幕藩時代から300年続く「左義長祭り」。
今のような「固定櫓の上での太鼓の舞い」は、何時から起きたのでしょう。
当地でも、その期限は定かではありません、
今の形の「左義長やぐら」のスタイルの始まりは知られていません。
藩主小笠原公入封(元禄四年、1691年)により、
行灯の川柳など「この日の無礼講」
を許された記述が有るので、その時代には有ったようです。
明治29年(1896年)旧町内の80%が火災で消滅。
この大火災で残った左義長櫓が3基。
その一つが今年100年の風雪に耐えた
「100年目の左義長やぐら」(勝山市立川区)です。
色は、径時を知る暗い色になっていますが、屋根の銅版、
そして今のものより細い6本柱。
その風格をかいま見ることが出来ました。
私もこの地に長くいても、今始めてみる櫓です。
此れが、今当地で一番古い左義長やぐら。
この地区の方達の長年のお守りに頭が下がります、
昨年出来たての新しい櫓もよいものですが、
こんな古いものも、又風情。