ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

インド旅(移動編)

2023-08-08 19:52:26 | 旅行(海外)
ムンバイに2泊した後、朝のエアーインディア便でジョートプルへ飛んだ。

昨年国営からインドの大財閥、タータグループに経営権が移り、いきなり最新鋭機500機の発注を行ったエアーインディア。この区間を飛ぶLCCより安い価格で売っているにもかかわらず、2時間弱のフライトでも温かい機内食まで出てさすが財閥経営。遅れもなく、やっぱり民営化は正しい道だと思う。

ジョートプルの空港はブルーシティーと呼ばれるだけあって、青を基調とした可愛らしい空港だった。にもかからず空港内には高射砲や戦車に戦闘機も駐機している軍民兼用でちょっと物々しい雰囲気。写真も厳禁だと再三機内で放送があった。ジョートプルは経由地でここから目的地であるジャンサルメールへバスで向かう。ムンバイ空港のプリペイドタシクーで痛い目に合ったので、ここは空港の外へ出て流しを拾う。ジョートプルはウーバなどの配車アプリは未だ使えなかった。一台のオートリクシャーのおやじに料金を聞くとSNSで知った相場の倍の価格だったので、少し歩いて他のリクシャーのおやじに聞くと最初のおやじの半分以下だった。良心的だなと思い、この人にお願いすると最初のおやじが物凄い怒号をあげてやってきた。以下は想像です…。

最初のおやじ:「おりゃー、俺の客を取るんじゃねーよ!」
良心的おやじ:「俺は聞かれたから、答えただけだろ!」
最初のおやじ:「うるせー、余計なこと言ってんじゃねー、引っ込め!」
良心的おやじ:「お前の価格じゃ乗らねえって言ってんだよ、お前こそ引っ込め!」
最初のおやじ;「ふざけんな、これから交渉するんだよ!」

こんな感じのやり取りの後、最初のおやじが良心的おやじに掴みかかり、これはもしや殴り合いになるかと思われたところで、恐怖を感じた良心的おやじが折れた感じになった。娘は妻の陰に隠れドン引きしいてた。私は「これこれ、これぞインドじゃないか。こういうのがないとインドじゃない…」と、ちょっと楽しくなってしまった。

結局、最初のおやじが良心的おやじの価格で手打ちとなった。けれど急いで追っかけてきた時、オートリクシャーが道路脇の溝にはまり、私たちも道路にあげるのを手伝う羽目に。おやじが娘にも「お前も手伝え!」と促し、娘は浮かない顔で渋々手伝っていた。長旅の時はこういうのは鬱陶しくもあったが、なかなか旅に出られない今、こういう珍事はちょっと楽しくもある。

ジャイサルメール行きのバス停に着くとちょうど20分後に出るバスがあった。このバス2階建てで1階は2人用座席、2階は左側は1人用の寝台席が5つ、右はダブルの寝台席が5つといった初めて見るタイプだった。けれどエアコンは付いていない。SNSの情報では、この区間のバスは時々乗車率150%にもなるので、空いていれば迷わず寝台席を取るべしとの記事もあり、ちょうど1人用寝台席が3席開いていたので素直に従った。1人600ルピー(1,080円)。ちなみに通常席は300ルピー(540円)だった。ここからジャイサルメールまではちょうど6時間、昼間なので本来寝台など不要だが、後から人がどんどん乗り込んで来るし通路までいっぱいになるのでこれで良かった。エアコンはないが走れば涼しいし、何より足を延ばせてるのは楽だった。それよりも高い位置から外を眺められるし、窓を開けてても物売りやバクシーシの手も入ってこないのが気楽だった。

車内では通りすぎる田舎の村々を眺めていた。途中の村では赤やオレンジ色のサリーを着た女性たちが給水車からのホースに群がって水浴びをしていた。路上なのに大胆に肌を露出している人もいた。なんおか祭りっぽい雰囲気でもあり、それにしても乾いた茶色い土地にカラフルなサリーは良く映える。

バスは小さな村や時々何もない路上で人を拾ったりしながら進んだ。人のいない風景が穏やかで心地良かったが、やっぱり牛の糞の臭いがずっとしていた。

後で娘がこのバスの移動が一番印象に残っていると言っていた。

つづく…。

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インド旅(ムンバイ編)

2023-08-07 20:23:11 | 旅行(海外)
成田から直行便でちょうど8時間でムンバイ到着。
これまで日本からインドへ直行したことなどないので、その距離感がバンクーバやシアトルと同じくらいなんだなとあらためて実感。インドは22年ぶりだけど、ムンバイとなると実に32年ぶり。ゴアに行く途中、2泊しただけで記憶は遠い彼方。空港から宿までプリペイドタクシー(一応、適正価格と言われている)を使ったが、あとで相場の5倍もボラれていた。同じプリペイドでも行ったカウンターが悪かったらしい。インドも物価が上がったんだなと思ったが、そうではなかった。(もっとも上がってはいるが、そこまでではなかったというだけ)。以後、タクシーやオートリクシャーを使うときは、すべてウーバーを利用した。

映画「スラムドックビリオネラ」を観た妻と娘がムンバイでは扉全開の人で溢れる近郊列車に乗りたいと言っていたので、早々これを利用して宿から街中へ向かう。この列車、男性車両はいつもそこそこ混んでいるが女性専用車両は比較的空いている。2人がいることで外国人男の私も便乗して女性車両に乗車。結構なスピードで走るこの列車、下手なアトラクションより気持ちよく楽しい。すっかりハマって、その後何度も利用した。朝夕の通勤時間はすし詰めで危ないらしいが、日中は大丈夫だと思う。しかもこの列車、切符の買い方が分からず、申し訳ないが全て無賃乗車だった。多分9割くらいの方がタダ乗りしていると思う。ムンバイはこの扉全開列車とウーバーの利用で、市内の移動はタクシーやリクシャーの運ちゃんとの料金交渉もなくノーストレスだった。

で、その後ムンバイでは「スラムツアー」に参加。ムンバイに着いた日の夜スマホから予約。1人日本円で900円ほど、2時間きっちりスラムを案内してくれる。参加者は他にオマーン人の家族とパキスタン人の夫婦一組。
ムンバイにあるのはアジア最大のダラビーと呼ばれるスラム。写真は基本NG。スラム内には工場などの仕事場や学校もあり、普通の社会と一緒だ。ただ何しろムンバイは暑いので強烈な臭いとゴミが溢れて環境は最悪。特に住居は想像を遥かに超えていた。とても普通の人が住める環境ではなく写真NGなのも頷けるほど。ここに来れば誰もがここに生まれなかったことに感謝するはず。日本では国ガチャ、親ガチャなどと言われるが、ちょっと次元が違う。娘はすっかり無言になり、完全に固まっていた。

その後、向かったのはドービーガート、巨大洗濯場だ。
最下層のカーストの人らが洗濯を生業としている場所。最寄りの駅の陸橋から見渡せる。32年前も一度来ているが、当時は今と違って見渡せる場所が作られてはいなかったが、今はちゃんと整備され説明書きのプレートもある。これも貧困ツーリズム?かもしれない。昔はとてもじゃないけど怖くて中に入ろうなどとは思わなかったけれど、交渉して入れてもらった人の記事をSNSで観て、ちょっと勇気を振り絞って入ってみようかと入口まで降りてみた。橋の上から見ている人はたくさんいるけれど誰も降りてこない。うちらが行けば誰か付いてくるかなと期待したが誰も来てくれなかった。

入口で近くにいる人に声を掛けると「ちょっと待ってろ…」と誰かを呼びに行ってくれた。その間、入り口前にあるチャイ屋さんで5ルピー(9円)のチャイを頂いた。このチャイが本当に美味しかった。その後もここのチャイを超えるチャイには出会えなかった。しばらくすると1人のおっちゃんが現れ「中に入りたいのか!」と。頷くと「こっちに来い!」と言われ、人の少ないところに連れていかれた。

「3人で1000ルピー(1800円)だ!」

ネット記事ではその半分以下のはずだが、ここは値切らずに素直に支払って中に入れてもらった。1.5メートル四方の洗い場一つにひと家族が担当する。これが無数にあり従事する人の家も洗濯場の中にある。これが陽も当たらず本当に狭い。しかもここに何人も住んでいる。どうやって寝ているのか不思議だった。これはダラビーのスラムでも言えることだったけれど…。1日14時間労働で洗剤で手足の皮がやられるとのこと。ここで生まれた人は、こういう仕事しか就けない。そもそも選択の余地がない。たしかに例外もあるようだけれど、発展するインドをアピールする政府としては、安易に解決できない貧困問題は後回しするしかないように思える。

ここまでずっとこんなんばかり見せられてきた娘はちょっと意気消沈気味になっていた。
気分転換にインド門やタージマハルホテル周辺を歩いた。

なんだろう!キャッシュレス決済もそこまで進んでいないようだし、(時々見かける、利用している人もいる)街は相変わらず汚いし、人々のモラルも昔の印象と全然変わっていない気がする。言われるほど発展しているようには到底見えなかった。発展するインドは一体どこに…?もちろん変わったところもたくさんあるんだろうけれど、旅行者目線ではあまり感じられないだけなのかもしれない。

東南アジアの変化とは、ずいぶん違うんだなと思った。

ちょっと安心していた。

つづく。
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すったもんだ…

2019-08-13 00:14:02 | 旅行(海外)
一体、何しに行ったのだろうという感じだ。

旅の半分は体調不良と発熱でフラフラだった。元々、ギリシャはどうでも良かったのだが、楽しみにしていたアルバニアも結局、行きたいところは行けなかったし、出歩ける時間もわずかだった。自己責任とはいえ、残念、極まりない。

同行者はパスポートを盗まれ、私はケッチャップ泥棒の的にされかけるというオチまで付いた。妻と娘はおかげで旅が延長できたと、ほくそ笑んでいたけれど、新たに購入し直した3人分のアテネー名古屋間のエティハド航空の片道チケットは、ひとり9万3千円もした。日本で購入したアエロフロートのアテネ往復が8万3千円だったので、片道だといかに高いかがわかる。往復も含めて安いのを探したが、日程重視だったので、まぁ、仕方ない。予定を変更せざる得なくなると、思わぬ出費になる。

私たちが先に帰国した後、残った妻らの3人は、あの後も地下鉄や広場などで何度もスリや窃盗未遂に遭遇したそうで、アテネは、マドリードやローマなどと同じくらいのレベルで窃盗には気を付けないといけないのかなと思った。

その泥棒らに共通しているのが、ギリシャ人ではないということ。顔は浅黒く、いわゆるジプシーと呼ばれている人らに近い顔立ちとのこと。ジプシーは町中で手に商品を持って、いわゆるモノ売りをしている人が多いが、子供を含め、親と一緒に泥棒稼業をしている方々も多いと思われる。国籍や人種差別などで職業につけなかったりと、いろんな問題があるのだろうけれど、こういうイメージでジプシーの人々を見てしまい、それが浸透してしまうのは、本当に残念なことだなと思う。

ともあれ、まったく不完全燃焼に終わった今回の旅の思い出は、すでに記憶の彼方に行ってしまいつつある。

先日、チャリで世界一周の旅に出ていた元小学校教師の日本人がペルー北部で交通事故に合い、亡くなったというニュースがあった。

どんなに気を付けていても、避けられない事故もあるし、事件に遭遇することだってある。すべては運と言ってしまえばそれまでだが、どこにいても最低限、自分自身を守る術は養っておきたいし、その為のアンテナだけは立てておかなければとつくづく思う。旅に出るときは無理だけはしない、これだけは心掛けたい。

さて次は、どこに行こう?

それを考えている時が、一番、楽しいかもしれない。

終わり…。

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ギリシャ・イドラ島

2019-08-12 22:39:30 | 旅行(海外)
翌朝、体調はほぼ回復。

アテネの街でもフラフラしたいと思ったが、同行者の意向もあって、プチエーゲ海クルーズへ出かけることになった。アテネから地下鉄で30分ほどのピレウス港からエーゲ海にある島々へ船が出ている。

プチクルーズと言えば、1日で近場の島を3つほど巡って帰ってくるのが主流だが、急いで3つ廻っても仕方ない。一つでいいということで、ツアー船ではなく、通常の船でイドラ島へ向かった。行きは高速船で2時間弱、復路はローカル船で3時間半かかった。イドラ島は、いわゆる観光島で、アテネから手軽に青と白の世界を味わいたい観光客で賑わっている。

島での滞在およそ3時間ほど。

暑かった。ただ、久しぶりの日差しが気持ちよかった。帰りの船でも熟睡。

アテネに戻り、同行者がキャッシングしたいというので、シンタグマ広場に面するATMでユーロを引き出そうとしたその時、それは起こった。同行者が不慣れなので、代わりに画面を操作していると、突然、背中に液体をかけられた。

「ケチャップ泥棒」だとすぐに気が付いた。

お金を引き出すのを辞めて、すぐに同行者を連れてその場を離れた。あのまま気が付かなければ、次の展開として親切を装った仲間がやってきて、「背中に何かついてますよ…」などと言ってハンカチかタオルで拭いてくれようとするのだ。で、そのすきにカバンの中からなにか抜き取っていくという、ヨーロッパではもはや古典的な泥棒の手口となっている。ただ、かけられたのはケチャップでもシャンプーでもなく、女性ものの化粧品かなにかだったと思う。

まさか、自分がターゲットになるなんて信じられなかったが、以外にも冷静で、どうせなら次の展開までやられてみて、拭いてくれようとする奴が近づいてきたら、「お前ら、泥棒だろ!」と一撃食らわせてみたかったなと思ったりもしていた。もっとも、同行者の背中にも
べったりかけられていたので、そんなことはできはるはずもなかったけれど…。

とりあえず、一度宿へ戻り、すぐに着替えて、別のATMに向かった。

私と同行者のひとりは最後の晩餐。私はギリシャ料理が良かったが、同行者のリクエストで日本食になってしまった。明日、帰るというのに…。

私なら絶対に入らないだろうタイプの日本食レストランだ。海外でちゃんとした日本食レストランに入るのは、何十年ぶりだろう。おいしかったが、値段もそれなりだった。

それにしても、まさか最後の日に、ケチャップ泥棒に合うとは…。

そういえば、アテネの町、まったく出歩かずに終わってしまったな…。まぁ、良いんだけれど…。


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ギリシャ・アテネ

2019-08-11 22:04:55 | 旅行(海外)
アテネでの初日。

朝、案の定、起きられず。皆はパルテノン神殿やら市内観光へ出かけていった。そのまま午後3時まで、18時間も寝続けてしまった。お腹が空いて起きたので、冷蔵庫にあるアイスクリームとヨーグルトを食べていたら、皆が慌てた顔して帰ってきた。

「パスポートを盗まれた!」

なんでも同行者の一人がパルテノン神殿を観光中に、リュックに入れてあったパスポートをファスナーを開けられて盗られたとのこと。観光シーズン只中のギリシャ、中でもアテネのパルテノン神殿はその中でも一番の観光スポットで、この日も大混雑だったらしい。

被害はパスポートだけ。なんでパスポートだけをリュックの中に、しかもそれを背負っていたのか理解し難しいが、まぁ、盗られてしまったものは仕方ない。とにかく一次渡航証明書を取るために必要なことをやらねばならない。眠気も吹っ飛んでしまった。

パスポートの再発行は1週間ほどかかるので、とにかく帰国のためだけの渡航証明を取るしかない。必要なのはまず警察で盗難証明書を発行してもらう。そして写真2枚に戸籍抄本か住民票のコピーに帰国のための航空券。この日は金曜日で帰国は日曜日だった。日本大使館は土日休みなので、今日中に戸籍抄本か住民票のコピーがなければ手続きは来週の月曜日になってしまう。あれこれ手を尽くしたが、今日中に戸籍抄本を用意するのは不可能だった。パスポートを無くした同行者をアテネにひとり残すわけにはいかない。そこで妻と娘の計3名は帰国便を破棄して、滞在を延長することになった。

そして私と同行者の1名が予定通り帰国する。日本に着くのは月曜日だ。そのまま区役所へ出向き、戸籍抄本を取得し、ギリシャの日本大使館へ写メして送る。これで遅くとも火曜日か水曜日には一次渡航証明は発行されるだろう。すぐに妻と同行者が盗難証明書を発行してもらうために警察へ向かった。私は木曜日の帰国便の手配と日曜日からの3人の宿の手配をスマホでする。アパートメントのちょうど目の前が写真屋さんだったので、そこで顔写真も撮り、すったもんだしたが、夕方6時には必要書類と今後の予定の目安はついた。

こんなこともあり、すっかり体調は元に戻っていった。

今日は一歩も外に出なかった。お腹も空いたので、近くのタベルナ(食堂)へ夕食に出かけた。

そういえば、アテネの警察には、盗難にあった外国人観光客がたくさんいて、盗難証明を求める人で列ができていたと妻が言っていた。

スペインやイタリアでは良く聞くけれど、アテネもそうなんだなと…。

つづく…。


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アルバニア・サランダ(2)

2019-08-10 21:12:51 | 旅行(海外)
アルバニア、サランダ2日目。

朝起きると、体調、最悪。熱も38℃。今日は午後の船でギリシャのコルフ島に戻り、そのまま
空港へ行き、アテネに向かうことになっている。

けれど、ちょっと街には行きたい。皆は、朝食中だが、昨日、同様、解熱剤頼みで、ひとり車で出かけてみた。昨日は30分ほどで薬が効いて楽になってきたのに、この日は全然、効いてこない。適当なところで車を止めて、ふらふら歩き始めるが、本当にフラフラしてくる。我慢しながら、小さなスーパーとみやげもの兼雑貨屋などに入って買い物する。

サランダは観光地でもあるので、他の町より物価は高めだと思うが、それでも、お隣ギリシャと比べるとずっと安い。お菓子や食べ物が特に安い。巨大なスイカもひとつ350円くらい。タイより安いかもしれない。おみやげも垢抜けないものが多いが、熱もせいもあり、くだらないモノを結構、買ってしまった。

それも1時間程度でギブアップ。38℃以上の熱で車を運転するのは初めてかもしれない。フラフラドライブでホテルへ戻った。そのまま船の時間ぎりぎりまでホテルで寝ていた。

結局、熱は下がらないまま、船でコルフ島へ戻り、そのまま空港、国内線でアテネへ。タクシーで市内のホテルへ向かい、再びアパートメントの宿へ。

もう、あまりにも辛すぎて、この間の移動の記憶がほとんどない。

「明日は、もう、じっとしていよう…」

そのままベッドに倒れて、あっという間に意識がなくなった。




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アルバニア・サランダ(1)

2019-08-09 00:00:49 | 旅行(海外)
今日はアルバニアへ渡る日だ。

コルフ島に着き車を借りるときに、返却先を町中のオフィスからアルバニア行きの船の港に変更してもらった。そうすればレンタカーオフィスからバスに乗らずに済むからだ。コルフ島には港は2つある。一つはオールドポート、もう一つはニューポート。単純に古い港と新しい港で分かりやすい。二つの港は500メートルほど離れている。

車を借りる時に担当してくれた女性が「アルバニア行はオールドポートから出ます…」と伝えてくれた。てっきりニューポートからだと思っていたので2度ほど確認した。ちなみにオールポートはすでに使われている様子はまったくないような外観だったが、ニューポートはちゃんとした施設があり、その差は歴然。けれど、こうも自信たっぷり言われると、「アルバニア行だけは、ここから出るのか…」と疑わしいが納得してしまう。

船は午前11時半に出る。車は午前10時にオールドポートで返却と約束している。けれど待てど暮らせど誰も来ない。10時20分まで待って電話してみると、「男性が、お前、今、どこにいるんだ!」と怒っているような感じで言ってきた。「オールドポートだよ。お前の会社の女性がアルバニア行きの船はオールドポートから出ると言ったんだぞ!」

男性は「オールドポートじゃない、ニューポートだ。そこでスタっフが待っているからすぐ行け!」と言われ、すぐに向かう。文句を言うと「あいつはマケドニア人で、新しいバイトだから何も知らないんだ…」と言い訳された。

まぁ、ムカついたが、船には間に合ったので、忘れることにする。出国手続きをして無事に出発。船は40分ほどで対岸のアルバニア、サランダに到着。いつかは来たいと思い続け、ようやくやって来れたアルバニア。港にはあの怪しげな赤地に黒鷲のアルバニア国旗が翻っている。本来ならうれしさの余りアドレナリンが出て興奮状態のはずが、どこか身体が重い。元気が出ない。アルバニア到着早々、再び、車を借りる。港にオフィスがあり今度はドイツのオートマ車だ。

ヒュンダイとは大違い、車には何の問題もなかったが、今度は私に問題が。運転すると視界がクラクラする。ホテルに着いて熱を測ると案の定、発熱。しかも39℃近い。予定ではこのままここサランダから120キロ離れたギロカストラという街へ向かうことになっていたのだが、私のせいで断念。念願のアルバニアに来たというのに、そのままホテルの部屋でダウンする羽目に。

ギリシャ旅行中、わずかだが時間を作り、なんとか皆を誘導してせっかくアルバニアへ来たというのに、これではまったく意味がない。体はダルいのに頭だけは冴えてしまい、薬を飲んでもなかなか寝付けなかった。

同行者はアルバニアには興味がないので、ちょうどいい休息タイムになった。妻と娘はホテルの前のビーチへ海水浴に行ってしまった。この際なので、抜け出して街に行ってしまおうかと思ったが、見つかって怒られるのが関の山なので、とりあえず夕方までは大人しくしていた。

夕方、「もう、大丈夫!」と元気を装い、皆と車で街へ出かける。こうでも言わないと、部屋に軟禁されそうだった。とりあえず、気休めに通常の倍ほどの量の解熱剤を飲んで出かけた。するとこれが嘘みたいに良く効いた。食欲も出て、体も軽くなり、シャキシャキ歩けた。夜遅くまで元気を保て、これで治ったかに思えた。

アルバニアは明日の午後3時までしかいられない。

明日はちょっと早起きして、アルバニアを満喫しようと願い就寝する。

こうしてアルバニア初日、終わる。


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ギリシャ・コルフ島(2)

2019-08-08 00:09:46 | 旅行(海外)
コルフ島2日目。

この島、暑いせいなのかどうなのかわからないが、皆、夜が遅い。日が暮れるのが夜8時半過ぎというのもあるのかもしれない。完全に日が落ちて真っ暗な夜の10時すぎに、街中の広場で子供がサッカーをしている。一人や二人ではない。20人はいる。近所の子供が普通に集まって遊んでいる雰囲気だった。

で、その分、朝が遅い。

当然、私たちもそれに習って遅くなる。この日は古い城壁や中世の街を歩いた。ただ、暑いのですぐにバテる。同行者も案の定、すぐにギブアップ。そこで、皆でアパートへ戻り休息。なぜかこの時、私は凄く元気だったので、ひとりで街歩きを続けた。2時間ほど歩いて、アパートへ戻ると、皆が、車で出かけたいと言い出し、私は休む暇なしに運転手となる。

ヒュンダイのマニュアルボロ車は、本当に運転し難くい。年代にも拠るのだろうが、リアに入れるのに、一度シフトレバー自体を垂直に引っ張るように上げないと入らない。普通に入れようとしてもまず入らない。借りるときに教えてもらわずに出発してしまったので、途中で気づいた時には、この車には「R」印はあるのに、実際はないのではないかと本気で思ったくらいだ。現在、日韓関係は最悪の状態だが、この時の私とヒュンダイの関係も最悪で、常にこのボロ車に対して腹を立てていた。結局、最後までこの車に慣れることはなかった。

この日は山の方へドライブへ行った。コルフ島は島の中央が山がちで上っていくと展望が開け、見晴らしがいい。さらに涼しいのがいい。帰りには、また、昨日とは違った海辺の町へ出て、再び同行者のリクエスト通り、海産物の夕食となった。

夕食を終え、アパートへ戻ると、駐車場がない。どこもかしこも激混み。皆を先に下ろし、
ひとり探し回る羽目に。結局、1時間もかかってしまった。こなんなこともあり中心部の道には大変、詳しくなったが、明日は、もうアルバニアへ渡る日だ。

やっと、このボロ車ともお別れ。

相変わらず、街の広場では夜の11時になっても、子供らはサッカーをして遊んでいた。


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ギリシャ・コルフ島(1)

2019-08-07 00:31:00 | 旅行(海外)
昨年のアイスランドへの旅の足に続き、再び、アエロフロートでモスクワ経由でアテネへ。空港のターミナルを出ると、深夜0時ちょうど。この日は、空港の隣接ホテルで就寝。

翌朝、アテネからコルフ島へ飛んだ。コルフ島はギリシャ北西にあるイオニア海に面した島でアテネからちょうど1時間。西にはすぐにアルバニアが迫っている。ギリシャの島といえば、エーゲ海に浮かぶサントリーニとかミコノス島が有名だが、コルフ島は日本人にとってまったく馴染みがないと思われる。現に日本人どころかアジア人はほとんど見かけなかった。

ここに来るのはほぼヨーロッパ人、中でもイタリア人、次いで東欧や北欧の人が多いらしい。島の中心部は小道が連なる中世の街並みが、程よくメンテナンスされて残っている。車が入って来れないところも多いので、ふらふら散歩するにはちょうどいい。ただ、土産物屋や旅行者相手の店が多く、ちょっと騒々しい。

空港に着くと、早々、車を借りる。ケチって韓国車ヒュンダイのマニュアル車を借りたのがいけなかった。左ハンドルのマニュアル車、つまり右手でギアをやりくりしなければならない。しかもコルフ島は道が狭い。さらに車も多い。で、なんといっても駐車スペースが狭い。皆、どうやって止めたのかと思うほど、ぴったりの縦列駐車で止めるのだ。出すときに、前後の車をゆっくりバンバーで押さねば出れないほど。これは適度な車間距離をキープする日本人には、ストレス以外の何物でもない。まだ、傷だらけの車なのでよかったが、これが新車だと、相当、心臓に悪いはず。

中心地から車で40分ほど行くと、透明感溢れるビーチと海産物の美味しい店が連なる小さな町に到着。「おいしい海産物…」早々、同行者のリクエストに答える。タコにエビ、イカのグリルと豚肉の串焼きやサラダなどギリシャの代表的な料理をいくつか。料理の名前などまったく興味がないのでどうしても覚えられないが、価格は思ったより安い。エビのグリル、中サイズ5本でおよそ1000円。中サイズのタコ800円と島価格なのか?

食事が済むと、妻と子供はビーチへ。同行者をカフェへ案内し、私は一人で散歩に出かける。スーパーに入り、卵やハム、フルーツなどの明日の朝食の買い物をする。コルフ島ではホテルではなく、アパートメントを借りたので、基本、朝は自炊だ。卵は6個入りで150円、ハムは10枚入り360円とやや高めだが、野菜と果物、ヨーグルトとアイスクリームは日本のおよそ7割ほどの価格だった。

ギリシャはEUのお荷物的存在だが、物価は北ヨーロッパと比べると格段に安い。昔、来たときは「ドラクマ」という通貨で、お隣のトルコと同様インフレ通貨だった。まだ冷戦時代だったが、東欧諸国でも歓迎されず、いわゆる「出国時までに使い果たすべき」クズ通貨だった。ユーロに統合されてから随分、物価が上がったと言われていたが、それでもこんなものなのかとちょっと意外だった。

それでもギリシャは一応、先進国だ。ただ一見するとマレーシア程度の経済規模の国にしか見えない。キャッシュレスもまったく進んでおらず、カード払いよりも現金の方が主流に見えた。アテネを含めても車は旧型が多いし、ビルも近代化とは程遠い。どこか1980年代くらいで時間が止まってしまっているかのような印象を受ける。落書きも多いし、どこもかしこも寂れ感が漂っていた。

もっとも私的には、逆にこの期待を裏切らない寂れ感が良かったと思っているが…。

この日は、夕方までここにいて、その後、町の中心に借りたアパートメントに帰った。アパートは中世の街並みのど真ん中にあり、この建物自体も世界遺産になっていた。10畳ほどの2ベッドルームに広いリビングとキッチン、洗濯機もついている。古いが雰囲気は良かった。

こうして、コルフ島の初日は終わった。



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行ってきます。

2019-07-26 22:23:22 | 旅行(海外)
10日ほどギリシャとアルバニアへ行ってきます。

四半世紀ぶりのギリシャと初めて訪れるアルバニア。とは言っても、私の役目はアテンドだ。今回、現地の足は車を借りることになっている。もちろん私が運転しなければならない。ギリシャなんて運転しやすいのかどうなのか、まったくわからないし、運転手は景色を眺めているわけにもいかないので、ちょっと残念ではある。

やっぱり、旅はバスや列車移動のほうがいい。

ただ、アルバニアだけはちょっと楽しみにしている。ヨーロッパはどうも興味がわかない。あまり行きたい場所がない。行ってみたいのは旧ソ連から独立したモルドバくらいだ。うちのお客さんで、春休みに子連れでアゼルバイジャンに行ってきた人がいる。なぜ、アゼルバイジャンに、と聞くと、なんでも「ご主人が投資会社をやっていて、アゼルバイジャンと関りがあり、どうせなら一緒に…」ということになったらしい。

感想を聞くと、「もう、バクーは一度で充分、帰りに立ち寄ったドバイにもう一度行きたい…」と言っていた。

家族旅行はやっぱり観光国のほうが受けがいいのかもしれない。

今、頭の中を旅モードにすると、インドのインパールでいっぱいだ。次回の旅行で行きたいけれど、子供連れでというのも気が引けるなと…。やっぱり、行きたいところに行くのが一番だな…。

明日は台風?どうなんだろう。

まぁ、とりあえず、行ってきます。




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