ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

ベトナム ホーチミン編

2017-04-05 20:44:08 | 旅行(海外)
およそ22年ぶりのベトナム、ホーチミン。

今回、一泊だけ念願かなって、あのマジェステックホテルに泊まった。1泊1万6千円ほど。
私にはとても贅沢だが、世間から見れば、ビジネスホテルに毛が生えた程度という方もい
る程度の値段かもしれない。とはいっても、ちゃんとした歴史のある五つ星ホテルで、派
手さはないが、いたるところにチーク材が使われていて、何とも言えない味わい深いホテル
だった。

ここの103号室は、言わずもがな開高健が宿泊していた部屋だ。宿泊していたのは、ベトナム
戦争中の1964年から1965年にかけて。当時、朝日新聞社の臨時特派員としておよそ100日程
度滞在していた。

チェックインするとすぐにホテルの人に「103号室、見せていただけますか?」と尋ねた。
この日は誰も宿泊していなかったので、ちょうど良かった。従業員の方も気持ちよく案内して
くれた。

現在103号室は、おそらくだがコロニアルサイゴンリバーデラックスのカテゴリーでラックレート
でおよそ300ドル程度。開高ファンは103号室指定で宿泊する人も多いらしいが、私にはそこまで
意気込みはなかった。

部屋の前には金のプレートが。そして部屋の中には彼の写真がどーんと一枚。
ただ、「ベトナム戦記」に出てくる当時の103号室はツインだったはず。カメラマンの秋元氏と同
室だからだが、現在の部屋はダブル使用でちょっとイメージが違う。いや、かなり違うと思う。
床も材質が違うし、ただ、スイート仕様だからか、右奥の別部屋がトイレとバスルームであるのは
全く一緒だった。どうもマジェステックホテルは、ベトナム戦争後に本格的なフレンチコロニアル
式に改装し、その時にチーク材などを使用したのではないかと思う。写真からすると、それ以前は、
まぁ、普通のどこにでもある高級ホテルだったような気がしている。

さらに1940年代の写真には「日本ホテル」という名前で営業していたようだった。おそらく日本が
ベトナムを占領したときに、一時的に接収して、このようなことになったと思われる。

そんなマジェステックホテルには、大人二人でいっぱいの超狭いエレベータもある。年代ものだが、
現役で動いている。電話も骨董品のようなものだが、これも現役で使用している。古いものがメン
テナンスをして丁寧に使われているのが良くわかる。従業員さんも凄く親切で、本当に気持ちよく
泊まれた。


また、彼の闇三部作、再読しようかな…。




コメント