今夜の「土曜プレミアム」(フジテレビ系)は、ドウェイン・ジョンソン主演のアクション映画『スカイスクレイパー』(18)だ。
【ほぼ週刊映画コラム】
ジョンソンの存在を際立たせるためのアイデアの集積が見事な『スカイスクレイパー』
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1164521
今夜の「土曜プレミアム」(フジテレビ系)は、ドウェイン・ジョンソン主演のアクション映画『スカイスクレイパー』(18)だ。
【ほぼ週刊映画コラム】
ジョンソンの存在を際立たせるためのアイデアの集積が見事な『スカイスクレイパー』
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ディケンズの世界を今風に映画化
原題は「デビッド・カッパーフィールドの個人史」。チャールズ・ディケンズの『デビッド・カッパーフィールド(コパフィールド)』を、『スターリンの葬送狂騒曲』(17)のアーマンド・イアヌッチ監督(イタリア系のスコットランド人)が映画化。
山あり谷ありの人生を送る孤児の物語という意味では、主人公のデビッドは、同じくディケンズの『大いなる遺産』のピップや『オリバー・ツイスト』のオリバーとも通じるキャラクターだ。
ただ、デビッドが作家となり、自分を取り巻く変人たちを、空想と現実を交錯させながら描く、という点では、ディケンズの自伝的な要素が最も強いという。
この映画がユニークなのは、デビットを演じるデーブ・パーテルはインド系、他にも黒人や中国系の俳優が重要な役を演じているところ。従って、風景や設定は19世紀のイギリスなのに、多国籍なイメージを抱かされる。
そこに、今ディケンズの古典を映画化する意味を持たせようとしたのだろうが、残念ながら成功しているとは思えなかったし、随所に見られるブラックユーモアやオフビートな笑いもあまりピンとこなかった。こういう映画は、むしろ原作を知らずに見た方が楽しめるのかもしれない。
その原作は過去に何度も映画化され、特に『孤児ダビド物語』(35)と『さすらいの旅路』(69)が有名らしいが、どちらも未見。ディケンズの原作を真面目に映画化すると、重苦しくて暗くなるようなので、この映画は、そういう面も変えてみたかったのだろう。
ユーライア・ヒープというロックバンドがいたが、その名はこの物語の登場人物から取られていたのだと今回知った。
『デモリションマン』(93)(2006.8.14.)
冷凍にされていた凶悪犯(ウェズリー・スナイプス怪演)と刑事(シルベスター・スタローン)が、解凍された未来で死闘を繰り広げるSF作。タイトルは「破壊屋」の意。
まるでマンガの世界で実にバカバカしい。けれどもこの手の映画は現実味やメッセージ性が薄いものほど一時現実を忘れて楽しめるという効果があるし、未来世界とのカルチャー・ギャップの描写もなかなか面白かった。それと『マトリックス』(99)以前の、どこかぎこちないアクションが、今見ると逆に新鮮だったりもする。
で、スタローンは実はものすごい暑がりで、彼の映画のロケ現場はいつも冷房が効き過ぎてスタッフが音を上げているらしいから、この映画での氷漬けや「ここは寒いな」という決め台詞は意外と楽屋落ちだったりして。
さて、この時期のスタローンは『ロッキー』や『ランボー』から脱却するために不似合いなコメディー映画に出たりして結構あがいていたのだが、結局、今また『ロッキー』や『ランボー』に戻ってしまった。まるで“デモドリションマン”みたいで哀れな感じだ。
今日のザ・シネマの西部劇特集は『100万ドルの血斗』(71)。
留守中に一家を殺され、孫を誘拐された牧場主のジェイク(ジョン・ウェイン)が悪党退治に乗り出す。デュークの息子のマイケルが製作し、パトリックとイーサン、そしてロバート・ミッチャムの息子のクリスが共演。しかもモーリン・オハラもゲスト出演するというまさに“ジョン・ウェイン一家”総出の西部劇。監督は無名時代のデュークの映画を多数手掛けたジョージ・マーシャルでこの映画が遺作となった。
舞台が20世紀初頭ということで、車やバイクが登場する珍作西部劇。のんびりとした展開の割に、殺戮場面の血なまぐささが目立つ(その分、極悪人役のリチャード・ブーンが際立っている)のは、マカロニ・ウエスタンやサム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』(69)の影響が大きかったと思われる。そうした時代の変化の中で、正調西部劇の最後の砦を守ろうとしたデュークが痛々しく見えるところもある。
ただ、ブルース・キャボット演じるジェイクの昔なじみのインディアン(『ビッグケーヒル』(73)のネビル・ブランドにも通じる役柄)と、「ドッグ」という名の忠実な犬が、孫を救うために大活躍し、その結果惨殺されてしまうのに、彼らに一瞥もくれず、デューク一家の笑顔で終わるラストシーンは何度見てもちょっと残念な気がする。
ジョン・ウェイン
モーリン・オハラ
『マーヴェリック』(94)(1994.12.8.目黒シネマ)
最近は、ビデオの普及もあり、存在自体が危機的な状況にある名画座で久しぶりに映画を見た。この映画は公開されて間もないものだったが、今やロードショー(この言葉も死語に近いか…)で見逃したらビデオで、が当たり前になっているから、ちょっと複雑な思いもした。
ところで、この映画の監督はリチャード・ドナーだから、当然ノーマークではなかったのだが、メル・ギブソン主演と聞いて、彼らが作ってきた『リーサル・ウエポン』シリーズのよしみで作られた西部劇という印象を持たされ、今まで見ずにいた。
ところが、見終わった今は、見逃さなくてよかったと思えるような快作に仕上がっていたのが何ともうれしい。やはり贔屓の監督の映画には目を通さねば…と反省させられた。
何より、テレビドラマ出身のドナーが『スーパーマン』(78)同様、オリジナルのテレビドラマに対する愛着を込めつつ、新たな映画として仕上げたところに好感が持てたし、脚本のウィリアム・ゴールドマン、撮影のビルモス・ジグモンドが久しぶりに示した名人芸、ちょっとキャサリン・ヘプバーンを思わせるような新たな魅力を発揮したジョディ・フォスターも見られた。
加えて、オリジナルのドラマ「マーベリック」のジェームズ・ガーナーをキーパーソンとして出すあたりの、遊び心を含んだオマージュの捧げ方が何ともいい。他にも、「ララミー牧場」のロバート・フラー等、かつてのテレビヒーローたちもカメオ出演していたのだから、念がいっている。
そして、様々な事情から、クリント・イーストウッドの『許されざる者』(92)やケビン・コスナーの『ワイアット・アープ』(94)といった最近の西部劇が、屈折だらけの暗いものになってしまうことを考えると、この映画の、楽しさに徹した作りは今時貴重である。中でも『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)をパロディにしたような、グラハム・グリーンのインディアンは傑作だった。
ストーリー的には、同じくポーカーを扱った『テキサスの五人の仲間』(66)や『スティング』(73)などと比べると、途中で落ちが分かってしまうところもあるが、今回は、作り方によっては、まだまだ楽しい西部劇が出来る可能性を示してくれたことを素直に喜びたいと思う。
共同通信エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
女性の強さに加えて、葛藤を描き込んだ
『ワンダーウーマン 1984』
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1254311
『シンドラーのリスト』(93)(1994.6.4.スカラ座)
この、静かでありながら、圧倒的な力強さも併せ持った3時間15分に、ただ酔ってしまうのでは、何かもったいない気がする。見た後でいろいろと考えたくなるすごい映画である。
もちろん、この映画が描いたのは、あくまでもナチスドイツによる大量虐殺の被害者としてのユダヤ人であって、その後、アラブで繰り広げられた戦乱における加害者としてのユダヤ人という側面は無視して、ユダヤの血を引くスピルバーグが、自らの映画的な才能を駆使し、脚本のスティーブン・ザイリアン、撮影のヤヌス・カミンスキー、音楽のジョン・ウィリアムズらの協力を得て作り上げた極上のプロパガンダ映画という見方もできるだろう。
ただ、このいわれなき虐殺を受けた人々には何の罪もないのだし、一本の映画で全ての側の主張が描けるはずもないのだから、この際は、歴史のある一場面における人間の愚行の恐ろしさを描き切った映画として評価したい。外国人が批判した黒澤明の『八月の狂詩曲』(91)もつまりはそういうことなのだと思う。
何より、この映画からは、例えばオリバー・ストーンの『JFK』(91)やスパイク・リーの『マルコムX』(93)といった、政治的な主張を持った映画とは似て非なるものという印象を受けた。つまり監督自らの思いを、ヒステリックかつ声高に主張し、見る者を扇動するのではなく、起こった事実を冷静に捉えているように見えるからだ。そして、そうした印象は主人公であるオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)が持つ曖昧さに寄るところも大きい気がした。
また、バイオレンスシーンの冴えには、これまでのスピルバーグのイメージを一新するようなすさまじいものがあったし、ベン・キングスレーを除けば、映画ではほとんど無名の俳優をキャスティングし、モノクロで描くことでドキュメンタリー的な印象を強めている。面白いと言っては語弊があるが、3時間15分という長尺を一気に見せ切ることができるスピルバーグの監督としての力量の大きさを改めて知らされた思いがする。この映画と、全く毛色の違う『ジュラシック・パーク』(93)を並行して撮れる監督など、他に誰がいるというのか、ということである。
さて、この映画で『カラーパープル』(86)を無視したアカデミー賞への恩讐を晴らしたスピルバーグは、この後どんな映画を撮っていくのだろうか。恐らくは、プロデューサー業に専念したジョージ・ルーカスとは違い、監督として映画を撮り続けてはいくのだろうが…。いずれにしても、彼と同時代を過ごせた我々は、幸福な映画ファンだと言えるのかもしれない。
【今の一言】この後、スピルバーグは、『プライベート・ライアン』(98)『宇宙戦争』(05)『ミュンヘン』(05)『戦火の馬』(11)『リンカーン』(12)『ブリッジ・オブ・スパイ』(15)『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(17)『レディ・プレイヤー1』(18)など、多数の映画を監督し、今も現役である。素晴らしき映画バカだ。
テレビの特集で、東京都現代美術館で開催中の石岡瑛子の回顧展を紹介していた。
石岡と言えば、映画関係では、アカデミー衣装デザイン賞を受賞したフランシス・フォード・コッポラ監督の『ドラキュラ』(92)が有名だが、『ザ・セル』(00)から組んだターセム・シン監督の作品も忘れ難い。中でも『落下の王国』(06)は好きな一本だ。
『落下の王国』(06)(2008.8.20.)
原題は『The Fall』(落ちる)。つまり本作は、ある地点から落下して身も心も傷ついた青年と少女が出会ったことから始まる映画。世界遺産13カ所、24カ国以上でロケした映像を駆使して、時空や国境を越えた圧倒的な風景を現出させながら、過去の映画へのオマージュも散りばめられている。ターセム・シン監督が作り上げた一種の映像コラージュ集の趣あり。