映画と渓流釣り

彼岸に思うこと 黄泉がえり

秋のお彼岸が近い。久しくお袋のおはぎを食べていない事に気づく。

洋の東西を問わず、あの世(彼岸)からこの世(此岸)に帰ってくるお話は多い。
宗教も民族もなく、人は愛おしい人との想いを後生大事にしていく生き物なんだろう。

沢山あるその手の名作映画から、「黄泉がえり」を取りあげた。




先ず、脚本がすこぶる良く出来ている。
ファンタジーなので辻褄の合わないところも多々あるけれど、竹内結子が実はもう彼岸の人だったという件には思わずうなってしまう。愛する人を蘇らせるためにはいくつかの条件が必要なのだけれど、後々考えるとその条件をみんなクリアしている。シャマランの「シックスセンス」も、ラストに実は・・・という衝撃的なオチが用意されていて驚かされたが、同じような仕掛けが上手に敷かれていた。
「シックスセンス」がネタばれ後の鑑賞に耐えられないのとは違い、オチがわかっていても二人の想いがつのってゆくラストは何度観ても感動的だ。劇中RUIが歌う文語調歌詞も切なく心に残り、未知なる奇跡を素直に信じられるつくりとなっている。

さて、人の一生で、蘇って欲しいと願う人がどれほどいるだろう?
幸福にもわたくしにはそう願う身内が今のところいない。

ただ、小学四年生が終わろうとしていた三月末に幼馴染を水の事故で亡くしている。事故の当日、学校から一緒に帰る道すがら玩具のスーパーボールを獲り合い喧嘩別れになったまま、それが今生の別れとなった。真夜中に雪代で濁る冷たい川底から引き上げられた姿を煌々と照らすライトが眩しかった。
蘇ってくれるなら、あの日の喧嘩別れの事を素直に話したい。運命を変えることが許されるなら、そのまま夕方まで一緒に遊んでいたかった、そうすれば事故になんかあわなかっただろうに。

もう一人、高校のバスケット部のチームメイトを山の事故で失った。彼は早朝家の裏山に登り、反対側の登山道を下山してから学校に来ると言い残し、永遠にわたくしの前から去ってしまった。可否に700円を賭けていた。それがその日わたくしの持っている全財産だったからだ。
蘇ったら、賭けた700円を請求しなければならない。
もしかして、わたくしがお金を渋って賭けが成立しなかったならば、彼は山になど向かわなかったのではないかと、あの事故から40年近く経って今更悔やむ。
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