私市正年『原理主義の終焉か ポスト・イスラーム主義論』(山川出版社「イスラームを知る 11」)
これ一冊読んで,それなりに自在に使えるようにするだけで事情通っぽくふるまえるはずなので超おススメ。
いや
私市正年『北アフリカ・イスラーム主義運動の歴史』(白水社,2004/11/25)
を読むのが正統派だと思うが,あんまりにも緊密な日本語で理解するのに困難を感じるので,ざっくり一般向けの本を読んでおくのが,費用と時間の効率の点で大変よい。
佐藤次高『イスラーム 知の営み』(山川出版社「イスラームを知る 1」)
森本一夫『聖なる家族 ムハンマド一族』(山川出版社「イスラームを知る 4」)
濱本真実『共生のイスラーム ロシアの正教徒とムスリム』(山川出版社「イスラームを知る 5」)
菅瀬晶子『新月の夜も十字架は輝く 中東のキリスト教徒』(山川出版社「イスラームを知る 6」)
山根聡『4億の少数派 南アジアのイスラーム』(山川出版社「イスラームを知る 8」)
横田貴之『原理主義の潮流』(山川出版社「イスラームを知る 10」)
小杉泰・長岡慎介『イスラーム銀行』(山川出版社「イスラームを知る 12」)
…というかこのシリーズを一通り読んでおくだけでえっらい話す内容が違ってくる。
概ね,東大出版会の「イスラーム地域研究叢書」のエッセンスのみ切り出し,多少アクチュアリティ足した感かと思われ,そーゆー意味でも費用と時間のこうり(ry
佐藤次高『イスラームの歴史1 イスラームの創始と展開』(山川出版社「宗教の世界史 11」)
小杉泰編『イスラームの歴史2 イスラームの拡大と変容』(山川出版社「宗教の世界史 12」)
いや精神の健康によくないので昨今の日本語報道のイスラム過激主義と西欧的価値との対立が云々とか全然チェックしてないのだが,ざっくりゆーて,概ね世論の大勢は西欧的価値をそれなりに(イスラム風味と地域性と民族性たっぷり含みつつ)受容してゆく方向にまあ,あり,他方そういう地域性を無視した(各個人の心のなかにしかないよーな)”清純なイスラーム”に忠誠を捧げるよーな人たちは少数派に転落,過激化し,世界各地のそーゆー人たちと連携して先鋭化を辿る―
―という見取り図で見るべきかと思われる今日この頃(※私市氏の論を個人的に咀嚼した結果の見解)。
実際,それ,この数年間のソマリアやらイラクやらを見ていた人には納得ゆくことかと思う。
ぐだぐだな世俗政治家たち・軍閥政治に疲れ果てた民衆は”しっかりしたイスラムの法学者さんたち”とかに政権をまかす。
所が彼らは現実を無視して「正しい」イスラムを展開する。具体的には聖者廟をぶち壊してみたり。スーフィーを否定してみたり。で,民衆は気付かざるを得ない―「彼らのイスラムと我々のイスラムって,違う」。
そこで地元の伝承伝統を反映した,より民族主義的・大衆的な運動がたちあらわれ,国際主義的過激極端主義と対立してゆく。
コスモポリタン的といえば聞こえがいいかもしれないが,アルカイダやal Shababの国際的メンバーたちは,現実に根ざしてきたイスラームと基本的には関係を持たず―真に大衆的基盤に立脚するのは困難なのだ。
まあ私は専門家でないので,上のは実証的な検討に基づいた結論ではなく,あまつさえ理論的基盤はまるっと借りものなわけですが。
これ一冊読んで,それなりに自在に使えるようにするだけで事情通っぽくふるまえるはずなので超おススメ。
いや
私市正年『北アフリカ・イスラーム主義運動の歴史』(白水社,2004/11/25)
を読むのが正統派だと思うが,あんまりにも緊密な日本語で理解するのに困難を感じるので,ざっくり一般向けの本を読んでおくのが,費用と時間の効率の点で大変よい。
佐藤次高『イスラーム 知の営み』(山川出版社「イスラームを知る 1」)
森本一夫『聖なる家族 ムハンマド一族』(山川出版社「イスラームを知る 4」)
濱本真実『共生のイスラーム ロシアの正教徒とムスリム』(山川出版社「イスラームを知る 5」)
菅瀬晶子『新月の夜も十字架は輝く 中東のキリスト教徒』(山川出版社「イスラームを知る 6」)
山根聡『4億の少数派 南アジアのイスラーム』(山川出版社「イスラームを知る 8」)
横田貴之『原理主義の潮流』(山川出版社「イスラームを知る 10」)
小杉泰・長岡慎介『イスラーム銀行』(山川出版社「イスラームを知る 12」)
…というかこのシリーズを一通り読んでおくだけでえっらい話す内容が違ってくる。
概ね,東大出版会の「イスラーム地域研究叢書」のエッセンスのみ切り出し,多少アクチュアリティ足した感かと思われ,そーゆー意味でも費用と時間のこうり(ry
佐藤次高『イスラームの歴史1 イスラームの創始と展開』(山川出版社「宗教の世界史 11」)
小杉泰編『イスラームの歴史2 イスラームの拡大と変容』(山川出版社「宗教の世界史 12」)
いや精神の健康によくないので昨今の日本語報道のイスラム過激主義と西欧的価値との対立が云々とか全然チェックしてないのだが,ざっくりゆーて,概ね世論の大勢は西欧的価値をそれなりに(イスラム風味と地域性と民族性たっぷり含みつつ)受容してゆく方向にまあ,あり,他方そういう地域性を無視した(各個人の心のなかにしかないよーな)”清純なイスラーム”に忠誠を捧げるよーな人たちは少数派に転落,過激化し,世界各地のそーゆー人たちと連携して先鋭化を辿る―
―という見取り図で見るべきかと思われる今日この頃(※私市氏の論を個人的に咀嚼した結果の見解)。
実際,それ,この数年間のソマリアやらイラクやらを見ていた人には納得ゆくことかと思う。
ぐだぐだな世俗政治家たち・軍閥政治に疲れ果てた民衆は”しっかりしたイスラムの法学者さんたち”とかに政権をまかす。
所が彼らは現実を無視して「正しい」イスラムを展開する。具体的には聖者廟をぶち壊してみたり。スーフィーを否定してみたり。で,民衆は気付かざるを得ない―「彼らのイスラムと我々のイスラムって,違う」。
そこで地元の伝承伝統を反映した,より民族主義的・大衆的な運動がたちあらわれ,国際主義的過激極端主義と対立してゆく。
コスモポリタン的といえば聞こえがいいかもしれないが,アルカイダやal Shababの国際的メンバーたちは,現実に根ざしてきたイスラームと基本的には関係を持たず―真に大衆的基盤に立脚するのは困難なのだ。
まあ私は専門家でないので,上のは実証的な検討に基づいた結論ではなく,あまつさえ理論的基盤はまるっと借りものなわけですが。
中二病をこじらせた学生のしつけに疲れ
じつとJRECINをみる
はなし
ながい
まあまだ死にそうにないことが確認できたのでよし。
”仕事を引き継いでくれ”とか年賀状にコメントがあって,すわこれは,と心配はしていたのである。
まー,聞く人は聞いてますけどね。1-2割かなあ。寝てる子・おしゃべりして聞いてない子は,将来,『だってがっこうのせんせいはおしえてくれなかったもん』とか言うのかなあ。