
シャクナゲの里を回ったとき、長さ1mくらいのほだ木が木立の中に幾列も並んでいるところをみた。シイタケの人工栽培だ。自然を満喫しながら栽培されており、ハウス作物とはひと味違うかなと、思いながらうす暗い木立の奥を眺めた。
それからしばらくして朝市で買った生シイタケ、大きさは不揃いでスーパーなら「理由あり」に区分けされることは間違いない一袋。採りたてで水分もたっぷり含んでいるのか重さも感じる。乾しシイタケにするという家内の指示で、ざるにのせて天日にあてる。もしかしてと写真に残しておいた。が、そのことはすっかり忘れていた。
流しのそばに小さなざるに盛られたこげ茶色のものを見た時、先日、ざるに並べた生シイタケの変身した姿、と気づくのに一呼吸を要した。水分をうしない少し硬そうなその姿態からはみずみずしさは抜けていたが、翁のようなシイタケに見えた。
乾しシイタケは保存性が向上し、乾燥により生のものよりも味や香り、旨みが濃縮されるという。一方、生シイタケはそのまま保存すると劣化し腐ってしまうので乾すことが必要という。古の知恵を知る。
一年を通して店頭に並ぶシイタケをみると、日本の食卓には欠かせない大切な食材であり伝統の食材でもあることを知る。自然の恵みを満喫しながらそだち、さらに陽によって自然の旨みを増すというシイタケ。食材それぞれのこうした知恵を知りながら食すると、これまでと違った旨みが分かるかも知れない。
(写真:乾しシイタケにされる前の生シイタケ)