日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

きれいな心

2008年10月10日 | 生活・ニュース
               

秋を謳歌する花々が紙面や画面を飾り、何かホットさせてくれる。

陶芸教室の世話役さんから「カメラ持参で参加のこと」というメールが届いた。教室までの道なりに咲くコスモスを撮るという。

山道を上りはじめたバスが8号目あたりのカーブにさしかかったら窓越しに見え始めた。どなたが手入れされるのかコスモス畑は色とりどりに咲いている。

撮影のため途中下車。きれいな咲き具合に感嘆しながら、しばらくのあいだ憂き世を離れてシャッターを押す。もういいでしょう、の合図で再び車中に。

しばらく上ると幾本かの紅葉の進んだ花水木が見える。こちらもきれい。ある方が「まあきれい」すかさず「それはきれいな心だから言える」と隣席の人。「嬉しい、ありがとう」と先の人は素直に笑顔をかえす。

コスモスと花水木、きれいな心だから「綺麗」と感じたのか、花の力が「綺麗」と感じさせたのか、どちらだろう。

創作のテーマは「お皿」。花を愛でたからだろうか「花柄」の紋様を使った方が多く、作品の出来栄えを引き立てている。自然を素直に受け入れそれを生かす皆さんは「きれいな心」の人なのだ。

(写真:来年に向けて準備する花水木)
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いろいろな秋

2008年10月09日 | 生活・ニュース
                 

古くから秋の語を引っ掛けていろいろいな秋をいいあらわす。食欲の、スポーツの、読書の、芸術のなどごく普通に使っている。その短い言葉で何を言いたいのか通じる。

稲刈りの終わるころを「秋上がり」、単(ひとえ)では肌寒く感じて着るあわせを「秋袷(あわせ)」、桜に似た花コスモスは「秋桜」、朝夕に感じる寒さを「秋寒」と今ごろはこんな言いあらわしもされる。なんだか味がある。

勉学に勤しむにもにもいい季節だ。基礎研究の功績が称えられ4名の日本の科学者がノーベル賞受賞と決まった。世界恐慌といわれる金融不安に対するトゲトゲとした気持ちが癒される。資源に乏しいわが国、多くの若者が続いて欲しい。4人のかたの語り口は違うが素直に尊敬できる。

工事中の立札は立っているがこれはなんだろう。「幸輪」と示された不思議な造作、これは芸術なのか。大理石の大きな外輪は回転し、内側に掘られた溝の上を小さな玉が転がっている。やがて説明の札も立とうが「幸せが転がり来る」ものであってと願いながらシャッターを押した。

(写真:回り続ける輪は何を醸しだすのか:錦町)
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永久欠番

2008年10月08日 | 生活・ニュース
                 

ソフトバンクの王貞治監督が今季限りでユニフォームを脱いだ。1940年生まれの68歳、プロ入りして50年。その足跡は「偉大」のひと言につきよう。

本塁打王は13年連続を含むこと15回。73、74年には三冠王。そして通算本塁打868本は今も世界記録として輝く。監督ではリーグ優勝4回、日本一は2回経験。77年には初の国民栄誉賞を受賞し多くの人から拍手を受けた。

王さんは観客に向けての華やかなアピールがなく「黙々とプレーする人」「本当の職業野球人」そんなイメージをいつからか持ち始めた。退団の日、若い選手が大粒の涙を流す場面を見たとき、私の抱いていたイメージ通りの王さんだと信じた。

ソフトバンク球団は「89」を永久欠番にする。巨人軍時代とあわせてひとりで2個のそれを持つことになる。永久欠番は「プロ野球で、球団が在籍した選手の功労を記念してその背番号を、選手の退団後永久に使用しない処置をとること」と辞書は説明する。

欠番は「ある番号にあたる所がかけていること、また、その番号」とする意味は理解できるが、欠は欠点や欠ける、不足などの良くないイメージがある。浅学で思いつかないが「誉れ、賞賛、祝意」そんな意味の言葉にぜひ変えて欲しい。

健康が許されるなら次のWBCで日本代表監督として采配をふるって欲しい。

(写真:この姿はもう見られない:読売新聞より)
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エッセイ第3集

2008年10月07日 | エッセイサロン
                 

エッセイサロンの代表者(著者名 茅野 友)が3冊目のエッセイ集を自費出版された。

次のような「あとがき」が残されている。
2004年11月にブログを開設して4年、毎年250編くらいの短いエッセイを「写真エッセイ&工房『木馬』と名づけて、1枚の写真とともにアップしてきました。

続いて1年目が「行くぞ! ハートリー」、2年目が「アークグレーを飲みながら」、続く3年目が「散歩嫌いな ハートリー」となっている。泳ぎは大好きですが、朝夕の散歩が大の苦手なハートリーを皮肉ってつけた題です、とタイトルの意味が紹介されている。

茅野さんのブログには愛犬「ハートリー」はよく登場する。時にはブログの題材を見つけ出す、時には題材のないときの主役だったりと春夏秋冬著者の側で可愛がられている。

ハートリーが病のとき、傷を負ったときとなどわが子と同じように心配し手を施される。それはブログの愛情を含んだ表現から伝わる。

純白でシンプルな表紙の中は260編ほどのエッセイが収まっている。笑いにペーソス、世評に自己反省、おやっと思わせる艶やかな話など飽きさせない。そして起承転結の結の部分の「のりのいい落ち」は読んで味わってください。

市内国道2号線沿い「双葉書店」入って左側すぐの新刊本売り場の一番手前に積み重ねてあります。部数限定の発行の様です。著者自筆の「栞」が折り込まれています。これも楽しんでください。

(写真:安心して親子で読めるエッセイ集を求めに行くカニの親子)
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こんなことあり

2008年10月06日 | エッセイサロン
               

題材には自信がある。理由は「自然な笑いがある」「誰でも経験できるというものではない」「思い出しても笑える」など独りよがりに思いながら書き始めた。

「起承転結」の「結」の前までは何とか書けた、いや書いた。終りを書いたけど気に入らない。何度も削除し書き直す。2、3日間をおいて眺めるがやはりだめ。

しばらく寝かせておこう、そう決めると焦りがなくなる。

強い雨の交叉点で信号待ち。こんな日に止まれ進めを教えてくれなかったら困るだろうなと思いながらシャッターを押した。信号が青になり左折したとき「あの時の笑いから学んだことは何かな」ふと思った。

書き直し続けていた結、よくいう「落ち」は笑いそのものを使って納めようとした。一転して左折で思い浮んだ学んだ内容で投稿したら採用され正直喜んだ。

交叉点を左折したら思いついたのは視界が変わったからだろか。このつぎ困ったときもあの交叉点に行ってみよう、進歩のないことを考えながら切抜きを始める。

(写真:落ちを思いつかせた交叉点)
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収 入

2008年10月05日 | 生活・ニュース
                 

完全リタイヤ後の収入は「年金」のみ。何とかやりくりしている。

家内の国民年金支給申請をした。そのとき「窓口担当者も知らないことがいくつかある」ことを知った。しっかりして欲しい。

申請から1ヵ月、家内の年金証書が郵送されてきた。その前日「扶養者の年金受給開始にともなう支給額改訂通知」として大幅減額された私の新しい証書が届いている。9月分支給から適用される。

家内の年金証書が届いた翌日「老後の安心をお届けする」と肩書きされた妻宛の介護保険料納入通知書が届いた。9月分からの請求になっている。9月分の年金はまだ受給していない。

理屈ではわかっても未受給でも支払させられることにいらだちにを覚える。せめて「初回受給後でもいいです」くらいの配慮があれば「おぉやる」と気持ちも良くなるというもの。

先日、国会議員の収入が公表された。ほかに第2の給与と言われる文書交通滞在費が月100万円近く支給されている。これは非課税扱い。ほかに政党交付金からの配分もあるだろう。しっかり働いて欲しい、間もなく厳しい審判が下ります。

(写真:新聞掲載の国会議員の収入一覧)
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題名も難しい

2008年10月04日 | エッセイサロン
               

雑誌か新聞のどちらかだったが「最近上映されるの洋画のタイトルは面白くない。スペルをそのままカタカナにしている」というような短文を記憶している。

西洋人と東洋人には感覚の違いが相当ある。洋画の味気ないタイトルを日本人好みの情緒あふれる題名に変換することに先人は心血を注いできた、というネットの書き込みもある。

日曜洋画劇場を熱心に見たころもあるが、長いこと映画館には足を運んでいない。映画は広告の題名を見る程度だがカタカナが多い。「哀愁」「旅愁」などといった雰囲気のある題名が見られない。少々いや相当に古いかも。

見出しやタイトルといえば新聞が先ず浮ぶ。編集担当者のメモを見ると苦労されている。特に政治ニュースに関してはその日の新聞に「タイトルとして同じ言葉は全紙面を通して2度は使わない」という。政局混沌、読ませる見出しに悩むようだ。

週刊誌の見出しはセンセーショナルな言葉が並び「おっ、読んでみるか」と思わせるコピーになっている。時としてタイトルほどに中味なしは経験済み。

文章を書くとき「題名」は書くことと同じくらいいやそれ以上に難しい。「題名も1つの文章、おろそかにしてはならない」という。

題名は書物や詩文などの標題の名、つまりその文章の顔であり体を表すものになる。などと思うが「雑文」もなかなかの人間、雑文を書けるようになったら題名も浮んでくるかも知れない。題名も難しい。

(写真:週刊誌のタイトルは明日にでも世の中が激変する)
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初 心

2008年10月03日 | パソコン講座
                

「教えさせてもらう」という鉛筆の書き込みを橙色の楕円が2重3重に囲んでいるパソコン講座の古いテキストが出てきた。

パソコンの利用を普及させるボランティアの会に入会し、いつかは講師をやりたい、と思いながら講座サポートを続けていた。半年を越えてしばらくして「講師をやってもらいます」と役員さんから指名を受ける。

先ず初心者向け内容の2講座を担当する。自分なりの進行方法と話の内容を準備、講座リハーサルで講師適性チェックを受けた。こうして向かえた初回のテキストに心構えを書き、橙色の丸印をつけたことを思い出した。

あれから数多くの講座を担当した。講師ということに慣れたためか、受講者のアンケートで「ここは直そう」と思うことはあるが、格別の感慨を抱くことは少なくなっていた。古いテキストは「初心忘れるべからず」という言葉を思い出させた。

「初心忘れるべからず」とは「常に志した時の意気込みと謙虚さを持って事に当たらねばならない」また「学び始めた当時の未熟さや経験を忘れてはならない」(広辞苑)と諭す。

テキストの余白にはびっしりと話すことをメモ書きしている。慣れもあって最近はメモが少ない。心しているつもりでも「慣れ」に浸たっているぞ、と古いテキストが諭してくれた。ファイルしているテキストのトップに置き換え反省の糧にしよう。

(写真:初回講師のテキスト)

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津和野の稲成

2008年10月02日 | 生活・ニュース
               

国道9号線を山口県から島根県に入るとほどなく朱色の大鳥居が迎えてくれる。その鳥居をくぐり坂道を下りると、そこは山陰の小京都ともいわれる津和野の町だ。

中国山地の小さな盆地、津和野は1年を通じて霧が深く、谷間から流れる濃い霧の中に包まれ、ロマンティックな雰囲気が漂う町、とネットで紹介されている。

町に踏み入れて目につく、そして誰もが知っている朱色のたたずまい、高台に建つ太鼓谷稲成、通称「津和野のおいなりさん」は有名で年間を通して訪れる人が絶えないという。

1773年、ときの藩主亀井矩貞によって建立された。一般的には稲荷のなりは「荷」と書くが、津和野は「成」と書く。願望成就の意からなったといわれ、日本で1つ、ここだけという。

大きな注連縄をくぐる。願望成就を信じなにやら祈る前期高齢者の仲間はいつになく真剣、これが本当の姿かも知れない。

この前参拝したのはいつか思い出せない。境内から見下ろす赤い瓦屋根の続く街並みは変わっていなかった。遠くに見える山口線をSLが走ることを期待したがこの日は運休日とか、無計画な行楽だからとあきらめる。

霧雨模様の日和に負けず各人それぞれがデジカメを思い思いに使い「市美展」用の作品作りに挑戦、沈黙のときがしばらく続く。訪れた目的のひとつでもあった。傑作が撮れたとは誰も言わない。

昼食は津和野駅構内が見える客席20あまりの小さな和食店で「いろいろ蕎麦」を食べる。具沢山な和蕎麦はなかなかの物だった。

(写真:稲成境内から見た街並みと霧雨にかすむ大鳥居)
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台風一過

2008年10月01日 | 生活・ニュース
               

「わたくし麻生太郎、この度、国権の最高機関による指名、かしこくも御名御璽をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました」。所信表明の初めの部分。

終りは「民主党をはじめ野党の諸君に、国会運営への協力を強く要請します。当面の論点を、以上にご提示しました。お考えをお聞かせ願いたく」で結ばれた。

所信表明演説全文を読んでの第1印象は「全治3年と診断された日本経済、注目の社会保障、食の安全、などなど日々の生活に直結する部分についても総裁選のときより後退し、国民を安心させる具体的な内容はない」残念な内容に尽きる。

国民皆さんへのお願いはなく、民主党の連呼は下野した時の総裁の質問演習かと口悪い評も見える。今日からの論戦に期待する。

松下とナショナルが消えパナソニックに変わる。「明るい・・・ ・・・」と親しんだあのコマーシャルソングが消える。政治をこのように一気に転換することは難しいが「民栄えて国が富む」という希望を持たせてくれる政治を待つ。

政局とは違い台風一過のさわやかな日和にほっとする。台風被害を受けられた皆さんにはお見舞い申し上げます。

(写真:台風一過の気持ちよい秋空)
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