みちしるべの伝説

音楽と希望は刑務所でも奪えない。

道しるべの伝説

2005年08月11日 | 
ミヒャエル・エンデ著「道しるべの伝説」より

ヒエロニムスは今度、インディカヴィアと名乗った。
「道しるべ」という意味である。
その意味は、と問う者があれば、インディカヴィアはこう答えるのが常だった。
道しるべとは、それだけでは一片の板であり、値打ちもない。
雨風にさらされ、朽ちているかもしれない。
道しるべはそれが指ししめすところへ決して自分では行けない。
それどころか、道しるべの意義とは、それが立つところに留まることにあるのだ。
それはどこでもいい。ただ一箇所をのぞけばどこだって適所なのだ。
その例外とは、それが指ししめすところである。
そして、道しるべはそれが指し示すところに立たないからこそ、そこへ通じる道をさがす人々の役に立つのだと。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

このところ、俳句や短歌が面白いと感じるのは、このエンデの一説にあるような、ユニークな視点、日頃見逃している本質的なことに目を向けさせてくれるから。

最終目標に辿り着かないからこそ、意味があるということ。なんとも示唆に満ちた話しではないか。
道しるべに特別な意味を感じるのは、山登りが好きだからかな?
霧にまかれて視界が効かない時など、この道しるべのおかげで、多くの人が命拾いをしているのだ。
道しるべ、君も頼もしい奴。

この日、この道しるべを見送った後、スリルに満ちた岩場が待っていたのでした。
(北穂高岳、山頂直下にて)

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

夏空に踏み留まれリ道しるべ
(そらみみ)

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする