日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

祭 禮

2008年10月20日 | 生活・ニュース
                

ここ椎尾神社は岩国城下の安泰を願ってまつられたこの地区の氏神さまとされる。数日前、鳥居のそばへ祭禮を知らせる大きな幟が立った。例年、幟が立つと献燈に灯りがともされる。これを楽しみにしている。

200段あまりの石段にそれが灯され、見た目には天空への道しるべにも見える。この日を待っていたのか3人のカメラマンが小声でアングルの相談をしている。

通りかかった若い男女。「オォきれい」と携帯で撮っている。自転車に大きな荷物を積んでいる。行き先を聞くと「広島まで」。早朝ウオークの人も手を合わせる。

この地の鎮守の神へお願いをしに初詣の日はこの石段を上る。帯のように続く参拝者の列に混じりゆっくりと石段を踏む。参拝は1年に1度この日だけ。朝ウオークの時は鳥居の前で一礼している。

子どものころ、夏休みの終わるころに大きな輪をくぐる「すがぬけ」のときも石段を上った。翌朝、輪の周りには日焼けして黒くなった子供たちの皮が剥げ落ちている、そんな話を聞かされたこともあった。

明日は祭禮の太鼓の音がかすかにだけど我家でも聞ける。

(写真:祭禮の幟と献燈の灯り))
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竹灯り

2008年10月19日 | 生活・ニュース
                

「錦帯橋と古い周辺の町並み」を世界遺産に登録しようとする運動がある。昨年、これを支える街おこしを地元の皆さんが興され、活動が続いている。

2回目の今年も多彩な行事が2日間催された。昼間は「竹細工をしよう」「錦帯橋の模型を作ろう」「シャボン玉遊びに紙芝居」「行灯作りにくじ引き」と楽しめそうなイベントに子どもたちは喜んだ。

日暮になると錦帯橋から数百㍍の歩行者天国「大明小路」が「竹灯りの小路」に変わる。仕掛けは、長さ数十センチ、鋭角に切られた孟宗竹のその中へろーそくを灯す。

小路の両側の竹灯りを頼りに進む。家々も明かりを落とし「竹灯りの小路」の演出に協力する。足元は闇。イベント会場には数十本が灯され、赤みがかったあったかさが灯る。

いち段と目を引いたものがある。竹を使い岩国城と錦帯橋をあしらった作品。暗闇の中で城と橋が、和紙を透したろーそくの灯りで浮かび上がる。ライトアップでは真似のできない暖かさと落着きをかもし出す。写真を撮る人が多い。

ライトガーデンと銘打って、門構えの大きな屋敷の庭の奥までろーそくが灯されている。ふだん見れない門の内に興味はあるが、足を踏み入れる人はいなかった。鳴いている虫の声は門外と同じなことに親しみを感じる。

月の出には早いこの時間の足元は暗闇。「大名」小路と呼ばれ燈のなかったころの武士はこの小路をどんなにして歩んだのだろう、そう思いながらろーそくの灯りを後にした。

(写真:灯りに浮かび上がる城と橋)
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エキストラ

2008年10月18日 | 生活・ニュース
                 

あるグループの知人から夕食への招待、遠慮なしに仲間とともに出席する。
指定の時間少し前に会場に到着。割烹の玄関に「本日はご予約のお客様専用です」そんな掲示をいぶかりながらもお客面して入る。

招待した人にその訳を聞くと「娘が母親の誕生祝いをする。お父さんの友達を案内してくれというのでご足労願った」、数日前に顔を合わせたときには一言もなかった。

乾杯から1時間ほど経ったころ、突然襖が開き強烈なスッポトライトが会場を襲った。と同時に「今晩は、突然お邪魔しま~す」とマイクを持った若い女性が飛び込んできた。後ろに大型のビデオカメラが続く。

あとで伺った話はこうだ。2人の子どもはお婆ちゃんの誕生祝いの岩国寿司作りに挑戦。材料のレンコン堀、錦糸卵など準備すべてを行なった。テレビカメラはそれを収録し、最後に5段重ねの岩国寿司を持ってお祝いの会場に登場でクライマックスとなる。

TVの取材クルーは手際よくロケを終えた。2人の子どもさんは何事もなかったかのように遅くなったお祝いの料理に箸を運んでいる。見守るおばあちゃんの顔はちょっと潤んでいる。あらためてビールをいただく。ほろ苦さならぬほろっとした味が喉を越した。

放映が終わるまでロケの話は忘れるように、そんな中でも放映予定日は教えらた。その映像が夕方全国に流れた。合計2秒か3秒自分の姿が見えた。これがエキストラというものか。

お土産の岩国寿司は美味しくいただいた。

(写真:飛び込んできたロケ隊、携帯撮影)
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果 物

2008年10月17日 | 生活・ニュース
               

澄みわたった空に通りがかりの家々に金木犀がうかがえる。あの小さな花のどこに強い香りを秘めているのだろうと思う。白っぽい木犀を見たことがある、銀木犀だろうか。秋を印象付ける花のひとつだ。

マレーシアの工場へ出向した知人が「地域がら果物には不自由しないがひとつだけ手に入らない果物」と教えてくれたのは柿だった。その季節になると、柿の甘みのあるほどよい食べごろのものが無性に懐かしくなる、と話し「柿は日本の果物である」と言いながらデザートのそれをひとりで食べていた。

もうひとつ秋の果物には栗がある。柿とともに日本を代表する果物だ。あのトゲのどこに美味しさの秘密があるのか不思議だ。市内の産地では出荷が最盛期を向かえている。台風の被害も無く生産量は多く、茹でた栗のように生産者の気持ちはホカホカという。

1個100円近くなので「今年は無花果のジャム作りを半分にした」と不満そうに話す知人。スーパーに並ぶそれは小ぶりで1パック数個ほどで400円近くする。子どものころに食べたものは自分たちの拳くらいあったように思う。

裏通りにある高いブロック塀越に毎年ざくろが姿を見せる。ざくろも秋の果物のひとつ。原産地のペルシャから中国経由で長崎に渡来したそうだ。渡来と関係ないかも知れないが小さなルビー色の粒は綺麗だが食べると酸味が強くあまり美味しいとは思わない。今年の実は少し大きい。熟れて裂けるまでにはもう少しかかる。

(写真:道路を見下ろすざくろの実)
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ミニ庭園

2008年10月16日 | 生活・ニュース
                 

姪の女の子は幼稚園の年少さん。ときどき遊びにくる。おやつのある場所はいち早く覚えた。ついでおもちゃの置き場所も覚え、今では自分から持ち出してくる。帰るときは必ず自分で片付けることに感心する。

その幼稚園には「お花の当番」がある。当番の前日にはその印にお花のリボンを胸につけて帰るそうだ。お花の当番とは、園に活けるお花を持参することという。

お花に制限はないようだが持たす側からすればそれなりに大変という。先日も我家の花を見て持って行くという。小さいながらも花のリボンの意味が分かっている、そう思った。

喜んで持って帰ってくれると花は本望と喜ぶだろう。2、3度持ち帰ると我家の狭い庭の花は残り少なくなった。

そんな小さな庭にミニ庭園を置いた。ミニミニ盆栽とこれまたミニミニ鉢に植えた苔をのせた簡素なもの。必要なところへ持ち運べる。枯れ木も山の賑わいではないが、冬にむかう庭に何も無いよりはましだろうとひとり悦にいる。

(写真:ミニミニ庭園と見守る狸)
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虚を衝く

2008年10月15日 | 生活・ニュース
               

新聞の一般紙は月1度の休刊日がある。配達する人の一斉休日のためには全紙共同歩調となる。これって談合は厳しく追求する新聞業界の談合にはならないのだろうか。その他に機器のメンテナンスなども実施するという。

新聞を読む時間がすっぽりと空く。身についた習慣を狂わされるようで落着かない。いつもより早くパソコンの前に座りメールを開く。「おはようございます」のタイトルを開くと新聞が添付されている。

送信者は「新聞つくりが趣味」という主婦のNさん。「取材」して幾種類かの紙面をつくり関係先などへ送る。すべてボランティアでされている。近々完成しますという情報はとどいていたので早速印刷して読む。

子どもさんの通う小学校の運動会がテーマ。それも子どもさんのクラスだけを特定したルポ風の仕上げで、お母さんが作った学級新聞だ。続報ではクラスに掲示され子供さんたちは大喜びをしたいう。そうだろう。

今、新しい取材源に向かってNさんは走っている、先日のメールからそう受け取った。また、近々別の種類の新聞に出会えるだろう。次号はどんな紙面作りの工夫がされているのか楽しみだ。

それにしても、新聞休刊日を発行日にし、早朝に送信という「虚を衝く」この作戦は読ませるうえで大成功と賞賛する。次の憎い仕掛けはなんだろうか。

(写真:子どもたちが喜んだ学級新聞)
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冬のはしり

2008年10月14日 | 自然 季節
               

早朝、川風を冷たく感じる朝も幾日かあったこの秋。朝ウオークは気候の移りに合わせて服装を変える。今の時期と春先には特に気を使う。

外気温が18度を下回ると半袖から長袖に、16度位になると薄い肌着を着用する。季節の変わり目には起床時の室内温度を見て着る物を決める。この時期は3種類くらいの組合せを準備している。

その理由は「歳を考えて」のことに他ならないが、続けるうちに修得した知恵かも知れない。

今朝のウオーキング時間の気温は16度、1時間あまり歩くと額に薄っすらと汗をかく。終わってからの冷水摩擦は水泳選手ではないが「気持ちいい」。

庭の千両、夏の黄緑色の小さな花は緑色の球形の実をつける。季節の移ろいに合わせ実が色づきはじめた。赤と黄が競っているようだ。正月の切花として使われるが、今からその運命への準備を始めている。

色づいて見ごろになると訪れるのは小鳥。正月を迎える色づいた実はいつも僅かで大方は餌になっていく。よくたわみゆらゆらする幹に止まってついばむ様子は感心しながら眺めている。この冬もやってくるだろうか。

(写真:色づきはじめた黄色の千両)
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何が来る

2008年10月13日 | 生活・ニュース
               

「古くなった設備を廃棄して新しい設備を造る」、これを「スクラップ-アンド-ビルド」という。工場勤務で直接にも間接にも携わったが、関係者はもとより工場全体が活気付く。

新しい設備を設ける理由はいろいろだ。供給が間に合わない、新しい製法が開発された、よりコストダウンへ連なる技術開発などなど経済の動向を見極めながら進められる。

勿論企業の責任として進められる。こうした設備投資額や機械類の受注額の多少が経済活動の指標のひとつになっている。世界的金融恐慌のいま、早く脱出可能な展望を示して欲しい。

行政に「スクラップ-アンド-ビルド方式」というものがある。「行政機構を新設するする場合、同等の既存の機構を廃止し、機構全体の膨張を抑制すること」(広辞苑)をいう。この説明のとおり改革を進めて欲しい。

解体中の近所の造り酒屋。そのシンボルでもある煙突がついに姿を消した。2階の屋根ほどの高さ残っていたが朝から重機のうなり音とともに低くなり、お昼にその音は止んだ。

解体現場には入れないが広い更地になりそうだ。マンション、分譲、それともアット驚くようなものがくるのか。ここは住宅地域、それなりのものを願いたい。

(写真:強固に見える煙突が苦もなく崩れていく)
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13夜の月に

2008年10月12日 | 生活・ニュース
                

昨夜は13夜を詠まれたり書かれた方も多かっただろう。

月は四季眺めることはできるが秋の月がことのほか美しいという。15夜も13夜も毎月あるが月見る月の13夜は旧暦の9月13日の月をさす。ちなみに昨年は10月23日来年は10月30日と載っている。

月に人が降り立ちその足跡が瞬時に伝えられそしてそれを画面を通して見ることができる。兎が餅つきをしているなどのイメージは遠くに忘れ去られた昔のお話のようだ。

産業発展のシンボルのひとつ「あんまり煙突が高いのでさぞやお月さん煙たかろ」と歌われお月さん、昨夜は暮れた地上がどんなに見えただろうか。

まもなく姿を消す造り酒屋の煙突の上に13夜が見える。半分ほどになったこの姿をどんな思いで眺めているだろう。甘い酒の香りを漂よわせながらたなびいたであろう煙、お月さんがほんのりと赤みがかったことがあったかも知れないな~あ、白い13夜の月を眺めながら思った。

(写真:解体中の煙突の上に出た13夜の月)
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経世済民

2008年10月11日 | 生活・ニュース
                

ご紹介したことのある「希望ジャーナル」という新聞の最新号が届いた。これはご近所の方が作られ、自らが配布されている。少し長いが引用させていただく。

「治者は民の父母でなければならない。そのためには、経済という言葉の本当の意味を悟るべきだ」とし「経済いうのは経世済民の略であり、経世とは乱れた世を整えること、済民とは苦しんでいる民を救うこと」と解いている。

「したがって経済と言うのは単なる銭勘定ではなく、その背後に、民を愛する姿勢がなければならない」とし「治者は民の父母であるというのは世の親のような気持ちになって政治を行なって欲しい」と言うこととまてめられている。

これは米沢藩を改革した上杉鷹山が師と仰いだ徳川中期の儒学者・細井平洲の教えと説明がある。発行人は「民を愛する政治、1人を大切にする政治、政治家はまずこのことに気付くべきだ」と結ばれている。

政争だ政局だ総選挙だと我に都合の良い御託を並べる前に、政治とは誰のためのものか、直接政治の場に居る者に今一度聞きたい。そして選挙民も深く考えねばいけない。

ちなみに「経世済民」とは「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと」(広辞苑)と解されている。

(写真:希望ジャーナルの最新号)
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