『トリュフォーの思春期』(76)(1982.6.12.)
フランソワ・トリュフォーが、夏休み前の子供たちの何げない日常を断片的なエピソードで綴る。『大人は判ってくれない』(59)や『野性の少年』(70)で“子供”を主人公にして描いた彼の集大成のような映画。『アメリカの夜』(73)では自身の映画に対する愛を、この映画では子供に対する愛を描き切った感がある。
子供ほど扱いが難しい“役者”はいないだろうが、その半面、大人の俳優には決して出せない純粋な味も持っているから、監督としては使いたくもあり、使いたくもなしという複雑な思いを抱くのではないか。多くの監督が子役を使って成功し、また失敗もしている。要は、監督が子役の心に入り込む純粋な心を持っていなければ駄目だということ。その点、トリュフォーは見事に子供たちの立場に立って映画を作っている。
聞けば、トリュフォーはオーディションで選んだ子役たちとディスカッションを重ねながら撮影を進めていったらしい。それ故、大人の目から見た子供という、一方的な視点にはなっていない。そこには邦題の「思春期」を象徴するような、異性への目覚め、子供じみたいたずらといった、誰もが通る成長過程での変化や戸惑いが微笑ましく描かれている。
【今の一言】後年、小説化された『子供たち時間』(山田宏一・訳、和田誠・絵)を読んだが、こちらも素晴らしかった。
フランソワ・トリュフォーが、夏休み前の子供たちの何げない日常を断片的なエピソードで綴る。『大人は判ってくれない』(59)や『野性の少年』(70)で“子供”を主人公にして描いた彼の集大成のような映画。『アメリカの夜』(73)では自身の映画に対する愛を、この映画では子供に対する愛を描き切った感がある。
子供ほど扱いが難しい“役者”はいないだろうが、その半面、大人の俳優には決して出せない純粋な味も持っているから、監督としては使いたくもあり、使いたくもなしという複雑な思いを抱くのではないか。多くの監督が子役を使って成功し、また失敗もしている。要は、監督が子役の心に入り込む純粋な心を持っていなければ駄目だということ。その点、トリュフォーは見事に子供たちの立場に立って映画を作っている。
聞けば、トリュフォーはオーディションで選んだ子役たちとディスカッションを重ねながら撮影を進めていったらしい。それ故、大人の目から見た子供という、一方的な視点にはなっていない。そこには邦題の「思春期」を象徴するような、異性への目覚め、子供じみたいたずらといった、誰もが通る成長過程での変化や戸惑いが微笑ましく描かれている。
【今の一言】後年、小説化された『子供たち時間』(山田宏一・訳、和田誠・絵)を読んだが、こちらも素晴らしかった。