「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

1986年の記憶、山さん殉職から

2010-09-29 21:39:22 | 回顧
【1986年の記憶①】
山さんの降板はおそらく、1985年の10月あたりに決定していたようです。
最初で最後の正月SP「報酬なき戦い」も降板を前提に作られた感じがしますので、その製作を考えると最低でも3か月は要るはずです。
聴いた話によると、露口さんは徹さんが辞めたあたりから降板を考えられていたようなので、もしかすると665話が決定打になったような気がします。
それで、殉職という形が決定したのがおそらく年明け後のようです。
当初は転勤という形も考えられたようですが、露口さんの希望で殉職になったと。
その変更の名残りと思われるのが、
サブタイトル「さらば!山村刑事」と強制シャットダウン型の殉職だったと思います。
「さらば~」は転勤と退職に使われるフレーズですし、
回想シーンが無いのは今回が初めてですしね。
「報酬なき戦い」もスピンオフ作品を作っていきたいという制作側のテストケースのようにも見えなくもないので、もし山さんが転勤していたら、
「千代田署シリーズ・係長 落としの山さん」なんていうのもひょっとしたらあったかもしれません。
ファンにとっても露口さんにとっても多分断腸の思いだったと思いますが、
どっぷりと山さんに浸かってしまっていた露口さんが太陽を卒業するためには・・・というよりは、演技者として次のステップを踏むには、やはり殉職しかなかったように思います・・・。

ところで、後任についてはおそらく「何もなければ」、7月辺りで誰か出ていたでしょう。

多分それまでのワンクールだけゲストを豪華にして凌ぐ作戦だったようです。
ただ、4月の段階では後任を立てないでゲストを充実させるとしか報道されていませんでした。
そのゲスト充実も♯695からだったようで、この辺りも「さらば!山村刑事」が本来#692だったことを考えると、かなり編成に苦慮したのではと思います。

で、その後任なのですが・・・。
DJな訳はないです。。。
多分、DJはデュークの後任候補だったかもしれませんし、1986年には「無名俳優」の新人刑事を登場させることも考えていたというのも聞いたことがあります。
というよりは「なにかあった」時の報道には西山さんの名前はなく、突如登場したという印象があります。

ということは、寺尾聰さんしか居ないわけで・・・。
PART2の制作が発表されたのは10月4日、その段階では寺尾さんは主演の中心刑事になっており、ドック以外のメンバーを総入れ替え、寺尾さんの相手役のベテラン刑事を選定中・・・という状態だったようです。
放送日は11月21日に決定しておりましたが、奈良岡さんの御出演はこの時点で決定していなかったようです(!)。多分、台本などに形跡のある橘警部の続投を考えていたようです。
で、放送日ぐらいしか決まっていなかった中で、寺尾さんだけ「確定」を打ったのは多分もともとからスケジュールを押さえていたとしか思えないので・・・。

もしかすると、#706は「喜多刑事着任!」だったかもしれません。
ただ、寺尾さんの石原プロからの独立の経緯もあるので、裕次郎さんとの競演はもしかするとあり得なかったという考え方もあるかもしれません。
ただ、太陽の場合は裕次郎さんも一出演者というスタンスだったので、可能だったとも思えます。

で、「なにかあった」については次回にて。



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