雨降りは花たちにとっては恵み、
同時に「野草たち」も元気、
草の始末には閉口ですが、追いかけられないように・・・。
そんな中、「野草と言うのか山野草というのか」。
目を見張るものが、
「カラスびしゃく」、
「赤まんま」、
「落ちたねからのコスモス」
これからの「アメリカ菊」
はびこる「日扇ずいせん」
雨降りは花たちにとっては恵み、
同時に「野草たち」も元気、
草の始末には閉口ですが、追いかけられないように・・・。
そんな中、「野草と言うのか山野草というのか」。
目を見張るものが、
「カラスびしゃく」、
「赤まんま」、
「落ちたねからのコスモス」
これからの「アメリカ菊」
はびこる「日扇ずいせん」
台風、その後の降雨は、
「菜園」を覘く時間をくれませんでした。
今朝、久々こんなに収穫、
取り残しの「きゅうり」と、あいこ種「みにとまとです。
自分の育てた作りものって、嬉しいものです、
おたいそうですが感激ものです。
味のほうは保証できませんが、
多分美味しいのであろうと思っています。
当地の日の出は5時、もう空は明るく早朝の空気はすがすがしく格別。
クラシックの曲のなか全員座に付く、
境内では老師の撞かれる読経と梵鐘の音(ご前6時)
昨日の講演で聞いた「梵鐘への思い」、今朝の釣鐘堂の景色も
鐘の音も、違った姿と音に聞こえました。
始まりのクラシック音楽は、スポーツの前準備と同じ、
全身を静に動かし、姿勢を自己検査してみる、
特に、耳と肩の線が正しいかを見極めるのがポイント。
毎回話す坐禅の中身ですがと前置きされ・・・・。
「道元禅師様がお薦めになる坐禅」とは。
細かくはいくつもある中で、
「坐禅をしている仏像の姿を真似ること」
己と言うものを放り投げ、仏像の姿を取り込むのです。
「自をして他(この場合仏様)をどうぜしむ、後に他を自にしむく道理有るべし」
(すなわち自分が相手の姿に溶け込むと、相手が自分に入ってくる)
こんなことが日常生活のありようにも応用でき、
「坐禅の効用」の一つかも。
姿勢を正したら、その姿は仏像の姿になっているか点検せよ。
2.その後、「調息」今まで無意識でしていた呼吸を意識する。
3.身のかまえ、調息の一つ一つに「意識を持っていく(調心・到心)」。
座中に体を動かすことはいいのですが、一度動かすと又動かしたくなるもの、
そのためにも、最初からしっかり「身のかまえ」をすることが肝要。
そして鐘3つ、ここでから今日の正式の坐禅が始まる。
静寂の時間、外は明るいのに堂内はより静か。
今日の老師は、一緒には座られず立って歩く「立禅」の実施。
一足半歩のすり足の動きの音。
33分間過ぎ、ここで鐘1つ、坐禅の終りである。
アフターの音楽で、体の崩し、癒し方5分。
続いて動かない「立禅」の指導。
又手、首の位置、呼吸は坐禅と同じ、
足の開きは八の字、
親指と乳頭の位置を同じく、かかとはくるぶし1つを八の字に開け立つ。
目は細く開けて2m前に落とし瞑らない、
この目はへ「象眼」象の目のような開き。
初めての事であり5分間で倒れこむ人も。
毎回の坐禅の前に、立禅を5分くらいすると良いとの指導も。
今日は色々なことを新しく習う日となりました。
毎回振る舞われる「塩粥」は格別の味。
境内の「大かえで」。
今朝「羽黒トンボ」飛来、
流線型で真っ黒な羽根、メタリックな青く細い尻尾、
印象的で、綺麗なトンボです。
本来、夏の夕刻2匹がたむろしいている姿が目につきますが、
時期が少し早いのか、
今朝は1匹だけでした。
留まると羽の開け閉めをしますが、此れは求愛や相方を誘っている動作らしい。
また、「羽黒トンボ」は渓流でしか孵化しないトンボの由、
我家の庭端の「大連寺川」(こんな小さな川ですが一級河川)も
市街地の川として決して美しくはありませんが、
トンボたちにとっては「清流」の仲間なのかも。
毎年ここで羽化するのでしょう。
また今年初、「あぶらぜみ」の抜け殻(当地ではセミの「モズ」と言っています)
を発見、そろそろ鳴くのでしょう。
にぎやかに成りそう。
かねてから、この企画に参加していた
「勝山地区老人連合会」の恒例行事。
第1部の社会講演の講師に、私の薦していた方にお世話になりました。
講師は、早朝坐禅会の「義宣寺東堂(元住職の称号)老師」
そのお人柄だけでなく、勝山市では一番古い寺院義宣寺(1580年建立)
・大本山永平寺元布教部長・勝山の中学校元校長、其の他、そうそうたる
経歴の師から出る話題、歴史、思いなど、
われわれの年齢にはピッタリの講演となり、好評、
推薦した私も鼻高々。
第2部は昼食後の芸能発表など、お酒の入った中での行事となりましが、
この進行役も当り、何とか・・・。
高齢者にとっては楽しい一日になりました。
参加者170名。