浅野や井手口落として香川や本田やケガの乾を入れる電通代表、「多少実績ある若手が調子落とせば年配の実績をこそ高く評価(スポンサーのコネ含む)」という感じである意味日本のダークな部分を代表するところではある。なんかこう虚しい
— 増田聡 (@smasuda) 2018年5月31日
他意はない。私としては自分が「多少実績ある若手」だったこと、また「多少実績ある若手」だった同僚が「調子落と」したときの明暗を思い起こし、またさらに年配へと近づきつつある昨今、「年配の実績をこそ高く評価」することの是非、しかし「スポンサーのコネ」は私には皆無だなあとか思いつつ、メモ。
天下りに席を奪われて若い時に常勤職につく機会を奪われた若手研究者を、生涯にわたって苦しめた天下りあっせん次官をもてはやす出版社は、後に価値を生む金の卵を潰してるんだよ。若手研究者と編集者とどっちが路頭に迷うか。編集者が路頭に迷えばいい。 https://t.co/imiGiy5bF0
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) 2018年5月31日
池内先生の、地獄の底から響き渡るような怨嗟の声―と読めるのはこちらの都合ではある。そんな怨嗟の声の主体たちをあまりに多数、知っているがための読み込みである。いやまあ池内先生のほうが私より数多くそうした人々を知っているためにこういう発言にもなるんだろうが。
憲法が禁じるあからさまな職業での差別はいけない。ノーベル賞を取る人は、外科医として失格の烙印を押されようとも、たとえ地方の小規模研究所へ左遷されようとも、取る人は取る。その程度の輩と地位を争い、負けたら人生終わりでは、お話しにならんなあ、と思う。 https://t.co/INSkO6Lp3E
— ginga (@ginga_station) 2018年5月31日
発言中に既に大矛盾がある。問題は「その程度の輩」をもてはやしたり、研究者ポストを浪費させたりするところにある。「機会費用」とでも言えばいい。
また、あからさまに国家政策と矛盾する。
昔の大天才は、社会制度―身分制―の圧力に負けずに遂には大業績を挙げたものだったろう。しかし今は四民平等の世界であり、しかもおおむね世界中そうなっており、一定程度の確率で発生する天才素質保有者を身分・出身によらずピックアップし教育を施すことで、できるだけ効率的かつシステマティックに天才を確保するという体制になっている。
そのため、
1) 「その程度の輩」(である名望家出身のひと)をもてはやし、特別なポストを用意すると、その分、平民出身から選抜された者のポストが減る
2) 「その程度の輩」が教育ポストにつくことで次世代への教育の水準がさがる
結果として
1') 実行可能だった研究プロジェクト等が実施されず、または実施時期が遅れて、その分、他国に対して劣位となってゆく
2') 次世代の教育が劣化することで、現在現役世代の国内での相対的優位はより強化されるが、それに対して他国に対して国家総体としてのパワーは劣位となってゆく
こうしたわけで、国家単位で言えばとにかく総力を挙げるべき、ということになり
天下り叩きは職業差別そのもの。官僚の中には間違いなく優れた人物はいる。ようは、品性下劣低能な官僚が天下るから問題になるのであって、そうでない、国家に有用な人物が活用されないのは、社会の損失だ。
— ginga (@ginga_station) 2018年5月31日
―優秀な官僚を、その能力を多様に展開してもらうため、「天下り」の形式で大学教授になってもらうなどというコースは当然あるべきだ。イギリス的だが。しかし某元文科次官殿のやりようは、高級官僚であるがゆえに天下りできるシステムの温存というところにあったというわけで、当然批判されるべきなわけだ。これに対する歴代の怨念は相当なものと言うべきだろう。しかも問題となった天下りシステムは、上級の指揮・指導に反してあえて保持されたものとのことで、刑法的な国家反逆罪ではもちろんないだろうが、倫理的には国家に対する反逆―しかも私利私欲による―と評価されかねまい(だから勇退の格好で退職させられたと聞く)。それを一般論で切り伏せたつもりになっているのは問題の所在を理解していないというべきだろう。
大学にいるからわかるけど、本当に優れた研究者というのは、全く金に困ってない。どこからでもお金はついてくるのだ。それに、中村修二氏や田中耕一氏のように民間企業でも歴史に残る業績は出せる。国に金を出せ、とふんぞり返っている者に限って、だいたい自分は努力していない。
— ginga (@ginga_station) 2018年5月31日
そりゃ
基礎研究にはバラマキが必要というのは目標も見えていない・これから何をするかわからない若者に手厚い基礎配分を保障すべきだという意味で、十年査読論文書いてないとか四十過ぎて単著もない年寄りに小遣い配れって意味じゃないから(にこやかに)。(なお基準は分野ごとに適宜修正してください)
— Takehiro OHYA (@takehiroohya) 2016年10月4日
ということであって、それらも若手の怨嗟の対象である。「無能は去れ」というのであり、「能力を活用せよ」というのであって、「ようは、品性下劣低能な」者をそもそもポストにつけるなということである。まあ某元文科次官殿にはポストはないものと思われ、その点ではよかった。
他方、まだ何者ともつかない若僧どもというのは、有能かも無能かもわからず、品性が下劣かどうかもまあわからない。ポストについた瞬間、研究も何もやめてしまって、ただ馬齢を重ねるだけかもしれない。それくらいなら有能なことが明らかな天下り人を―という選択がありえることも否定できない。だが―
研究業界も、天下りも、全く分かっていない人のコメント。若手研究者が天下りと地位を争うことなどできない。有無を言わさず、予算と権限で押し付けてくる。取られた給料分若手数人分を切る。「負けたら人生終わりでは話にならん」などと書いたあなたは、大きな憎しみを買っていますよ。当然です。 https://t.co/eWY7GuFEBv
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) 2018年5月31日
―とまあ、システムを動かすほうであることを便利に使ってシステマティックにやってくるのであって。
若手に、戦う力も方法もそうそうないのである。
それとも、研究力は有力学術賞受賞級、政治力は30年上の中央官庁生え抜きの高級官僚がシステムで押してくるのに対して伍するほど、資金調達力は当然、並みの教授など問題にならない高さ―でないとそもそも生き残れない状況がお好みだろうか―というわけなのだ。つうかそこまで有能だったら起業でもして自分の研究所でもつくるわな。
経験則から、このアカウントは私の議論を読ませても一切成長しないタイプなので、第三者に晒してからブロックしておいた。 https://t.co/4cnSxemg6u
— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) 2018年5月31日
…最近、私はこういう厳しい態度もアリかなあと思えてきた。
貧乏人の子弟も文系学部に行って文系の勉強ができたのが「戦後教育」で,文系学部を出た貧乏人がちゃんと就職できたし運がよければ学者になれたりした,そういう時代が終わろうとしているのラジよね。
— PsycheRadio (@marxindo) 2018年5月31日
…うん…。
でまあ、「大学教授」という肩書きを合理的に入手しようと思えば
一部の学生はそのチート方法を知っているので、文科省でキャリア官僚として20年ほど勤めて、その間に官費留学でコースワークの修士を取得しつつ、いずれ京都の私大に教授(教育行政学)として天下りしたい、って言うんだよね。
— skrnmr (@skrnmr) 2018年6月1日
…まあ、こうなりますよね。
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