AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

HKT48『74億分の1の君へ』とカップリング曲を聴く。炎上のあの曲も。(ときめき研究家)

2016-04-24 18:42:16 | ときめき研究家
『74億分の1の君へ』。
地球上でただ一人の運命の人と出逢えた奇跡に感謝、というプロポーズソング。AKBグループで言えば『BINGO』『隕石の確率』の内容に近いだろうか。
ミディアムテンポで、幸福感をしっとり歌い上げる歌だから、あまり面白味はない。もう少し有体に言えば、退屈な曲だ。ただ、何回も聴くともっと良さがわかって来るのかもしれない。

『Chain of Love』。
イントロの感じから、いかにもシングル曲っぽい雰囲気がする。むしろこの曲がシングル曲候補だったのではないか。と思ったら、HKT48のドキュメンタリー映画の主題歌だった。映画を観ているのに、すぐには思い出せなかった。確かに映画のエンディングにぴったりのドラマティックな曲だ。
『74億分の1の君へ』が男女の愛情の歌ならば、『Chain of Love』は人類愛、隣人愛の歌だ。
皆が誰かを支え、支えられているというメッセージは、災害復興への支援やボランティアの気持ちにも通じる。
雨や風から君を守るという歌詞は、『君のことが好きだから』を連想させ、HKT48メンバーを支えるファンの心境を歌っているという解釈も成り立つ。「無償の愛」という言葉が目立つ。好きなメンバーが1つでも上位になるようにと同じCDを何枚も買って投票するのは、正に無償の愛だ。握手をしたい、認知されたいというのは無償ではない。

『HKT城、今、動く』。
楽屋落ちソング。ホークスタウンの劇場から天神町の新劇場へ移転することを、戦国時代になぞらえて歌っている。SKE48の『ピノキオ軍』、NMB48の『てっぺんとったんで』と同じような位置付けの曲だ。
ファンとの一体感、全員で支えていて干されにもチャンスがあることなど、HKT48らしい歌詞も盛り込み、「大晦日にまた会おうぜ」と、紅白歌合戦へのこだわりもさり気なく訴えている。
和風テイストのメロディも歌詞にマッチしている。コンサートや劇場公演で歌えば、盛り上がることは必定。

『タブーの色』。
宮脇、兒玉という両エースに、女同士の禁断の恋愛を歌わせている。とは言え、AKBグループにはよくある歌で、『禁じられた二人』『おしべとめしべと夜の蝶々』、他にも何曲かあったような気がする。島崎、横山コンビの『友達でいられるなら』は男同士の恋愛の歌だというコメントをいただいたが、確かにそういう解釈も成り立つ。曲調が隠微な感じではなかったので気がつかなかった。
『タブーの色』は、どこからどう見ても女性同士の恋愛だ。曲調も隠微な感じだ。宮脇と兒玉は声質が全く違うので、声の個性も楽しめる。どちらかというと宮脇が大人っぽく、兒玉は舌足らずで子どもっぽい。

『図々しさを貸してちょうだい』。
今回の6曲の中では一番気に入った曲。
いつも男子の目を意識し、空気を読まずに図々しく振る舞う「彼女」に呆れながらも、ちょっと羨ましく思っている女の子の歌。好きなものは好きだと言って手に入れる、それが若者の特権。清々しい。
歌詞の中に出て来る「グリーンランド」とは北極海の島ではなく、三井グリーンランドという福岡の老舗の遊園地。東京で言えば読売ランドや豊島園のようなもの。ローカルアイテムを堂々と使っていて潔い。
それにしても、遊園地に真赤なミニスカートは何かと支障があるのではないか。ジェットコースターにも乗っているが、どうなっちゃうのか。全て承知の上で攻めている「彼女」に天晴れ。そして「何か羨ましい」と素直に認めている女の子も柔軟で好ましい。

『アインシュタインよりディアナ・アグロン』。
この曲は、ネット上でバッシングを受けているようだ。
「若い女の子は頭が空っぽでも可愛ければいい」という極端な価値観がけしからんという批判。それから、米国のドラマ『glee』を引用しているが、ドラマの内容を理解していないという批判。

後者については、私は『glee』を観たことはなく、ディアナ・アグロンという女優も知らないので、コメントしにくい。有名なドラマの役者を引いているということは、日本で言うなら、「『男はつらいよ』の渥美清のように、何歳になっても定職を持たずにふらふらしたい」とか、「『水戸黄門』の高橋源太郎のように、要人と一緒でもうっかりお気楽に旅したい」とかいうような歌だろうか。
映画やドラマの解釈は人それぞれだから、それを批判しても水掛け論の気がする。寅さんはただの無職ではなく、深い考えがあるのだとか、私の解釈に異論がある方もいるだろう。
そう考えると、女性蔑視、前時代的と言えるこの歌のメッセージも、フィクションの中でデフォルメされた生き方にちょっと憧れるといった程度のもので、現実社会の中で本気で実践しようと思っている訳でもなさそうだ。寅さんや八兵衛が不真面目なのはけしからんと批判するのも、野暮というものだ。

しかし、女性の活躍が期待されている今日、1つ目の批判はもっともだと思うし、何で今わざわざこんな歌詞を書くのかと思う。批判覚悟の挑戦的な歌詞なのだろうが、挑戦して何を得ようとしているのか定かでない。昔、さだまさしの『関白宣言』が男尊女卑だと批判されたことがあったが、あの歌詞は愛情に裏打ちされた照れ隠し、空威張りという解釈の逃げ道があった(その後『関白失墜』という曲も書いている)。この曲にはそういう逃げ道もないように思うが、強いて探すなら、「ママになるまで子供でいい」という部分だ。最近は親なのに親の自覚がなく、しつけができないどころか虐待する親までいる。この子にはそうはならないという自覚はあるし、いずれはしっかりした大人になるけど、今の間は子供らしく楽しみたいという人生観なら、そんなに批判されるようなものではないだろう。

楽曲として純粋に評価するなら、めるみお、なこみくという両世代のエースに歌わせているのに、今ひとつ弾けていないし、心から楽しそうでもない。サビの「ディアナ・アグロン」という部分も気持ち良く歌えていない。懐かしい『片想いの唐揚げ』に似た雰囲気のイントロで期待させる割には、狙い過ぎの歌詞も含めて、それほど完成度は高くない曲だと思う。
コメント (2)
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