「福島では○年後にこんな不幸なことが…」と、したり顔で予言ごっこをエンジョイしてきた人達、フランクにやってきたそれらが「呪い」であり「嫌がらせ」「人権侵害」「いじめ」だなんて、全然思っていなかったんでしょうね。
— 林 智裕 (@Nonbeekaeru) 2018年6月24日
だから、今月(!)になってもまだ平気で、選挙戦にそれを使ったりする。 https://t.co/gqqJdc9tZX
私としては、連中の没落を笑ってみている立場である。
まあ、この点も某老害のお気に召さない点であるだろうことは推測できる。福島・北関東の野菜を避けている、それは理性的な判断だ、となかば自慢げに(くりかえし)言ってたものなあ、あの老害。
そこらの野菜如き、どう考えても環境放射線水準なんであって、影響をうけようと思ったら物凄い努力が必要になるというのは―わかるはずだと思うんだがなあ。
しかしこの合理性は、彼らの合理性とは異なる基盤に立つのである、というそんな話を以下。
信じられるかい?
— 林 智裕 (@Nonbeekaeru) 2018年6月24日
福島では被曝で鼻血が出るだの、今日も福島では作業員が死んでいますだのというオカルトが選挙戦で使われ、そういう類を立憲民主党の公式 @CDP2017 が肯定的に拡散させ、意図を問い合わせても完全無視しているのが、2018年6月、今月起こったことなんだよ…?
どんだけ遅れてんの?
こういうこと書くと「野党を叩きたいだけ」「花角陣営だって色々とやってる」とか言われるけど、そうやって開き直る前に言うべきことあるでしょ?
— 林 智裕 (@Nonbeekaeru) 2018年6月25日
新潟県知事選挙は新潟県民のためのものなんだから、選挙自体にどうこうなんてのは全然無い。無関係な福島への偏見拡散されたことに抗議してるだけだよ。
それでも「彼ら」は、「反アベ」だけでは戦えず、といって各地域ごと個別のイシューを分析して戦うだけの研究調査コストを支払わない・支払えない以上、自派の統合の理念として低コストで利用できる便利なカードに依存せざるをえず、結果として原発問題を延々利用し続けることだろう。
関連:「支持率チェック:政権支持率回復(2018.06.24)(2018-06-25)」
【再掲】
— Ako (@heart8255) 2015年2月13日
たくさんの方に届けたい。産婦人科の室月先生のお話
「原発事故後の福島の先天異常率は全国と有意差なし」http://t.co/NBcBfo7XUi
もう一度。何回でも。
— Ako (@heart8255) 2018年6月24日
産婦人科医が、震災後にどれだけ悲痛な質問を受けているかを想像して下さい。
ネット上にまだ残る噂話や間違った情報は、きちんと無くさなければなりません。 https://t.co/TtALnskh7X
所詮あの程度の漏出では、放射線による健康被害を継続的に大規模に発生させるには足りないのである。概要が把握された最初から解っていた・予測できたことだ。
しかし「彼ら」はこのカードを使い続けることだろう。
「反アベ」カードを普遍性のある重要カードとみせるため、ナチスに言及してみたり民主主義の根本に関わるとか作文してみたりしてきた。一定の作文の効果はあり、「反アベこそ民主主義者たる証拠」と信じる者も発生したものと見える。少なくとも「反アベ」は結集軸のひとつとなった。
だが、「反アベ」カードの寿命は、明らかに短い。自民総裁任期をのばしたところであと数年。その前に体力が尽きる可能性もないではないし、そもそも面倒な持病もちだし、アンチ勢力も底堅いし。
そこで別の結集軸を設定しなければ政治勢力としての永続性をもてないところ、彼らにとって非常に幸いなことに、放射性物質は相当程度永続的なのである。放射能への恐怖も同様に永続的なのだ。
「反アベ」+「反ゲンパツ」は、こうして車の両輪として機能する。
すくなくともこれで数年間、機能してきた。
これでまず確実に議員になれる人々が存在し、利権ともなる。同志的結合は個々の支持者・運動家たちにたいへんな幸福感・自己肯定感…を与える重要な資源だ。こうした”有益”な資源は、受益者たちにとっては、保護すべき重要な「鉱山」である。
たとえていえば「鉱山」なのであり、してみると鉱滓も出ようというものだ。それは鉱山近くに放棄してしまえれば、受益者(この場合、しばしば都市住民)には害を及ぼさずに済む。この際、この「鉱山」は福島原発なのであり、そこをどう悪く言おうが福島以外のひとには直接の損害をあたえない―。
―まあそんなわけで、「彼ら」にとっては、”福島の放射能由来の健康被害”は永続的に発生してくれないと困るのである。そうでないと、「彼ら」の統合自体が危うくなる。そしてそれは何人かの生存に関わるのであり、「彼ら」は「彼ら」が生き残るため、その資源を福島を差別することで調達するのであり―それを「止めろ」というのは、「彼ら」に死ねというに近い。「彼ら」は、自分たち自身が死にたくないために他者を(この場合、福島の住民を)理念的に殺害しているわけなのだ。
「彼ら」にとっては合理的な生存戦略なのであり、止めさせようとしてもなかなかどうにかなるものでもない、という、そんな気付き。
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