いよいよ近くなった「勝山左義長」。
市内へはいる国道・県道数箇所にこんな旗がひらめいています。
地元では「さぎっちょさん」、櫓の有る区では
一段とお囃子や踊りに力が入るもののようです。
そもそも「左義長」祭りは、幕藩地代からの伝承の祭りと申し上げましたが。
基本、神事行事なのです。
祀りのご神体は「歳徳神(としとくしん)」その歳の初めに祭る神様、
五穀豊穣を願う神様です、この前に「生木の松飾り」があり
ここに「三角形の火打ち袋」を吊り下げる、
すなわち火防の神様をも祀っています。
勝山は幕藩時代から数回の大火に襲われ、
明治29年には旧町の80%が消失するなど、
火防を願う思いが強くなり
「左義長」祭りも盛大に成ってきたとも云われています。
我が家も殿様の移封に付いてきて当てがわれた藩士屋敷(家中)も
このとき全消失、現在の土地に移ったようです。
市内の寺院もほぼ全焼、今市内の随所に立てられている寺院は
このときに消失し再建されたものです。
今「左義長」祭りは観光・町興し。