『ショートケーキ』は、柏木由紀の個性が充分発揮された作品だ。
この曲なら「ミュージックフェア」の生歌でも充分楽しめる。
トイピアノで始まるイントロが印象的。ゆっくりとしたリズムが曲への集中力を高めていく。そして「子どものころから・・・」と柏木が歌い出した瞬間から、輪郭のはっきりした柏木ワールドに引き込まれる。
それは柏木の声の魅力だ。大勢で歌う『遠距離ポスター』でも『シアターの女神』でも、柏木が歌い出した途端に、世界の輪郭が明確になる。
歌詞は、恋愛対象ではなかった幼なじみの彼が、少しずつ愛おしくなって来るという内容。幼い頃はケーキの苺を取り合って喧嘩したが、今では分け合えると、「ショートケーキ」をキーワードとして想いを歌う。しみじみした、いい歌詞だと思う。ケーキの上に載っているものでは、『ノエルの夜』で柊の飾りをくれたエピソードを連想させる。
曲調は、aiko風のJポップ。生真面目だがどこかに幼さの残るような、柏木のイメージを的確に捉えている。
カップリング曲も、それぞれ聴かせる。
『未来橋』。
夢を追って都会へ旅立つ恋人(友人、姉妹、教え子、娘)への応援歌。
「君」と「僕」の関係は具体的に語られていない。どう解釈しても自由だ。送り出す「僕」は、非常にポジティブな言葉で「君」を送り出す。悲壮感がないのは、これも柏木の声の功績か。
「橋」のつく曲は、結構あるようで少ない。AKBグループ関連では、『アッカンベー橋』『さよならの橋』『あじさい橋』(?)くらいか。
『ジェラシーパンチ』。
恋人たちの、どうでもいいような痴話喧嘩の唄。
彼女が彼のみぞおちに「グーパンチ」。それもまた楽しいという二人。でも何で「愛しい友達よ」と呼んでいるのだろうか。どう見ても「恋人」とお互い思っているのに。それだけが疑問だ。
アップテンポ曲で、柏木も楽しそうに歌っている。
『それでも泣かない』。
これもaiko風。すぐには会えない恋人を、夜更けに思う歌。
丁寧に歌っているが、曲自体がやや単調な印象。
『クラス会の後で』。
クラス会で久々に元彼に逢って揺れる心。定番のテーマだが、マイナー調の曲調で深刻そうに歌う。「二次会には行けないよ」とポツリ呟くような歌唱が愛おしい。
二十歳かそこらの同窓会では、当時の恋愛の「とげ」はまだ抜けきっていないのだ。二次会くらい行って、世間話くらいすればいいと思うのだが、それができないのは、まだ未練があるからだろう。じゃあ、もう一度付き合えばいいのに。じれったくなる。
四十や五十になれば完全に思い出になって、笑いながら話せるはず。それはそれで悲しいが。
『桜の木になろう』。
押尾コータローのギターだけの伴奏で歌う『桜の木になろう』は、完全に柏木のソロ曲となっている。
前田敦子の出だしのソロも、一瞬で世界観を構築する力があったが、柏木もまた別の世界観を築いている。脆く繊細な前田に対し、柏木は母性を感じるような安らかな世界だ。
ところで、柏木は高井麻巳子(秋元康夫人)と似たイメージがあると思っていた。髪が黒くて長く、清楚で、穏やかな感情を歌った曲が似合う。
今回、高井の4枚のアルバムを久しぶりに聴き直した。思っていたほど声は似ていなかった。高井の方が、もっとぼんやりとした、輪郭の曖昧な声だった。
『同窓会で・・・』という曲があり、歌詞は『クラス会の後で』に通じる内容だったが、曲調はバラードで全く違う。むしろシングル曲の『約束』の方が、アップテンポかつマイナー調のサウンドで、イントロなど『クラス会の後で』に少し似ていた。
アルバムには、『冬時間』『週末の名画座』『ようこそ・・・』『天球儀の夜.』など、当時も好きだった曲があり、懐かしくも新鮮な佳曲だと再認識した。
意外だが、高井麻巳子の楽曲の作詞家は秋元康ではない。女性作詞家の作品がほとんどだ。当時、なぜ彼女に詞を書かなかったのかは本人しかわからないが、もしかしたら現在、当時の高井麻巳子のイメージを柏木に重ねながら書いているということはあるのではないか。