今日日、もう街中でバキュームカーを見かけることは無い
わたくしが子どもの頃、下水道も完備されていない田舎だからでもあるけど、彼方此方にアノ臭いは漂っており、その先には特徴ある車と長く続くパイプがぷるぷると震えていたものだ
小学生だった頃は通り過ぎる時鼻をつまみ、臭いが消える辺りまで走るのも子どもならではの遊びだったのかもしれない
当然我が家にもやってきて、ぷるぷるしながら臭いを撒き散らしていた
もっと古い記憶を呼び起こせば、溜め汲みと言ってたなぁ
そう、父親は我が家の肥溜めから長く大きな柄杓で掬った汚物を家周りの貧相な畑に撒いていた
そこで栽培した野菜をわたくしも食べて育ったのだ
この映画で描かれる江戸時代にあった汚穢屋という仕事は、下水道が整備され水洗トイレが当たり前になった令和の世には遠い物語かもしれないけど、わたくしの過ごした昭和中期にはごく普通の日常であったのだ
さて映画について
正義を貫いて浪人となり最期は暗殺されてしまう武士の娘、おきくの恋の物語・・・
なんだろうか?
おきくの想い人の青年と商売上のバディが営む汚穢屋の物語でもあるように思うし
短い尺に二つの主題がどちらも消化不良のように残されてしまい、深い感慨には浸れなかった
題名の意味も触りの部分だけはおきくの父親演じる佐藤浩市(最近精力的に映画出てるな)が話しているが、結局のところわたくしには良くわからないままだ
途中数カットだけカラーになる意味が不明なのも気持ち悪い一番最初におきく演じる黒木華のバストショットが、モノクロから桜色の美しい着物姿を映すことでこの映画の転調になるのかと思えばそんなこともなくて、観ているこちらには時折挟み込まれる色付きの意味を計り知ることができない
全体として江戸市井の小さな恋のトキメキを味わった安堵感はあるけれど、今回もわたくしには相性の良くない阪本監督作品としての評価となってしまう