早や3枚目のシングルとなった。秋元康の欅坂46に傾ける情熱の強さはあからさまだ。その情熱の「1/3」でもいいのでNGT48のファーストシングル曲制作に注ぐことはできなかったのだろうか。
『二人セゾン』。
乃木坂46を思わせるようなシックな曲調と、印象的な冒頭サビのメロディー。いきなり聴く者を引き付ける力を持った曲だ。そして歌詞が相当難解だ。
そもそも「二人セゾン」とはどういう意味か。「二人の季節」という意味か。春夏に恋した彼女のことを思い出している歌か。否、別のところでは「君はセゾン」とも歌っていて、自分の周りを移ろっていく季節への感傷を歌っているとも解釈できる。それはAKB48『君はメロディー』とも似た構図でもある。そういえばAメロの最初の部分のメロディーも少し似ている。
また、「僕」のイヤホンを突然外した「君」は、春夏に恋した彼女のことなのか、新しく現れた別の女性なのか、それとも季節を擬人化しているのか、いずれの解釈もできる。引きこもっていた「僕」を世界に引き戻してくれたという点では、乃木坂46『君の名は希望』でボールを投げ返すまで待っていた彼女と同じだ。
そんなことをあれこれ考えながら、何回聴いても飽きて来ない、聴くほどに味わいが分かって来る佳曲だ。
『夕陽1/3』(てちねるゆいちゃんず)。
過去2作のCDでもデュエット曲を与えられていた「ゆいちゃんず」に平手、長濱の2トップを加えた「てちねるゆいちゃんず」の4人ユニット曲。さすがに力が入った作品で、今回の収録曲では一番気に入った。
放課後、校舎の屋上に登って一人で夕陽を眺めていたら自然に泣いていたという歌詞で、思春期の抽象的な感傷を歌っている。恋愛とか友情とか具体的な要素は全くなく、わけもなくただ涙が溢れているのだが、そういう境地には覚えがある。見るもの聞くもの全てが、とにかく切なく思える、そんな時期があるものだ。
1番では夕陽の3分の1が沈んでいて、2番ではまだ3分の1が残っているつまり3分の2が沈んだ状態で、時間の経過を示している。
どこか懐かしいような素朴なメロディーは、「ゆいちゃんず」のテイストを引き継いでいる。音階が上下するAメロのたどたどしさが印象的。一転してサビは伸びやかだ。
『制服と太陽』。
高校の三者面談を題材にした珍しい歌だ。卒業したらどうするのか、大学に行くのか、就職するのか。一番悩んでいるのは自分自身なのに、周りから結論を急かされることへの違和感や苛立ちを歌っていて、確かにそんなこともあったなというリアリティを感じる。結論が出ないのではなく、まだ結論を出したくないのだ。まだ今を楽しみたいのだ。
そういう重いテーマを歌いながら、曲調はほのぼのとしている。「何十回何百回」という部分が耳に軽やかだ。その時が来たと自らが思えるまで、自由を存分に味わうがいい。
『僕たちの戦争』(FIVE CARDS)。
彼女の父親が二人の交際に反対していると聞いて、荒れ狂っている男の歌だ。ペットボトルを壁に投げつけてみたり、かと思えば自分が消えればいいのかと卑屈になったりとか、動揺し混乱した心情がストレートに出ている。最後には少し冷静になって、命を懸けて君を幸せにすると決意表明しているが、ヒロイズムに酔っているようだ。詳しい状況は分からないが、彼女の父親に一度は会ったことがあるのだろうか。じっくり話して、自分を理解してもらう努力はしたのだろうか。「戦争」などと大袈裟に構えるより、まずは「外交交渉」で妥協を目指すべきだろう。
曲調はむしろ軽快な感じだが、歌詞の印象がどうにも強すぎて、聴いていて楽しい気持ちになれない。
『誰よりも高く跳べ』。
高く跳んで「ここじゃないどこかへ」行きたいと歌っている。
「ここじゃないどこか」とは、現状には満足できないが明確な目標を持てない現実逃避の常套句としてネガティブな印象にまみれた言葉だろう。そんなことは承知の上で、「ここじゃない ここじゃない ここじゃない どこかへ」と3回も繰り返して歌っているのはどういう意図だろうか。あえてネガティブな印象の言葉によって、人からどう思われようが構わないという強い思いを込めているとか。
曲調も陰鬱な感じであまり好きになれなかった。
『大人は信じてくれない』。
この歌もあまり好きになれない。
自分の苦しさ、寂しさ、辛さを大人は分かってくれない、本気で死んでしまいたいという内容の歌詞で救いがない。曲調もどんよりしている。
『世界には愛しかない』とカップリング曲の感想はこちら。
『青空が違う』はこちら。
『渋谷からPARCOが消えた日』はこちら。
『サイレントマジョリティー』とカップリング曲の感想はこちら。
『渋谷川』はこちら。
『二人セゾン』。
乃木坂46を思わせるようなシックな曲調と、印象的な冒頭サビのメロディー。いきなり聴く者を引き付ける力を持った曲だ。そして歌詞が相当難解だ。
そもそも「二人セゾン」とはどういう意味か。「二人の季節」という意味か。春夏に恋した彼女のことを思い出している歌か。否、別のところでは「君はセゾン」とも歌っていて、自分の周りを移ろっていく季節への感傷を歌っているとも解釈できる。それはAKB48『君はメロディー』とも似た構図でもある。そういえばAメロの最初の部分のメロディーも少し似ている。
また、「僕」のイヤホンを突然外した「君」は、春夏に恋した彼女のことなのか、新しく現れた別の女性なのか、それとも季節を擬人化しているのか、いずれの解釈もできる。引きこもっていた「僕」を世界に引き戻してくれたという点では、乃木坂46『君の名は希望』でボールを投げ返すまで待っていた彼女と同じだ。
そんなことをあれこれ考えながら、何回聴いても飽きて来ない、聴くほどに味わいが分かって来る佳曲だ。
『夕陽1/3』(てちねるゆいちゃんず)。
過去2作のCDでもデュエット曲を与えられていた「ゆいちゃんず」に平手、長濱の2トップを加えた「てちねるゆいちゃんず」の4人ユニット曲。さすがに力が入った作品で、今回の収録曲では一番気に入った。
放課後、校舎の屋上に登って一人で夕陽を眺めていたら自然に泣いていたという歌詞で、思春期の抽象的な感傷を歌っている。恋愛とか友情とか具体的な要素は全くなく、わけもなくただ涙が溢れているのだが、そういう境地には覚えがある。見るもの聞くもの全てが、とにかく切なく思える、そんな時期があるものだ。
1番では夕陽の3分の1が沈んでいて、2番ではまだ3分の1が残っているつまり3分の2が沈んだ状態で、時間の経過を示している。
どこか懐かしいような素朴なメロディーは、「ゆいちゃんず」のテイストを引き継いでいる。音階が上下するAメロのたどたどしさが印象的。一転してサビは伸びやかだ。
『制服と太陽』。
高校の三者面談を題材にした珍しい歌だ。卒業したらどうするのか、大学に行くのか、就職するのか。一番悩んでいるのは自分自身なのに、周りから結論を急かされることへの違和感や苛立ちを歌っていて、確かにそんなこともあったなというリアリティを感じる。結論が出ないのではなく、まだ結論を出したくないのだ。まだ今を楽しみたいのだ。
そういう重いテーマを歌いながら、曲調はほのぼのとしている。「何十回何百回」という部分が耳に軽やかだ。その時が来たと自らが思えるまで、自由を存分に味わうがいい。
『僕たちの戦争』(FIVE CARDS)。
彼女の父親が二人の交際に反対していると聞いて、荒れ狂っている男の歌だ。ペットボトルを壁に投げつけてみたり、かと思えば自分が消えればいいのかと卑屈になったりとか、動揺し混乱した心情がストレートに出ている。最後には少し冷静になって、命を懸けて君を幸せにすると決意表明しているが、ヒロイズムに酔っているようだ。詳しい状況は分からないが、彼女の父親に一度は会ったことがあるのだろうか。じっくり話して、自分を理解してもらう努力はしたのだろうか。「戦争」などと大袈裟に構えるより、まずは「外交交渉」で妥協を目指すべきだろう。
曲調はむしろ軽快な感じだが、歌詞の印象がどうにも強すぎて、聴いていて楽しい気持ちになれない。
『誰よりも高く跳べ』。
高く跳んで「ここじゃないどこかへ」行きたいと歌っている。
「ここじゃないどこか」とは、現状には満足できないが明確な目標を持てない現実逃避の常套句としてネガティブな印象にまみれた言葉だろう。そんなことは承知の上で、「ここじゃない ここじゃない ここじゃない どこかへ」と3回も繰り返して歌っているのはどういう意図だろうか。あえてネガティブな印象の言葉によって、人からどう思われようが構わないという強い思いを込めているとか。
曲調も陰鬱な感じであまり好きになれなかった。
『大人は信じてくれない』。
この歌もあまり好きになれない。
自分の苦しさ、寂しさ、辛さを大人は分かってくれない、本気で死んでしまいたいという内容の歌詞で救いがない。曲調もどんよりしている。
『世界には愛しかない』とカップリング曲の感想はこちら。
『青空が違う』はこちら。
『渋谷からPARCOが消えた日』はこちら。
『サイレントマジョリティー』とカップリング曲の感想はこちら。
『渋谷川』はこちら。