逮捕から58年、死刑囚の身分のまま釈放されていた袴田さんに無罪の判決。
重たすぎる話で、今さら無罪と言われても、人生を取り戻すことはできない。拘留期間は47年7カ月だったとか。
これは認めないだろうけれど、本来なら証拠の捏造疑惑に関わった警察と検察の罪は重いはず。当時の責任者はすでにいないわけで、責任の取りようもないし。昔も今も日本の警察の取り調べは密室で、自白の強要なんかは結構あるんだと思う。当時の警察と検察は分かってやっていた可能性もある。控訴してこれ以上、裁判を長引かせるのは、さらに罪を大きくすることになるから辞めた方が良い。
つまり、この事件の警察と検察の言う真実には、信ぴょう性がなかったということに尽きる。
そもそも事実は実際に起こった事柄を指し、真実にはその事柄に対する人の解釈が入っている。事実が客観的であるのに対して、真実は主観的である。 そう考えると真実は事実に関わった人の数だけ存在していると言える。けれど事実はひとつだけだ。
「真実というあやふやなものにとらわれるから、まれに冤罪事件が起こったりする…」と、これ「ミステリーと言う勿れ」で、整くんも言っていた。
警察も検察も、間違いは認めないといけない。
人の一生を台無しにした責任は、相当重い。
重たすぎる話で、今さら無罪と言われても、人生を取り戻すことはできない。拘留期間は47年7カ月だったとか。
これは認めないだろうけれど、本来なら証拠の捏造疑惑に関わった警察と検察の罪は重いはず。当時の責任者はすでにいないわけで、責任の取りようもないし。昔も今も日本の警察の取り調べは密室で、自白の強要なんかは結構あるんだと思う。当時の警察と検察は分かってやっていた可能性もある。控訴してこれ以上、裁判を長引かせるのは、さらに罪を大きくすることになるから辞めた方が良い。
つまり、この事件の警察と検察の言う真実には、信ぴょう性がなかったということに尽きる。
そもそも事実は実際に起こった事柄を指し、真実にはその事柄に対する人の解釈が入っている。事実が客観的であるのに対して、真実は主観的である。 そう考えると真実は事実に関わった人の数だけ存在していると言える。けれど事実はひとつだけだ。
「真実というあやふやなものにとらわれるから、まれに冤罪事件が起こったりする…」と、これ「ミステリーと言う勿れ」で、整くんも言っていた。
警察も検察も、間違いは認めないといけない。
人の一生を台無しにした責任は、相当重い。