坂上香織がデビューしたのは、1988年。アイドルがだんだん難しくなり始めた頃で、新人はたくさん世に出るけれど、82年組・85年組のように、アイドルが次から次へと大きく成長していく時代ではありませんでした。
その中で、坂上香織は、そこそこ、知名度の高かったアイドルでした。
デビュー曲「レースのカーディガン」は、ザ・ベストエンの10位にランクイン。youtube映像
この映像の曲紹介、アナウンサーはこう言っています。
「お父さん、実家が料亭なので、そのお客さんと一緒に、リクエスト葉書を書いたり、レコードを何十回も聴いて、応援してくれる。」
1988年、私は、海外勤務でアイドル情報は限定的。かつ、坂上香織はCDを買わないくらいファンではなかった (少し気に入ったアイドルは、CDを買っていた頃なので、あまり興味はなかった) のですが、実家の料亭の名前は知っていました。
坂上香織のファンの友人が周りにいて、長崎に行って、実家で食べてきたという話を聞いていたから。実家のお店の名前は割烹 大判。写真はこちら
会社の仕事で、長崎には何度も (多分50回以上)出張しましたが、まだ大判に行ったことはありません。
長崎で、会社の同僚と、食事にいったり、無駄話をしていると、坂上香織の実家に食べに行くというのは、アイドルが好きではない人でも、話の種として一度は行くのが定番らしく、私の趣味を知っている人に、行ったことがないと話すと、
「えー、ナッキーさん、大判で食べたことないんですか。アイドル好きなんでしょう。」と言われます。
この記事を書くために、ネットで調べたら、いつも泊まっているホテルから歩いて15分くらい。
大判に予約を入れるために、電話をしたら、電話に出るのは、坂上香織の親なのだろうか。それとも、従業員?
坂上香織は、アイドルとしては現役でないので、親と話をすることになっても、感じることは何もありませんが、
好きな(現役)アイドルの親と話をするというのは、どういう雰囲気なのだろうか、と思って、この文章を書いているのは、11月18日の夜。
ナッキー
その中で、坂上香織は、そこそこ、知名度の高かったアイドルでした。
デビュー曲「レースのカーディガン」は、ザ・ベストエンの10位にランクイン。youtube映像
この映像の曲紹介、アナウンサーはこう言っています。
「お父さん、実家が料亭なので、そのお客さんと一緒に、リクエスト葉書を書いたり、レコードを何十回も聴いて、応援してくれる。」
1988年、私は、海外勤務でアイドル情報は限定的。かつ、坂上香織はCDを買わないくらいファンではなかった (少し気に入ったアイドルは、CDを買っていた頃なので、あまり興味はなかった) のですが、実家の料亭の名前は知っていました。
坂上香織のファンの友人が周りにいて、長崎に行って、実家で食べてきたという話を聞いていたから。実家のお店の名前は割烹 大判。写真はこちら
会社の仕事で、長崎には何度も (多分50回以上)出張しましたが、まだ大判に行ったことはありません。
長崎で、会社の同僚と、食事にいったり、無駄話をしていると、坂上香織の実家に食べに行くというのは、アイドルが好きではない人でも、話の種として一度は行くのが定番らしく、私の趣味を知っている人に、行ったことがないと話すと、
「えー、ナッキーさん、大判で食べたことないんですか。アイドル好きなんでしょう。」と言われます。
この記事を書くために、ネットで調べたら、いつも泊まっているホテルから歩いて15分くらい。
大判に予約を入れるために、電話をしたら、電話に出るのは、坂上香織の親なのだろうか。それとも、従業員?
坂上香織は、アイドルとしては現役でないので、親と話をすることになっても、感じることは何もありませんが、
好きな(現役)アイドルの親と話をするというのは、どういう雰囲気なのだろうか、と思って、この文章を書いているのは、11月18日の夜。
ナッキー
コメントありがとうございます。
大判には行きました。
その時の様子は、次の記事に書いています。
http://blog.goo.ne.jp/tedpapa/e/1184bd3a65eddfd29bf72da46eb6f28b