
となぜか証拠を示さずに自称ジャーナリスト(笑)や
朝○学校のお仲間が主張しています。
90年代のチョゴリ切り裂き事件でもそうですが、
被害をやたら主張するわりに
(チョゴリ切り裂き事件の当時は半年で被害が120件以上あったと朝○学校側は主張)
犯人がな・ぜ・か・絶対に捕まらないし、
日本人の目撃者も全くいないのですよね。
しかもこの件を追いかけていた在日韓国人ジャーナリストは変死してますし。
話を戻しまして、
辺野古の反基地活動は
天候不順、土日祝、夜間も不在という状態で、
平日も1日3回、せいぜい数十分しか居ない。
そんな状態だったのに
ずっと座り込みが続いてきたかのように主張していただけ
という実態がひろゆきによって多くの人に知られる事になりました。
そこで沖縄タイムスや中核派、日本共産党ら反基地活動家は
ひろゆきに反論しても全く勝てないので
「ひろゆき問題」
などと言いだしました。
ひろゆきを問題のある人物という事にして
ひろゆきは問題のある人物だから彼の主張は全部間違っている
という事にしようという手に出ていました。
ですが、多くの人達には全く相手にされないどころか、
TwitterJPの社員の約3/4が解雇され、
これまでTwitterJPの中の左翼どもと連携してやりたい放題やっていたトレンド操作もできなくなり、
沖縄タイムスもハフポスト日本語版やバズフィードも朝日新聞も
共産党お得意のトレンドで政府批判を流行らせる行為も
Twitter上で全くバズらなくなりました。
このままだと不味いという危機感があったのかもしれませんね。
ちなみにハフポスト日本語版、フォロワーが37万もいるはずなのに
ツイートに「いいね」がつくのがたいがい一桁。
良くて数十くらいになっています。
こんなところの記事が投稿するたびにトレンドに垂れ流されていた事を考えたら
TwitterJPの中の連中がどれだけ露骨に操作していたかよくわかると思います。
話を戻しまして、
今回の脅迫状を見る限り、
日本人が書いたものとは思えません。
とても日本語が不自由で漢字にもなれていない人が書いたように見えます。
そういや辺野古の反基地活動には
なぜか中国人や韓国人団体も参加していて
不法占拠掘っ立て小屋にも簡体字やハングルのポスターなどが掲示されていましたが……。
ブログ「狼魔人日記」を開設以来17年余の星霜が過ぎ、ブログ人気ランキングの中でも古株になった。その間数多くの行政訴訟の原告になったり、原告応援団を務めてきた。民事訴訟に関して言えば、ブログ開設以前から自分で会社を経営していたので、数件の民事訴訟を経験してきた。
筆者は法律の専門家ではないが、過去の訴訟の実体験で関連案件では無能な弁護士には勝るとも劣らない法知識を得たと自負している。
裁判の実体験の前には、弁護士は依頼人の有利な弁護をするため必ずしも正義の実現者とは限らない、という程度の知識はあった。しかし、裁判官は弁護士とは異なり、あくまでも法の下に公正を貫く”正義の人”と勝手に信じていた。
ところが刑事訴訟において一旦検察によって起訴された公訴の99・98%は勝訴と言われる。裁判官は検察の公訴に逆らって「無罪」判決を下すことは検察という強大な国家権力を敵に回すことになる。その結果、裁判官は検察の公訴を追認する下請け機関の役割に甘んじることになる。
つまり検察は「勝てる起訴」しか行わないし、裁判官は「検察が起訴するくらいだから起訴は正しい」という予断を持つ、ことになる。
こうなると日本の裁判制度は容疑者に対し、検察による「起訴・不起訴」の予備裁判を潜り抜けた容疑者が裁判官の前に立つという、検察主導のいびつな法制度になる。
これでは三権分立の精神が踏み躙られることになる。
さらに「判検交流」という聞きなれない制度が導入されたら、日本の裁判制度は死んでしまう。
【おまけ】
公訴について (2002.2.1) |
わが國の刑事訴訟法は、「公訴は、検察官がこれを行う」(247条)と定めております。これは、国家機関である検察官に刑事事件の訴追を行わせ、私人による訴追を許さないものです。これを国家訴追主義といいます。歴史的には、私人による訴追の建前(私人訴追主義)がありましたし、イギリスでは今日でも、私人訴追が認められています。 |
法制審の審議について不安に思う理由
判検交流がもたらすリスク
判検交流という言葉を聞いたことあるという人はあまりいないのではないでしょうか。かなりマイナーな言葉ですよね。多くの人は、その実態を知らないと思います。判検交流とは、裁判所と検察庁の人事交流制度のことです。つまり、裁判官がある一定期間検察官になったり、検察官がある一定期間裁判官になったりするのです。検察官は、法務省の人間ですから、裁判官が一時的に法務省の官僚として法務省に出向するということになります。
こうした制度、海外にはないと思います。少なくとも私は聞いたことがありません。おそらく日本独特の制度だと思います。
実は、今回の家族法改正に関する法制審議会においても、この判検交流により法務省に出向している裁判官が2名、委員等として参加しているんです。法務省に出向していない現役の裁判官も2名参加しているので、法制審には合計で4名の裁判官が参加していることになります。36人のうちの4人です。
ふーん。で? 何が悪いの? そんな疑問を抱かれる方も多いかもしれません。しかし考えてみてください。今回の法制審議会は「家族法改正」がテーマなんです。
なぜ家族法が改正されようとしているのでしょう? なぜ今、家族法改正が必要なのでしょう? それは、家庭裁判所の運用に問題があることと無関係ではありません。というか、関係大ありです。これまでこのコラムでも取り上げてきたとおり、家庭裁判所の現在の運用実態は、多くの当事者から支持を得られていません。
むしろ、多くの当事者は不満を募らせています。当事者の多くの人は、家庭裁判所の運用が、現在の離婚の実態、親子関係の実態とマッチしていないと感じています。あまりにも時代遅れだと感じています。それどころか、家庭裁判所が公然と人権侵害をし続けていると感じている人も実は相当数いるのです。
そうした社会的背景の下、今回、家族法改正の審議となっているのです。そして、その改正審議を取り仕切る人に、裁判官がいる。しかも4人も。これって、違和感ありませんか? タバコを規制する法律を作る場に、タバコ業者の人を入れるようなものです。フツーに考えて、無理ありませんか? この人たち、自分を守ろうとしやしないかと不安になりません? 今まで自分がやってきた判断を真正面から否定し、自らを非難するような法改正に本当に取り組むの? 私が法制審に不安を抱く理由、分かっていただけました? 皆さんも不安になりませんか?
法制審への不安と期待
そもそも判検交流って、三権分立違反だと思うんです。違反してないって言う人もいます。というか、違反してないという前提でこの制度は今なお行われているわけで。けど、やはりおかしいと思うんです。どう考えても三権分立の精神に反しているんですから。
三権分立っていうのは、国の権力を立法と行政と司法に分けた制度です。なんでこんな制度作ったのでしょう? それは、権力が一人に集中すると、その権力者が権力を濫用するからなんです。それを未然に防ぐために権力を分散させた。それが三権分立です。つまり、この制度の根底にあるのは、「権力者に対する不信」なんです。権力者という「人」を信じすぎてはいけない。むしろ、人は権力を持つと堕落する、そう考えないといけない。そういう信念が、この制度の根底にはあります。
一方、判検交流を肯定的に捉える人は、こんなことを言います。
「裁判官が法務省に来て、立法過程に携わってもらうことで、多くの政治家や官僚が裁判官から多大な知的示唆を受けることができた。これは得がたいことであり、判検交流があるからこその財産だ」
うーん、これって、権力者である裁判官という「人」を信じすぎじゃないですか? 裁判官が、司法と行政を股にかけて行き来して、「多大な知的示唆を受けることができた」なんて諸手を挙げて称賛するって…。だったらいっそのこと、三権分立なんて、廃止しちゃったらいいんじゃないですか? 立法も行政も司法も裁判官に任せれば、もっともっと「多大な知的示唆」を受けられるんじゃないでしょうか。私は反対しますが。
私は法制審の今後の審議の方向性に不安を持っています。と同時に、希望も持っています。なぜなら、現状を変えてくれる可能性があるのですから。前回と今回のコラムで私が法制審への懸念をいろいろと書き連ねたのは、法制審のことをまるっきり信じないからということではありません。ただ、今の段階で、全面的に信じ切れていないのは事実であり、その理由をここで述べさせていただきました。内心では、期待もしているんですよ。きっと私の不安を良い意味で裏切ってくれると。私がこのコラムで述べた懸念が杞憂であることを心から願います。
琉球弧の有事ムードを次の段階に高めて、日米の軍事演習「キーン・ソード23」が終わった。期間中、基地の外から訓練を撮影していた琉球新報の写真記者を自衛官が制止し、撮影データの消去を求める事態が起きた
▼取材に対して、自衛隊は法的根拠なく規制した非を認めた。一方で、「秘密保全の観点」「お願いベースで」などの言葉もあり、規制したい本音がのぞく。戦前は、軍機保護法などで撮影を禁止できた
▼「軍機」が真実をのみ込み、惨禍を招いた戦争の後、自衛隊は日本軍とは別の組織として出発した。現実はどうだろう。音楽隊は軍歌を受け継ぎ、今も「軍艦マーチ」などを演奏している
▼「悠遠なる皇御国(すめらみくに)」というレパートリーもある。現役自衛官が3年前に作った曲で、「皇御国」は天皇が統治する国を指す。自衛隊による演奏は、天皇は象徴、主権者は国民、と定める憲法に反するのではないか
▼疑問を投げかけると、陸上幕僚監部は「違憲かどうか判断する立場にない」と答えた。「令和の新時代の始まりに、皇室の伝統文化や平和への思いを受け継ぎたいと隊員が作曲した」のだという
▼「新時代」に、琉球弧は最新の兵器で埋め尽くされようとしている。使う人間の方は戦前回帰の指向が見える。自衛隊はどこに行くのか。どこに、私たちを連れて行くのか。(阿部岳)
★」
>、中国の行動を脅威と「感じる」とした人も9割に上り、緊迫する国際情勢が意識の変化に結びついたとみられる
中国を脅威と受け取る県民が9割に上るのに、「米軍を脅威」「中国に親しみを帯びる」と公言する伊波洋一氏を支援する沖縄2紙の報道が県民を騙してきたのは明らかだ。
反基地活動家の嘘を暴露したひろゆき氏のコメントに沖縄タイムス阿部岳記者が発狂するのは、自分の嘘報道を晒されたからだ。
基地はメディアが監視するもの、というが問題は中国から工作資金が流入している沖縄タイムスが監視して、何処に報告するつもりか。
【おまけ】
南西諸島などで10日間の日程で行われた最大規模の日米共同演習「キーン・ソード」が19日、終了した。自衛隊は「台湾有事」が南西諸島に波及する事態を念頭に対処能力の向上を急いでおり、今回の訓練はこれまでにない切迫感の中で行われた。(社会部 狩野洋平、那覇支局 今村知寛)
「台湾有事」波及警戒
鹿児島県・徳之島の砂浜で人影が動いた。黒いウェットスーツを着込み、ひそかに潜入していた複数の自衛隊員が、周囲に敵がいないことを入念に確認し、海に向かって手を振った。
「上陸可能」――。
その連絡は、十数キロ沖に浮かぶ海自の輸送艦「おおすみ」と米揚陸艦「ニューオーリンズ」に伝達された。両艦が搭載する14両の水陸両用車が海面に送り出され、陸に向かって進んでいく。砂浜に乗り上げる直前、上空に敵からの目隠しとなるスモークを出し、車内から走り出した隊員が海岸一帯を制圧していった。
自衛隊は18日、占拠された離島の奪還を想定した訓練を公開した。海岸に集まった数百人の地元住民がその様子を見守った。
徳之島では、南西諸島としては初めて日米の輸送機オスプレイが参加する訓練が行われた。強力な105ミリ砲を持つ16式機動戦闘車(MCV)も配置された。
今回の演習では、日本最西端の沖縄県・与那国島にもMCVが初めて派遣された。同島は台湾から110キロしか離れておらず、台湾有事が起きれば、重大な影響が及ぶと懸念されている。
与那国駐屯地に向けて公道を走るMCV(17日、沖縄県与那国町で)
MCVは戦車と違い、八つのタイヤで走行する。時速約100キロで移動でき、戦車より軽いため空自機による輸送も可能だ。離島防衛の要とされる装備で、防衛省は来年度までに計134両を調達する計画だ。
17日、C2輸送機で与那国空港に運ばれたMCV1両は、駐屯地までの公道約6キロを自走し、敷地内に入っていった。
自衛隊幹部は「住民の反発を招かないように、MCVを派遣する時期は慎重に検討してきた。実施に踏み切ったのは、悪化する国際情勢に対応するため、機動展開能力を確認する必要があったためだ」と切迫感を口にした。
キーン・ソードは1985年度からほぼ2年に1度、行われている。16回目の今回は、自衛隊と米軍の計約3万6000人と艦艇30隻、航空機370機が参加。各地で戦術訓練を実施した。
自衛官トップの山崎幸二・統合幕僚長は14日の記者会見で、「(平時と有事のはざまの)グレーゾーンから武力攻撃事態までの状況を想定し、実践的な訓練を行う」と強調した。
重点を置いた分野の一つが、組織的な戦いを続ける「継戦能力」の向上だ。重装備の部隊を南西地域に送り込む輸送力のほか、補給や戦傷者への医療活動など自衛隊に不足している能力の強化を目指した。
15日には、オスプレイを使用し、負傷した自衛隊員や米兵を沖縄本島の病院に搬送して治療する訓練を行った。
受け入れ先の自衛隊那覇病院(那覇市)の病床は50しかない。機能を拡張するため、東日本大震災で活用した「移動式医療システム」を敷地内に持ち込んだ。手術も可能な装備で、沖縄県内で使用されるのは初めてだ。より高度な治療が必要な負傷者をC130輸送機で本土に移送する訓練もした。
演習には、ウクライナ侵略後、日本と連携を強化している北大西洋条約機構(NATO)の武官もオブザーバーとして招いた。
訓練を視察した武官は「日米の緊密な相互運用性は、将来的に多国間の枠組みでも生かすことができる」と語った。
防衛省は、南西諸島で大規模な演習を行うこと自体が抑止力になるとみている。政府は反撃能力の保有も検討しており、5年以内に防衛力を抜本的に強化する方針だ。自衛隊は演習で得た教訓の洗い出しを急ぎ、防衛力整備に生かす。
南西諸島では、今後も自衛隊や米軍による大規模な演習が続くとみられる。政府には、より丁寧な住民対応が求められる。
同諸島は長らく、陸自部隊の「空白域」だった。しかし2016年に与那国駐屯地が開設されるなど、急速に部隊配備が進んでいる。変化の速さに不安を抱く住民も少なくない。
与那国島へのMCV派遣を巡っては、実施時期やルートが住民に伝えられず、訓練を容認する住民からも「事前に説明すべきだ」との声が上がった。
政府は有事の際に、自衛隊を派遣したり、住民を避難させたりするため、南西諸島の空港や港湾などのインフラ(社会基盤)を活用したい考えだ。
しかし玉城デニー知事は10日の記者会見で「なし崩し的に物事が進められることを危惧している」と述べ、警戒感をにじませた。
悲惨な地上戦を経験した沖縄では、自衛隊に複雑な感情を持つ人も少なくない。ただ、理解は徐々に深まっている。本土復帰2年前の1970年に読売新聞が実施した世論調査では、自衛隊が駐留することへの賛否は拮抗(きっこう)していた。だが、復帰50年となった今年の調査では「賛成」が48%で、「反対」は10%だった。
この調査では、中国の行動を脅威と「感じる」とした人も9割に上り、緊迫する国際情勢が意識の変化に結びついたとみられる。
政府は今後、武力攻撃を受けたときに、住民が逃げ込むシェルターの整備や避難訓練の実施などを進め、住民の安全確保策も充実させる方針だ。(西部社会部 遠藤信葉)
★」
>、中国の行動を脅威と「感じる」とした人も9割に上り、緊迫する国際情勢が意識の変化に結びついたとみられる
中国を脅威と受け取る県民が9割に上るのに、「米軍を脅威」「中国に親しみを帯びる」と公言する伊波洋一氏を支援する沖縄2紙の報道が県民を騙してきたのは明らかだ。
反基地活動家の嘘を暴露したひろゆき氏のコメントに沖縄タイムス阿部岳記者が発狂するのは、自分の嘘報道を晒されたからだ。
基地はメディアが監視するもの、というが問題は中国から工作資金が流入している沖縄タイムスが監視して、何処に報告するつもりか。
10年前と比較して、南西諸島で実際に有事が起こる危険は大幅に高まった。 そして、10年後は確実に、今より危険が高まるだろう。 南西諸島の人々は、今のウクライナ国民の悲惨な状況が、将来、 自身や家族の身に降りかかる可能性を、もう少し真剣に検討すべきだと考える。
現在の状況を考えれば南西諸島防備を堅めることは当然であり、むしろ中国がなし崩し的に進める侵略行為に危惧を感じることなく自衛隊に危惧を感じる玉城知事の発言に危惧を感じる。
陸上自衛隊の自衛官が10日、沖縄県の南与座分屯地(八重瀬町)周辺の民間地から訓練の様子を撮影していた琉球新報の写真記者を制止し、撮影データの削除を求めていたことが分かった。同社が根拠を尋ねると、自衛官は削除要求を取りやめた。
この日から日米共同統合演習「キーン・ソード23」が県内などで始まっており、写真記者は自社腕章を着けて取材していた。午後4時過ぎ、自衛官2人が近づき、「写真を撮るのはだめなので(画像データを)消してください。消すところも見せてください」と求めた。
琉球新報の島洋子編集局長は「撮影は県民に演習の様子を知らせるための正当な取材。県民の知る権利に応えるための報道への介入と受け止められるような行為はあってはならない。自衛隊は再発を防止していただきたい」と求めた。
陸自第15旅団はデータ消去などを求めたことを認め、「外部からの撮影を禁じてはいない。齟齬(そご)が出てしまった。今後、法令に基づいて対応するよう各部隊を指導していく」と述べた。 (編集委員・阿部岳)
Ro14時間前
非表示・報告
記者が県民の知る権利に応えるために努力をしているのは悪くないと思います。
でも、自衛隊にも国民を守る義務の他に、行政としての守秘義務などあります。
記者が何を取材しようとして自衛隊に静止を求められたのかを書かなかったことは、行き過ぎた取材だったと認識しているのでは?
沖縄県民でも漁師などは、中国による尖閣諸島周囲での行動に警戒していて、防衛強化を望む人がいると思います。
中国の脅威の他にも失業問題など、沖縄県が抱えている問題は複雑で、沖縄メディアも在日米軍基地や自衛隊を批判すれば良いという、単純なことではないと気付いているのでは?
沖縄県知事も、基地0やオール沖縄と言って支持を得られるうちは平和だと認識してほしい。
返信
27
件
3607
193
カシューナッシ
カシューナッシ12時間前
非表示・報告
公開できる訓練とそうでない訓練がある
腕章を付ければ何でも取材できるというのは大きな勘違い
特に左翼系の新聞社は隠し撮りしたりすることもある
装備の中には機密の塊的な装備もある
その辺の写真や映像が他国に漏れるようであれば立派なスパイ行為
ここまで訓練を取材させる国は日本くらいではないでしょうか?
国によっては絶対にカメラを向けないでくださいと言う国もある
いかにも自衛隊側が悪いように書いてあるが日頃から「琉球新報」「沖縄タイムス」は反米軍、反自衛隊の新聞社として有名です。
返信
23
件
2512
90
jaz*****
jaz*****15時間前
非表示・報告
演習の中には口外されては困る
と言うか他国に知られる事で自衛隊の戦略や兵器や防衛レベルが判断される
と言う部分も大きいように思いますけどね
報道を認めていたとしても国家防衛に関わるのであれば仕方ないと思います
ただ自衛隊も
ここからは撮影は禁止となります
等の通達はした方が良いですし、
規約にも指示があったら従い場合によっては罰則や刑罰もある
と記載してれば良かった(書いてるかも知れませんけど)
返信
5
件
1642
71
xul*****
xul*****11時間前
非表示・報告
本件に関しては、知る権利を尊重すべきであり、その前提である取材についても、適法であれば、当たり前で何ら規制を受けてはならないと思います。
ただ、県内マスコミさんは、県政を担う首長同様、自衛隊、米軍=けしからん存在という偏向報道に徹しているようにしか見えません。陸自ヘリによる急患輸送を誰が担っているのですか?。今回の訓練の目的、必要性は、記事の中には書きません。防人の方々(自衛隊、米軍)、国の指導者がなぜ、係る訓練をしているのかを報道するのも、知る権利を標榜するマスコミの責務では。命を掛けて訓練し、使命感で活動する方々を批判してはいけません。
返信
3
件
766
71
aux*****
aux*****13時間前
非表示・報告
隊員から注意を受ける前にどういう取材の仕方をやっていたのかを知りたい。
写真取材は撮影の意図により偏向報道と判断されてしまう中立性があやふやな媒体であることを報道新聞各社は理解してほしい。
まして沖縄は海上で国境に接している土地です。たとえ条例があったとしても国土を護る自衛隊隊員がナーバスになることもべきでは民意主義を掲げる新聞社なら配慮すべきではないでしょうか?国民の知る権利・報道の自由を主張するなら全国から批判されないような誌面作りをお願いします。
返信
2
件
720
25
mar*****
mar*****8時間前
非表示・報告
私も記者時代に機密に関わる写真を数多く撮影した記憶があります。私たちは一歩見方を変えたらスパイ行為。自衛隊や米軍とはウイウイの関係も大切です。もちろんスクープを発表して世界や日本を助ける事もあるかも知れないけど、自衛隊や米軍から「撮影は構わないけど、発表は控えて欲しい!」と言われたら、発表しないのがお互いのため。自分の経験から、そんな事は多々あった。自分たちは許可をもらって取材しているのだから、文句言われる筋合いはない!では物事うまくいかない事もある。自分たちは正義の味方!はテレビドラマの中にしてもらいたい。国益を損なう行為は賛成できない。たまたま二週間ほど前、元自衛隊広報官の方と同様の内容の話を話した。この記事を読んで、その事を思い出した。
返信
2
件
203
13
fur*****
fur*****14時間前
非表示・報告
>琉球新報の島洋子編集局長は「撮影は県民に演習の様子を知らせるための正当な取材。県民の知る権利に応えるための報道への介入と受け止められるような行為はあってはならない。自衛隊は再発を防止していただきたい」と求めた。
その「正当な取材」で、以前にも「米兵が本紙記者に銃口 那覇軍港警備訓練の取材中に」とか、やらかしている実績がある「琉球新報」ですからね。「齟齬」があったということですが、自衛隊や米軍からしたら本来は出禁にでもしてやりたいところでしょう。
興味がある人は、ぜひ「米兵が本紙記者に銃口 那覇軍港警備訓練の取材中に」で調べてみてください。「琉球新報」のやり口が、どういうものかよく分かりますんで。
返信
6
件
1327
49
lil*****
lil*****14時間前
非表示・報告
これはそもそも撮影ができる法律がおかしい
世界では鉄道や橋梁ですら軍事施設として許可を得ないと撮影が違法である国もある位なのに日本は緩すぎるだろう
民間地から且つ外部でのと言っているので自衛隊に取材を申し込んで取材したわけでなく、あくまで知る権利を振りかざして撮影したものと思われる
記者含め何人たりとも許可無しでの撮影は違法とするべきだろう、国防に関わる内容なのだから知る権利を超えている
返信
4
件
1146
55
the*****
the*****2時間前
非表示・報告
日本でそういう議論が出来ることが本来凄いこと。
他国じゃ完全にアウトで機器の没収は普通にあるし、社会主義国なら撮影者を監視すらしている。
私達日本がこういう話が出来ている事自体平和な国だし、それ以上に撮影が世界では非常識なことを分かった上で撮影し、静止されたらそれを批判する記事を書く。
もちろん罪刑法定主義だから、規定以上の取り締まりが出来ないのも事実ではある。しかしそのことを問題にするワケでもなく、ただ単にその対応を非難する。それはつまり、新聞社は自分の都合のいいように情報を操作する権力を使って、世論を操作しようとすること。
彼らいくつかの新聞社は、日本的公正さで日本社会を良くしようとする気がサラサラないことをよく表している。
日本の公正感で批判しない新聞社って、それは「反政府勢力・他国勢力の機関紙」って普通は言うと思うけどなぁ。
返信
0
件
25
2
chi*****
chi*****9時間前
非表示・報告
私は自衛隊の対応を支持します。琉球新報が信じられない。完全に中国のための報道機関と受け取ってます。沖縄以西での自衛隊訓練に対する反対運動は常軌を逸しています。ほんとうか??と思う方は、是非現地で確認してください。身の危険もあるかもしれませんが、それほど常軌を逸しています
猫神様17分前
非表示・報告
尖閣周辺で中国公船が地元漁船を追い回したり領海侵入する行為には「中国公船がパトロールしているので故意に刺激することは控えなければならない」。
与那国島で自衛隊車両が公道を走行「誠に残念」。
どこの国の知事の発言なのだろうかと思ってしまうくらい耳を疑ってしまう。
返信
0
件
24
1
e*****
e*****18分前
非表示・報告
有事の際に沖縄を守ってくれる戦闘車をなぜ批判するのかわからない。
天安門のように県民と衝突するわけでもなし。
もうすこし世界情勢を勉強してほしい。いま沖縄でどの様なリスクが有るのか。
返信
0
件
17
1
arr*****
arr*****4分前
非表示・報告
災害の時も
同様の事を言うのでしょうか?
国防の為にやってる事だとは思わないのでしょうか?
何にでも反対の立場ですが
此処も日本だと理解出来てないのではないでしょうか?
返信
0
件
2
0
sin*****
sin*****20分前
非表示・報告
中国の脅威が迫っている今、そんなことをいうあなたが残念。こういう知事を選んでしまう沖縄県民が残念。もっとも、脅威とか思っていなくて、お仲間だと思っているのかもしれぬが。
返信
0
件
28
2
jfp*****
jfp*****7分前
非表示・報告
無人機や大砲積んだ戦艦もどきがウロウロしているのに、この対応はどうなの?まさか変な踊りで歓迎するつもりではないだろうね?
返信
0
件
6
0
fam*****
fam*****13分前
非表示・報告
島民・県民・国民を守ろうとする演習行為を批判する理由が分かりませんわ。
那覇市長の「転向」は、ひろゆき氏の活躍が大きく貢献した。
玉城デニー県知事は安倍元首相の「国葬(国葬儀)」に参列せず、沖縄県庁は全都道府県で唯一、国葬当日の弔旗も掲げなかった。
安倍氏と3回ほど会い、国葬に招待された与那国町の糸数健一町長は「安倍氏は(台湾に近い)与那国のことをすごく気にかけていた」と悼んだうえで、「与那国では、どんなに仲が悪くても葬儀には出るという常識がある」と玉城氏を批判した。
非常識のデニー知事を当選させたのは、沖縄県民である。ひろゆき氏による米軍基地反対派のいかがわしさ暴露を契機に、「オール沖縄」「玉城デニー氏のいかがわしさ」に沖縄県民が気が付くべきである。
16日就任した知念覚那覇市長が、米軍那覇港湾施設(那覇軍港)での航空機運用について、従来の反対姿勢から「白紙」に転じ、波紋が広がった。県幹部はこれまでの県と那覇市の協調路線を離脱するのではと警戒感を示す。一方、政府や国政与党の関係者から知念氏との急接近を期待する声が上がる。
(政経部・又吉俊充、東京報道部・嘉良謙太朗、新垣卓也)
11月2日、自民党本部。「選挙に勝つことができた。ご支援ありがとうございます」。知念氏は、向き合った茂木敏充幹事長に選挙協力への礼を述べた。上京した知念氏は、沖縄政策に影響力を持つ菅義偉前首相ら与党幹部と相次いで面会。党関係者によると、城間前市長の側近として那覇軍港の浦添移設を前進させた知念氏の手腕を、菅氏は評価しており、「即戦力」と期待も高いという。
市町村から増額要望の強い国の「沖縄振興特定事業推進費」は、来年度予算の概算要求では5億円減の75億円となっている。自民関係者は「どこまで増額できるか」と述べ、年末の予算編成に向けて保守系の首長が増えたことを好材料と捉える。
「何らかの求めがあれば、当然応じることになる」。防衛省関係者は「白紙」宣言を受け、米軍基地の使用条件を定めた「5・15」メモや軍港での航空機運用について、知念氏の理解を得るために丁寧に説明する意向を示す。地元市長が反対の拳を下ろせば、明確に異を唱えるのは玉城デニー知事だけとなる。
別の政府関係者は「知念氏がこちら側につくのは確実。知事の外堀は埋まり、今後どう辺野古や軍港の問題に向き合うのか」とほくそ笑み、こう続けた。「辺野古などの基地問題は、那覇市民の生活とほとんど関係ない。より良い市政のためには知念氏が必要だ」
県幹部は、「白紙」宣言に違和感を隠さない。「県と那覇市は14日に連名で国に抗議したばかり。こんな短期間でスタンスが変わるのか」。城間前市長への配慮から「一気に逆張りにするわけにはいかないのだろう」と「白紙」を掲げた意図を分析。配慮期間が終われば、容認に転じるのではないかと警戒感を強めた。
知念氏が故・翁長雄志元知事の薫陶を受けてきたことを念頭に、こうつぶやいた。「『政治は妥協の芸術』という翁長氏の信条を、知念氏がどう自分に落とし込み、受け止め、理解しているのか。これから見極めるしかない」
(写図説明)幹部らをグータッチで激励する知念覚那覇市長(左)=16日、那覇市役所
【沖縄が危ない!】 中国の習近平総書記(国家主席)は10月16日の共産党大会で、台湾統一について、「武力行使の放棄は絶対に約束しない」と言明した。台湾から約110キロ西に与那国島(沖縄県与那国町)があり、中国が台湾に侵攻すれば、八重山諸島も火の粉をかぶる。いとも簡単に戦争を口にする習氏の傍若無人に、離島住民として憤りを禁じ得ない。 【写真】中国海軍を観閲する習近平国家主席 与那国町は「台湾有事」を危惧し、住民の避難用シェルター整備を日本政府に要望しており、政府も前向きに検討している。 与那国町に加え、近隣自治体の石垣市、竹富町も、沖縄県に有事を想定した住民避難体制の構築を求めている。本土はいざ知らず、国境離島の住民にとって台湾侵攻は「今そこにある危機」である。 歴史の教訓もある。中国の軍事的台頭は、1930年代のナチス・ドイツにそっくりだ。ナチスは独裁者ヒトラーに率いられ、ドイツ人の人種的優越など独自の世界観を掲げ、破滅的な大戦に突き進んだ。 現在の中国も「中華民族の偉大な復興」という荒唐無稽なスローガンのもと、国際協調を無視した外交を推し進めている。習氏一人が14億人の国民の頂点に君臨し、暴走の歯止めが利かないのもナチスに似ている。 ナチスに戦争の好機を与えたのは、当時の国際社会が取った融和政策だった。日米欧は90年前と同じ轍を踏まず、「中国が台湾や尖閣諸島に軍事力を行使すれば、共産党政権は必ず壊滅する」というくらいの強いメッセージを発信すべきだ。 「台湾有事は日本有事、日米同盟の有事」と断じ、習主席に直接、警告を発していた唯一の有力政治家が、安倍晋三元首相だった。 中国外務省は安倍氏の発言に対し、「内政に乱暴に干渉した」などと強硬に抗議したが、痛い所を突かれたのは明白だった。 安倍氏亡きあと、誰もが一目置く発言力で中国を牽制(けんせい)できる政治家は、日本にはもう見当たらない。「安倍氏暗殺」という愚行が、台湾や尖閣を狙う中国の動きを一層加速させないか心配だ。 沖縄県の玉城デニー知事も、中国への「平和外交」を唱えるばかりで、中国側の暴言に反論する様子を見せない。 玉城氏は安倍氏の「国葬(国葬儀)」に参列せず、沖縄県庁は全都道府県で唯一、国葬当日の弔旗も掲げなかった。 安倍氏と3回ほど会い、国葬に招待された与那国町の糸数健一町長は「安倍氏は(台湾に近い)与那国のことをすごく気にかけていた」と悼んだうえで、「与那国では、どんなに仲が悪くても葬儀には出るという常識がある」と玉城氏を批判した。 玉城氏は「離島の危機」を真剣に受け止めているのか。安倍氏を嫌う反基地派へのアピールを国葬参列に優先させた態度を見れば、答えはおのずと明らかだ。 ■仲新城誠(なかしんじょう・まこと) 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。現在、同社編集主幹。同県のメディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に『「軍神」を忘れた沖縄』(閣文社)、『翁長知事と沖縄メディア 「反日・親中」タッグの暴走』(産経新聞出版)、『偏向の沖縄で「第三の新聞」を発行する』(同)など。
9時間前
非表示・報告
とにもかくにも、街の交番的な役割のものは必要だ。 領海、領空、日本固有の領土を脅かすものから日本を守らなければいけない。 基地問題で色々な議論はありますが。 戦争を起こさせないたもにも。 最低限の軍備は必須だ。何も他国を侵略するわけではない。 保有するのは、日本が他国に攻め込まれる事が無いくらいの軍事力を。
返信0件
181
4
lzc*****
10時間前
非表示・報告
戦後、安倍さんほど対抗勢力が多い総理大臣は居ません。安保関連で多くの実積を残し、今その法制により日本国の国防を前に進める事が出来ます。 旧態依然の法制枠内での安保議論は時節に全く呼応出来無い事は明白です。しかし、 安倍さんは法整備をしても尚、平和外交の重要性を強く主張した方です。 安倍さんが居なくなった日本の現在地で、一体誰が戦火から日本を守れる判断が出来るのか私には分かりません。 もしかすると 山上徹也が日本国を戦火へと導く人間なのかも知れません。 野田さんの追悼の言葉のように、何れ歴史として残り議論されて行くのでしょうが、安倍さんの死は日本国にとって余りにもにも大きな損失だと思います。
返信2件
217
15
qqh*****
10時間前
非表示・報告
玉城知事は、余りに中国に近寄り過ぎている為に大変沖縄は危険な状態にあります。習近平出席も玉城知事を利用しようとするだけでなく、沖縄全体の防衛が疎かになる可能性があります。 尖閣諸島に中国軍が来襲した場合に、玉城知事の政府への非協力では、日本は防御する事が大変やりにくくなる事は確実で、沖縄の政府に協力する市や町の協力を得て防衛体制を作るしかないでしょう。 アメリカ軍もいざという時は、当てにならないが後方支援はしてくれる可能性はあります。
返信3件
277
11
社会Nomad
9時間前
非表示・報告
基地問題で重要だと思うのは、反基地活動反対派に対する脅迫行為だと思う。ところで、普天間の住人が基地のある土地の返還を訴える活動をしたら基地移転反対派はどうするのか。反基地活動だが、辺野古への移転をうながす行為でもある。大変興味があるな。
返信0件
31
4
ザリガニ
7時間前
非表示・報告
シェルター設置を国に要望? 仰天しました。そんな税金の無駄遣いは言語道断です。税金は平和のために使うものです。中国を挑発し戦争するために使うものではありません。 台湾有事など起きませんし、中国が沖縄に侵攻するなどあり得ません。 中国脅威論はネトウヨの戯言に過ぎません。日本は米軍や自衛隊を使って中国を挑発し戦争を目指しています。 中国は有史以来、日本と違い他国を侵略したことはありません。 尖閣諸島が問題なるのであれば、平和のために中国に譲れば良いと思います。
返信0件
2
61
ngn*****
10時間前
非表示・報告
ずいぶんと煽る記事だなぁ。 中国にとって台湾は核心中の核心であるが、南西諸島に対する征服欲はないと見ている。 中国としては依存性を高め朝貢させるだけで十分と考えていると思う。そう言った意味では沖縄県を独立させ朝貢関係を結ぶ可能性を懸念する必要はあるだろう。その方が圧倒的に様々なコストが安く付くからである。台湾さえ手に入れば太平洋に何の心配無く自由に出入り出来るので、南西諸島など領土に取り込みたいなどと考える事はない。 台湾有事で日本領土に武力攻撃の可能性があるとしたら、米軍基地・自衛隊基地と、先島諸島の領海領空制圧の時のみである。 基地への攻撃は即米軍参戦の可能性を飛躍的に高めるので中国としてはコストが高くなる。やるとしたら、先島諸島の領海領空の制圧の時ぐらいだろう。
返信8件
8
216
n.m
8時間前
非表示・報告
知事のデニーは、近い将来起こる可能性の高い台湾有事やそれに伴う中国軍の尖閣や石垣島等の離島への侵略に対し、離島の人々の安全確保を優先事項で行うより、中国に忖度して侵略を防ぐ抑止力となりうる米軍基地を無くし人民解放軍が侵略しやすくする事の方が大事みたいですね。 この前の知事選はいくら石垣島や宮古島等離島の有権者が基地賛成派の候補者に投票しても、本島のデニー支持の有権者の方が数が多かったのかも知れませんし、現実を見ようともしないオール沖縄や沖縄2紙の様な親中左翼のお花畑の輩の為に離島の方々の安全が脅かされ、苦労されている事に大変憤りをおぼえます。
返信0件
58
4
oos*****
10時間前
非表示・報告
恐怖心で、常識すら失ったのでしょうか 幾ら、武力で対抗しても無意味くらい分からないのでしょうか 相手が攻撃してくるのにも理由が存在しますよね その理由を、理解し攻撃しても無意味な状態にする事ですよ戦争を避ける方法は 台湾有事の理由を考える事です 日本にも当てはまりますよ 日本の領土と財産を狙っている訳ですから「国内の原発を再稼働」させる事で、攻撃すれば日本は壊滅すると知らしめる事です さすれば、無意味な攻撃はしないでしょう
返信6件
6
163
qek*****
10時間前
非表示・報告
玉城知事はアメリカにばっかりいってないで、中国に対してもあなた方が変に挑発行為をしなければ、アメリカだってアジア地域にまでで張って警戒をしなくても良くなるはずだから、平和的に大人しくすべきですよ、って説得して欲しいです。双方がおとなしくしてくれたら日本は平和憲法をおおいに発揮して軍備になどお金かけたりなんかしないんだから。 本当に不思議、なんで中国には言わないんだろう?
返信0件
124
5
lin*****
8時間前
非表示・報告
>>>「台湾有事は日本有事」と断じ...唯一の有力政治家が、安倍晋三元首相だった。 先日のアンケート調査結果: 中国が台湾を軍事的に攻撃した場合(つまり「台湾有事」)、自衛隊が米軍とともに中国軍と戦うことについては、「賛成」「どちらかと言えば賛成」が計22%だったのに対し、「反対」「どちらかと言えば反対」が計74%だった。 この”名言”は国民の民意とどれほど乖離しているのか、この調査結果ではっきりわかるはずだ。 それこそ”荒唐無稽なスローガン”。 それこそ政治家の”暴言””暴走”、ポピュリズムを煽り人気を寄せる政治屋の妄言だ。 皮肉も甚だしいが、この妄言は台湾の民意を獲得することに大成功だった。 台湾は中国に侵攻された場合、外国の参戦はあるかどうか、というアンケート調査によれば、4割ほどの台湾人は日本が参戦すると思っているんだ。 「米国参戦」よりも”割高”だ。 正に荒唐無稽...
【沖縄が危ない!】 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する「オール沖縄」勢力が瓦解(がかい)寸前だ。沖縄の選挙イヤーである 玉城氏は、辺今年、県都・那覇市を含め県内7市の市長選が行われたが、「オール沖縄」は政府与党推薦の候補に全敗したのだ。 沖縄には11市あるが、玉城デニー知事の支援を受けた市長が在任するのは、辺野古とは無関係な離島の宮古島市だけになった。野古移設阻止へ政府と対峙(たいじ)する姿勢を崩さない。だが、その前に玉城氏自身が、保守系市長らによる包囲網を破らなくてはならないだろう。 玉城氏が「オール沖縄」として今年の知事選で再選されたのは事実である。ただ、知事選は対抗馬の保守系勢力が分裂した選挙であり、得票差を見る限り、一騎打ちであれば結果は変わっていたかもしれない。 かつて隆盛を誇った「オール沖縄」が求心力を失った理由は何か。 私は、対中最前線の要衝である沖縄で、非現実的な安全保障政策を掲げたことが最大の失敗だと思う。 玉城氏は今年5月、岸田文雄首相に対し、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有や、核共有の検討をしないよう求める「建議書」を提出した。8月、中国軍が沖縄周辺のEEZ(排他的経済水域)に弾道ミサイル5発を撃ち込んでも、日本の抑止力強化に反対を叫び続けた。 辺野古移設は阻止するが、県民の安全は「平和外交」で守る。そんな荒唐無稽な主張で、県内はともかく、全国に共感が広がるだろうか。 そもそも、「オール沖縄」が辺野古阻止を実現する方法は一つしかなかった。日本維新の会のように、地方勢力から全国政党へと脱皮し、国会の多数派になって政府に基地政策の見直しを迫ることだ。 保守・革新を糾合した「オール沖縄」の理念には、それなりに話題性がある。政策さえまともなら、全国進出はあながち夢ではなかったはずだ。 しかし、「オール沖縄」の実態は、お花畑のような政策を掲げる選挙互助会に過ぎなかった。単独では勝てない共産党や社民党といった革新リベラル政党が、翁長雄志前知事に代表される保守政治家をみこしに担ぎ、保守層を狡猾に取り込む道具でしかなかったのだ。 県内の選挙で連勝するうち、いつしか「お山の大将」と化し、支持層のコアである反基地派の声ばかり重視するようになった。それが保守勢力の失望と離脱を招き、組織を先細りさせた。 もはや、「オール沖縄」という名称が命脈を保つのは、長くて次の知事選までだろう。 沖縄は2代にわたる「オール沖縄」県政によって、政府と泥沼の対立を続け、幾多の成長や発展のチャンスを失ってきた。後世の県民は「オール沖縄」に翻弄された10年を、苦い記憶として歴史に刻み込むのではないか。
なかしんじょう・まこと 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。現在、同社編集主幹。同県のメディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に『「軍神」を忘れた沖縄』(閣文社)、『翁長知事と沖縄メディア 「反日・親中」タッグの暴走』(産経新聞出版)、『偏向の沖縄で「第三の新聞」を発行する』(同)など。
JID*****
JID*****9分前
非表示・報告
このオール沖縄は元々保守と革新が合わさった地域政党の様なもので、保守派の意見も革新派の意見も聞いてくれるはずだった。しかしながら保守革新の壁を越え共闘することは無く、反基地派の意見しか聞かなくなった。対中の最前線である沖縄では現実的な安全保障政策はしっかりとした方が良い。
返信
0
件
14
2
tac*****
tac*****19分前
非表示・報告
良識ある沖縄県民が、騙されなくなってきたということでしょうか。その人達に県知事にデニーさんを再選したことは、痛恨事だと思います。なにせ、自衛ていの戦闘車両の公道走行にいちゃもんをつけて、代替車輛を使えなどと主張する人ですから。
返信
0
件
53
2
ban*****
ban*****4分前
非表示・報告
オール沖縄の本質は沖縄ナショナリズム。
保守革新の違いを乗り越えて沖縄県民が団結し、沖縄の民意をてこに日米両政府を交渉のテーブルに引きずり出し、沖縄の運命を沖縄が決める。
甘い夢は現実に負けた。
もう沖縄政治は次のステージに進まなければならない。
返信
0
件
4
1
kix*****
kix*****1分前
非表示・報告
辺野古と関係の無い自治体の首長選挙でも辺野古反対を言い続けてたら、
そこの住民にとっては辺野古のことより自分たちの生活を良くするために
なにをしてくれるのかって思うよね。
米軍反対、辺野古反対と言ってたら選挙に勝てる時代は終わったんですよ。
返信
0
件
0
0
aau*****
aau*****4分前
非表示・報告
ひろゆきの貢献が大きいだろう。その後の沖縄タイムズ、阿倍記者の自爆も貢献している。
ネット民はいかにオール沖縄なるものが出鱈目か、よく理解したに違いない。
返信
0
件
0
0
alp*****
alp*****7分前
非表示・報告
今までTV・新聞が情報源だったのがSNSやyoutubeの発達で事実が発信され今まで騙されていたことを知った県民の反乱では?
返信
0
件
3
0
nasig*****
nasig*****4分前
非表示・報告
沖縄県民です。私も数年前迄は左巻きのオール沖縄派でしたが、今ではこの連中をオールド沖縄と呼んでます 笑
2011年4月26日、文科大臣は、沖縄戦での「集団自決」をめぐる大江・岩波訴訟で軍の関与を認めた判決確定を受け、教科書検定について「(検定は)教科用図書検定調査審議会(検定審)で専門的、学術的に審議されている。これからもそうだ」と述べ、高校歴史教科書検定で「集団自決」の記述から日本軍の強制を削除する根拠となった検定意見を撤回する考えがないことを表明した。
沖縄タイムス 2011年4月27日
【東京】高木義明文部科学相は26日の閣議後会見で、沖縄戦での「集団自決(強制集団死)」をめぐる大江・岩波訴訟で軍の関与を認めた判決確定を受け、教科書検定について「(検定は)教科用図書検定調査審議会(検定審)で専門的、学術的に審議されている。これからもそうだ」と述べ、高校歴史教科書検定で「集団自決」の記述から日本軍の強制を削除する根拠となった検定意見を撤回する考えがないことを表明した。 判決確定については「私人の論争なので司法が下した判断についてコメントする立場にはない」とし、沖縄戦については「住民を巻き込み、多くの人が犠牲になった。歴史を風化させてはならず、しっかり子どもたちに教えていくことが重要だ」と語った。
今後の教科書検定に訴訟の結果が反映されるかとの問いには「検定審で客観的、学問的な成果に照らして審議されると思う」と述べるにとどめた。 歴史教科書での「集団自決」の表記をめぐっては、2007年の高校教科書検定で、同訴訟が係争中であることを主な理由として、検定審が軍の強制があったとする記述を削除するよう求める検定意見を出していた。
軍の強制を盛り込んだ「沖縄ノート」を出版し、訴訟を闘った作家の大江健三郎さんは判決確定後、「もう係争中ではない」として教科書での強制記述の復活を期待。県内でも市民団体を中心に復活を要望する声が高まっている。 誤り認めたも同然 高嶋琉大名誉教授 高木文科相の発言に、教科書問題に詳しい琉球大の高嶋伸欣名誉教授は「今さら『私人の論争』と言うなら、その裁判を根拠に強制記述を削除させた検定意見は間違っていたということを認めたも同然だ」と強調。
検定審については「事実上、文科省の原案を踏襲するだけの機関」と指摘し、「政権交代しても官僚支配の教科書行政は変わらない。検定制度から文科省を切り離さないとダメだ、という議論になる」と断じた。
☆
裁判で歴史を認定するはずはないし、沖縄タイムスのような偏向メディアが歴史を書き換えることは許されない。
政権交代の度に教科書の歴史記述が変わる方がおかしい。
高木文科大臣はのコメントは真っ当である。
集団自決訴訟の核心は「軍命(強制)の有無」であり、軍の関与の有無ではない。
手りゅう弾は軍の関与なしには住民の手に渡らない。
だが実際の集団自決で、大多数の人は棍棒や鍬などの農具を用いており、手りゅう弾を使用した例は稀である。
一発の手りゅう弾も使わずに家族を含む大量殺戮をおこなった金城重明氏等が好例である。
2年前、大阪高裁で敗訴した原告が上告した。
が、最高裁では事実認定はしないので、軍命(強制)の有無については大阪高裁で既に決着していた。
最高裁で確定したことは原告の名誉毀損請求の却下である。
個人の名誉毀損を裁定した最高裁は、高木文科相のいう「私人の闘争」といえなくも無い。
従って最高裁の判断を根拠に教科書に「軍命(強制)」を記述を要求するのは筋の通らない話である。
「歴史歪曲を許さない」というのが左翼の合言葉だが、数を頼んで政府に圧力をかけ、教科書記述の改竄をも目論んでいるのは他でもない彼ら左翼集団であり、2007年の「11万人集会」がその絶好の例ではないか。
⇒検定意見撤回へ動き加速 教科書検定運動関係者 琉球新報 2011年4月23日
⇒「沖縄戦の真実」教科書に 平和教育すすめる会が声明 琉球新報2011年4月26日
芥川賞作家の目取真俊氏が、昨日の琉球新報で「終わらぬ歴史歪曲運動」などと、ピンと外れのご高説を展開しているが、今回の裁判と東日本大震災や小林よしのり氏との関連を妄想するあたり、さすがは作家先生、その創作能力には感心させられる。
文末の次のくだりには、この作家の焦りが垣間見れて思わず笑ってしまった。
「・・・今回の最高裁の決定で裁判そのものは終わったとしても、裁判と同時に焦点化した問題は終わっていないことを、私達は認識する必要がある。 教科書検定意見撤回はいまだに実現されていない。」(琉球新報 4月27日)
そう、焦点化した問題、つまり「集団自決は軍の命令(強制)であると公的に認知させ、教科書に記述させる」という目論み、はいまだに実現されていない厳然たる事実に焦りを感じているらしい。
目取真氏が指摘するとおり、教科書検定意見撤回はいまだに実現されていない。
これも厳然たる事実である。
では長期にわたった、この裁判の意義は何であったのか。
原告側代理人の徳永弁護士のコメントが裁判の意義をよくあらわしている。
原告代理人・徳永信一弁護士の話
名誉棄損が認められなかったのは残念。
しかし、隊長の自決命令について高裁判決は「関与」とし、一審より控えめな事実認定。
この問題は、集団自決に梅澤さんらの隊長命令がなかったという認識が重要だった。
裁判を通して自決命令の根拠がないとの認識が国民に定着したので、意義はあったと総括している。
この裁判が始まった当初、「集団自決があったという事実そのものを教科書から削除する目的で、元軍人が起こした裁判」といった誤った認識を持つ県民も多かった。
事実「11万人集会」に参加した人にもこのような誤った認識で怒りをあらわにする県民もいた。
だが、裁判の過程で沖縄2紙の異常な歪曲・捏造報道による印象操作にも関わらず、集団自決の本質を見据える県民が増えてきたということは、徳永弁護士の指摘の通り、この裁判を起こした大きな成果だということができる。
【おまけ】
最高裁は2年前の大阪高裁判決を確定させたに過ぎない。
復習のため大阪高裁判決を解説した次の動画を御覧ください。
「沖縄集団自決訴訟」不当判決 6-1
「沖縄集団自決訴訟」不当判決 6-3
「沖縄集団自決訴訟」不当判決 6-4
「沖縄集団自決訴訟」不当判決 6-5
「沖縄集団自決訴訟」不当判決 6-6