「たかが映画じゃないか」

その通りなんだけど、今日観たような作品に出会うと、たかがなんて言えなくなっちゃう
60年以上生きてきて、それなりに本を読んだり歴史を俯瞰して見られるように知識を付けようとしていたのに、こんな事件があったことを知らずにいた
震災後に流言飛語が人々を狂わせたことは知っていたし、それによって罪の無い大陸や半島から日本に渡った方達が殺された事も事実だと知っている。知識としてだけど
教科書や学者先生の講釈では伝わらない悲劇と人間の脆さ愚かさがこの映画には描かれている。たった2時間強の映画が否応無しにわたくしの無知を嘲笑う。知識として知っていても、心に響かなければ知らなかったことと同様なんだと痛感する
前述した通り何も知識がないから、福田村で殺された人々は当時鮮人と呼ばれていた半島系の人なんだと思っていた。瑛太率いる香川から行商に来ていた日本人が被害者になる事に驚く。彼等の出自が差別部落民であることが二重の哀しみを滲みださせている
捕獲され嬲り殺しにあう刹那、読経に続き唱えられた水平社の宣言に嗚咽が漏れてしまう
外国人差別だけではなく、異なったイデオロギー(社会主義思想)や根を張る被差別部落の問題もここには描かれる。村長や教師といった一部の知識階級者であっても連綿と繋がる村民が抱く不信や不安を是正することは叶わない。ましてや軍国化されてゆく時制、帝都が壊滅するほどの地震、報道や通信が断片的だった背景を思えば仕方ないことなのかも知れない
無知な村民の狂気がそこにあったことは確かだけれど、警察も行政も強いて言うなら国家がその種を撒いたんだと、似合わぬ軍服を着た小男が喚くのも一理ある。支配下の朝鮮で教師をしていた男は妻の正論に突き動かされなければ沈黙したままだったかもしれないし、ずっと抑止していた村長が事後にとった言動は惨劇を隠蔽することだった。それが村を守り存続させていくことであり、一番大切な使命だったのだろう
日和見な報道のあり方にも少しだけ疑問を投げかけているが、ここの部分においてはちょっと及び腰だった。ドキュメンタリーの傑作を作っている森監督としては物足りない。マスコミに対する下手な忖度の結果じゃなければいいけど
女性記者の奮闘を握り潰す権力、抗えない報道の限界なんかも観せて欲しかった

話変わるけど、久しぶりに伊勢佐木町に行ってみた
横浜シネマリンという映画館に行くのは何年ぶりかも分からぬほど昔のこと
この街を行き交う人は地場横浜の人が多いのだろうな
観光に来る人はみんな海べりか中華街に行ってしまうだろうから。40年前は沢山あった映画館も無くなり、ランドマークだった有隣堂本館も老朽化して見窄らしくなった
のんびりゆっくり桜木町まで歩き、今年はマスク無しで楽しめるようになったジャズプロムナードの雑踏に紛れる