同感です。逆に、自分が苦労したことで、同じ苦労を若い人にさせようとする教員も世の中にはいますが大嫌いです https://t.co/1KsjwuRRxV
— masanorinaito (@masanorinaito) 2016, 2月 14
相変わらず、米帝が関わらないと極めてまっとうなお方だよなあとか。
それは冗談としても、テニュア職の位置を、なにか自分へのご褒美と思ってでもいる人々がいるようで、これははっきりと我々の敵である。
できうることなら滅ぼしたいくらいだが、まあヒラ教員では何事もできぬ。
が、若造どもを援助する手立てはあるものであり、まあ無職で、ようやく面接に呼び出されるにいたった後輩に旅費くらいは出してやるとか、ちまちまできることはあるのである。たかが5万程度だ。もちろん私費だが。そんな程度、我々がいただいている外部研究費の額に対して何事であろうか。
「ググっても出ない情報があることを体感で知っている」「必要な時にはググっても出ない情報にアクセスできる」というのが、恐らく21世紀の「知」の分水嶺だろうし、これを境に「知の格差」が広がっていくだろうなぁ、という予測はなんとなくしている。
— 日下春生(zsphere) (@faketaoist) 2016, 2月 8
我々の先生の先生の代では、コピーが(ほぼ)存在せず、いちいち電車かなにかであちこち出かけねばならなかった。
我々の先生の代では、外国留学は乾坤一擲、一生に一度だけの超希少な資源だった。
が、我々の先生の先生世代が学者として活動するようになったころには「ゼロックス」は既に十分に利用可能になっていた。
我々の先生の世代が学者として活動するようになったころには、海外出張はむしろ複数回すべきもの、当然すべきもの、と言う具合になってきた。
我々が学生だったころには、すでにインターネット等が発達していっていた。
新しい状況に対応しつつ―ということは気をつけておきたい。
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