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話しかけたかったの本歌はユーミン、斉藤由貴がオーディションで歌った5曲

2014-11-03 05:52:21 | アイドルを回想(AKB48を含む)分析系
話しかけたかったの本歌はユーミン、斉藤由貴がオーディションで歌った5曲

スキャンダル雑誌の意外な、真面目で読み応えのあるアイドル史
いずれの話題も、初めて知りました。
本歌のユーミンの曲、http://m.youtube.com/watch?v=bHpzXblEbkw
残念なことに知らない曲なので、これが本歌!!!という感動を味わうことができませんでした。

菊池桃子は、歌うことを拒否していたが、今年歌ったというのも新鮮な発見です。ナッキー

芸能記事は、
http://www.asagei.com/14685
http://www.asagei.com/14538 以下引用です。

85年の菊池桃子と南野陽子(3)四十路を越えてなお輝きを失わない2人

「あれじゃ学芸会になっちゃうぞ!」

 映画のプロデューサーは阿部の起用に反対したが、佐藤は監督として譲らなかった。演技経験はないが、素直な性格と恵まれた容姿は「買い」だと思った。

「ただ、撮影に入ったら緊張のあまり、どんどん顔が痩せてゆくんだ。映画にはつながりというものがあるから、とにかく食べて同じ状態をキープしろと言ったよ」

 ナンノは「スケバン刑事」(87年、東映)の劇場版に続き、2作目の主演である。ドラマも含めて場数を踏んでいるため、監督も阿部への指導に時間を割くことになった。

「すると彼女はちょっと嫉妬してイライラすることはあったね。聞いていたほどわがままじゃなかったけど、やっぱり“我の張り合い”は、監督と主演女優には少なからずあるよ」

 わずかな衝突はあったが、撮影の最終日にナンノが目に涙をためていたことは、今も佐藤にとって忘れ得ぬシーンである。

 そんなナンノの出発点は歌手であり、デビュー曲「恥ずかしすぎて」は85年6月23日、18歳の誕生日に発売された。担当ディレクターだった吉田格は、歌手としてのコンセプトをこのように決めた。

「85年は菊池桃子や斉藤由貴など『お嬢さんアイドルブーム』が華やかでした。ナンノも神戸の松蔭高校に通っていた本物のお嬢さんでしたから、そんな日常を歌の世界に投影したかった。ユーミンや竹内まりやのアイドル版で、彼女が自転車で坂道を上って通学したり、学校帰りにはどこに寄るかというような詞を、彼女のレポートをもとに作詞家に依頼しました」

 吉田の耳にも、決して歌がうまいとは思えなかった。ただ、不思議と声に表情があり、それは「やわらかい音色」として人々の耳に残る。ドラマの「スケバン刑事」は奇想天外な世界だが、歌ではリアルな感情を第一としたい。

 そして6作目の「楽園のDoor」(87年1月)から7作連続でチャートの1位を獲得するが、とりわけ吉田は「話しかけたかった」(87年4月)に思い入れが強い。

「あれはユーミンの『Destiny』の“本歌取り”と言えます。安いサンダルをはいていたために好きな人を追えなかったというユーミンの歌詞ですが、同様に、その日に限って髪がハネていたため好きな人に話しかけられない。気がついたらその人には彼女がいて‥‥という悲恋のエピソードです」

 初めて歌ったメジャー調のメロディであったが、ナンノ流の「せつなさ」が完成された楽曲である。

 一時、歌を休止していたことから世間的には女優のイメージが強いが、実は歌手であることを第一としている。昨年には西村知美、森口博子との元アイドルユニットも結成したが、実は菊池桃子に打診していたと吉田は言う。

「残念ながら桃子さんが『もう人前で歌うのは無理だなあ』というお返事でしたので断念しました」

 ただし、今年5月4日、桃子の誕生日には2人だけのラジオ特番を実現させている。四十路を越えてなお輝きを失わない2人の番組名は「キラキラウーマン白書」であった──。


Posted on 2013年7月23日
86年の斉藤由貴と浅香唯(2)由貴には歌詞をきちんと伝えるような歌を作りたい
   
 長岡は由貴のデビューに「作詞・松本隆、作曲・筒美京平」という、これ以上ないゴールデンコンビを用意した。それも、ただ依頼しただけではなく、何度となく三者でミーティングを重ねたのだ。

「由貴さんがオーディションで歌った5曲を録音して、それを2人に聴いてもらったんです」

 松田聖子の「夏の扉」に「SWEET MEMORIES」、原田知世の「時をかける少女」、あみんの「待つわ」、そして中島みゆきの「悪女」だった。聴き終えて感想を求めると、松本と筒美の意見は一致した。

「あみんの『待つわ』が心に響いたというんです。彼女は歌声が澄んでいて、表情も豊かである。ジャンル分けではないが、それなら、歌詞をきちんと伝えるような歌を作ろうということになりました」

 本来は筒美の作曲が先ということが多いが、これに関しては松本の「詞先」とした。すでに「卒業」というタイトルは決まっていて、それなら彼女が通う高校はどんな風景か。桜並木があって、校庭はアスファルトではなく土のはずだ‥‥。こうした議論を重ね、松本隆一流の叙情的な世界が完成する。

「レコーディングでは筒美さんがサビの部分を追加したんです。当初は『卒業式で泣かないと‥‥』だったのを、その前に『ああ』と入れようと」

 せつなさが増幅され、今なお卒業ソングとして揺るぎない人気を誇るスタンダードになった。

 さらに長岡は、シングルでは5作目となる「悲しみよこんにちは」(86年3月)までを立て続けにレコーディングした。それは長岡の“戦略”であり、デビュー曲に自信があればこそ、2曲目以降を固定した路線にされたくないという判断だった。

「だから新曲を出すたび、いつも社内で『イメージが違うね』って言われましたね。どんな曲でも必ず言われるということは、展開としては楽しかった」

 最たる例が13作目の「夢の中へ」(89年4月)であろう。井上陽水の名曲を歌った唯一のカバーシングルであるが、大胆なアレンジや振り付けも功を奏し、最大のヒットを記録した。

 長岡はサビの「ウッフッフ~」の部分を、由貴がどのキーで、どう歌うかを聴きたかった。陽水の事務所に出向き、大胆なアレンジになることの了解を得た上での“冒険”だった。

 最初の出会いから30年近くが経つが、今も由貴の教会でのコンサートをプロデュースするなど、変わらぬ縁は続いている。

「由貴さんのライブは歌で癒されて、毒舌のMCで大笑いさせられるという独特のライブ。あの飄々としたマイペースさは、樹木希林さんと共通したものを感じます」

 初期の代表作「はね駒」では、母親役の樹木希林が芸術選奨文部大臣賞、由貴が文部大臣新人賞という“出会い”があったのだ。


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1 コメント

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更なる本歌取り (ときめき研究家)
2014-11-03 14:13:25
『話しかけたかった』から25年。NMB48の『オーマイガー』で、部活帰りのジャージ姿で彼に遭遇したけれど、「君らしくて好きさ」と言われるハッピーエンド。女が気にするほど男は女の格好を気にしていないという教訓です。
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