【A2公演はどうして『会いたかった』公演なのか~絶対に外せないキーマンは『リオの革命』だ】
『会いたかった』の歌詞は、とにかく単刀直入な歌詞で、飾らない。シンプルな分、退屈に感じる人も多いだろう。明るいテンポで「会いたかった」と連呼されても、うんざりする。
ここで、A2公演の他の曲を思い浮かべてほしい。
1『嘆きのフィギュア』では「早く迎えに来て」。
2『涙の湘南』では「もう二度と逢えないのね」。
4『渚のCHERRY』では「逃げる私を追いかけて!」。
5『ガラスのI love you』では「ビミョーな距離の僕たち」。
6『恋のPLAN』では「妄想だけじゃなくてあなたをデートに誘わなきゃ」。
7『背中から抱きしめて』では「振り向かせてほしい」。
8『リオの革命』では「あなたどこにいるの?」「置いていかないで」。
9『JEASUS』では「あなたを追いかけてここまで来た」「今すぐ迎えに来て」「私に気づいてほしい」。
10『だけど…』では「あなたがいなくなる」。
ことごとく、会えない曲が並べられている事実に、われわれは敏感になるべきだ。会えなかったからこその、会いたかったなのだと気づき、初めてシンプルな歌詞の奥にstoryを読み取る可能性が開かれる。
また、会いたいという叙情を最も激しく表現している部分が、実は『リオの革命』の中に隠されている。
「あなた追いかけるわ 後ろ姿 I need you! 欲しいものは欲しい 単純なことね I want you! 自分の夢がやっと見えてきたわ あきらめない未来に気づいたのよ I love you!」。これがすなわち、「やっと気づいた本当の気持ち 正直に行くんだ」というシンプルな歌詞に要約されている内実であろう。
先ほど隠されているという表現をしたが、その通りで、この曲は会いたかった公演の裏街道であると私は考える。リオという異国、カーニバルという非日常、劇場的な世界観のなかでこそ、正直な気持ちを「右手を振り上げてHey!Hey!Hey! 心が叫んでるYoo! Yoo! Yoo!」と言えてしまう。それは素直になれない人間の心の奥を覗いたようでもあり、また、アイドルという非日常に没入できるファンの熱い気持ちにも喩えられていると私は思う。
このような、劇場的・文学的トリックは、「革命」的にわれわれの文化の中に受け継がれている。
※『リオの革命』のラストサビ前の、英語での語りを知っていますか?
歌詞カードを見ないと聞き取れない。そこでなら素直になれる。好き勝手言い放題。またもや、同じ手口です。調べてみてね。
ちなみに、Remixで収録されている『スカートひらり』は、以上で述べたA2公演のテーマを、事前に集約していた曲だと言える。
この曲での会えなさの障壁が、素直になれない自分が原因であることから、『背中から抱きしめて』が愛弟子にあたる。だが、A2公演では、距離、失恋、臆病、不安、運命、別れといった、様々な会えなさ要素を他の曲に盛り込むことで膨らみを増している。
『会いたかった』の歌詞との対応関係では、少なくとも次のようなことは言える。「素直になろう」は『背中から抱きしめて』向けアドバイス。「そんな上手に話せなくてもストレートでいい」は『ガラスのI love you』向けのアドバイス。「振られても後悔しない」は『恋のPLAN』と『だけど…』向けのアドバイス。
『スカートひらり』では「弾む息 落ちる汗 全力でこの道を走ろう」と決意するのがラストサビの前であるのに対して、『会いたかった』では1番のAメロから「自転車全力でペダル漕ぎながら坂を登る」と当たり前に言えてしまうところに、素直であることの暴力的な強さがうかがえる。
最後に、「風に膨らんでるシャツも 今はもどかしい」という箇所に触れたい。様々な障壁を「もどかしい」と思える今。
「もどかしい」とは、通常、どうにもならないというネガティブな意味をもつ。しかし、この曲のなかで聞こえる「もどかしい」は、勢いに乗った肯定的な響きをもつ。つまり、かつて大きな障壁と感じていたことが、今は「もどかしい」程度のことに感じるという強さを主張しているのだ。
この「今はもどかしい」という箇所から、他の曲で語られた様々な困難を意識するのは深読みだろうか。昔はどうだったの?と。
『会いたかった』の歌詞は、とにかく単刀直入な歌詞で、飾らない。シンプルな分、退屈に感じる人も多いだろう。明るいテンポで「会いたかった」と連呼されても、うんざりする。
ここで、A2公演の他の曲を思い浮かべてほしい。
1『嘆きのフィギュア』では「早く迎えに来て」。
2『涙の湘南』では「もう二度と逢えないのね」。
4『渚のCHERRY』では「逃げる私を追いかけて!」。
5『ガラスのI love you』では「ビミョーな距離の僕たち」。
6『恋のPLAN』では「妄想だけじゃなくてあなたをデートに誘わなきゃ」。
7『背中から抱きしめて』では「振り向かせてほしい」。
8『リオの革命』では「あなたどこにいるの?」「置いていかないで」。
9『JEASUS』では「あなたを追いかけてここまで来た」「今すぐ迎えに来て」「私に気づいてほしい」。
10『だけど…』では「あなたがいなくなる」。
ことごとく、会えない曲が並べられている事実に、われわれは敏感になるべきだ。会えなかったからこその、会いたかったなのだと気づき、初めてシンプルな歌詞の奥にstoryを読み取る可能性が開かれる。
また、会いたいという叙情を最も激しく表現している部分が、実は『リオの革命』の中に隠されている。
「あなた追いかけるわ 後ろ姿 I need you! 欲しいものは欲しい 単純なことね I want you! 自分の夢がやっと見えてきたわ あきらめない未来に気づいたのよ I love you!」。これがすなわち、「やっと気づいた本当の気持ち 正直に行くんだ」というシンプルな歌詞に要約されている内実であろう。
先ほど隠されているという表現をしたが、その通りで、この曲は会いたかった公演の裏街道であると私は考える。リオという異国、カーニバルという非日常、劇場的な世界観のなかでこそ、正直な気持ちを「右手を振り上げてHey!Hey!Hey! 心が叫んでるYoo! Yoo! Yoo!」と言えてしまう。それは素直になれない人間の心の奥を覗いたようでもあり、また、アイドルという非日常に没入できるファンの熱い気持ちにも喩えられていると私は思う。
このような、劇場的・文学的トリックは、「革命」的にわれわれの文化の中に受け継がれている。
※『リオの革命』のラストサビ前の、英語での語りを知っていますか?
歌詞カードを見ないと聞き取れない。そこでなら素直になれる。好き勝手言い放題。またもや、同じ手口です。調べてみてね。
ちなみに、Remixで収録されている『スカートひらり』は、以上で述べたA2公演のテーマを、事前に集約していた曲だと言える。
この曲での会えなさの障壁が、素直になれない自分が原因であることから、『背中から抱きしめて』が愛弟子にあたる。だが、A2公演では、距離、失恋、臆病、不安、運命、別れといった、様々な会えなさ要素を他の曲に盛り込むことで膨らみを増している。
『会いたかった』の歌詞との対応関係では、少なくとも次のようなことは言える。「素直になろう」は『背中から抱きしめて』向けアドバイス。「そんな上手に話せなくてもストレートでいい」は『ガラスのI love you』向けのアドバイス。「振られても後悔しない」は『恋のPLAN』と『だけど…』向けのアドバイス。
『スカートひらり』では「弾む息 落ちる汗 全力でこの道を走ろう」と決意するのがラストサビの前であるのに対して、『会いたかった』では1番のAメロから「自転車全力でペダル漕ぎながら坂を登る」と当たり前に言えてしまうところに、素直であることの暴力的な強さがうかがえる。
最後に、「風に膨らんでるシャツも 今はもどかしい」という箇所に触れたい。様々な障壁を「もどかしい」と思える今。
「もどかしい」とは、通常、どうにもならないというネガティブな意味をもつ。しかし、この曲のなかで聞こえる「もどかしい」は、勢いに乗った肯定的な響きをもつ。つまり、かつて大きな障壁と感じていたことが、今は「もどかしい」程度のことに感じるという強さを主張しているのだ。
この「今はもどかしい」という箇所から、他の曲で語られた様々な困難を意識するのは深読みだろうか。昔はどうだったの?と。
「会いたかった」公演は、会えない曲ばかりというのは、全く気付かなかった事実です。公演を通して何回も鑑賞する中での気づきですね。相当の聴き手だとお見受けしました。今後もぜひ投稿お願いします。
「リオの革命」の英語部分、私が持っているDVDの歌詞カードには掲載しておらず、まだ確認できていません。とても気になっています。