空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

漫画家が漫画アニメ表現規制問題に関わるのは表現の自由の矮小化・簒奪というものかどうか。

2020-10-28 13:14:29 | ノート


 これに対して



 この異論は、どうも意味が分からない。




 ここまで来ると「ひどすぎて呆れ」る理由も、まあ、わかる。だが、赤松氏は何よりもまず、その作品がアニメ化されること屡々の漫画家であって、その立場からしてまずは漫画・アニメの表現の自由賛成と規制への反対を中心領域とすること、まあ当然ではないか。

表現の自由とは万人のすべての表現を対象とするのが原則」なので、さしあたり自分の領域に適用してみて考えてみた―行動している―というのは、あきれるほどの愚劣さを示すものだろうか。「「漫画アニメ好き」と「表現規制しようという考え」は排他的なもの」という見解を明らかに表明したものであろうか、赤松氏の言は。

「俺が好きなものはエライ人も好きなんだ。だからこれは立派なもので、お国がお墨付きをくれるのだ」という事大主義の極まりの発想」を示すもの―と読み取る可能性は開かれているだろうが―延々長期にわたって国家権力を担う人々にアクションをかけていって、最近ようやく、社会情勢の変化もあって「ご理解」を獲得できるようになってきた―わけだろう、これを事大主義の極まりと評するのなら、およそ社会運動は権力者の理解を得た時点で事大主義として否定されざるを得なくなり、社会運動はひとつたりとも事大主義をのがれることができなくなろう。まあ革命を除く、という条件は入れてもいいだろうけど。

 ―ああ、つまり。
 赤松氏は普遍的人権の一部を保障保護する運動をしていたわけだ。
 それが現行の権力者集団の一部に気に入られて、それが事大主義にほかならぬというなら。
 薬害エイズでもなんでもいいが、そうした社会運動が政権与党に取り上げられるところになり、結果として国会で救済の法案が通った場合。それは普遍的人権を保障保護するものとは評価し得ず、権力者に阿った事大主義という評価になっちまうわけでしょうが―あるいは、薬害エイズ被害者が薬害エイズ補償を要求するのは普遍的人権への意識が足りない・存在しない、理想なき現実主義と評価することになりましょうが―
 ―なんぼなんでもひどくねえか、それ。



理想なき現実主義は、単に「長いものに巻かれる」ことにしかなりません」―赤松氏を理想なき者と評価するわけだろう。だから長いもの=権力者に巻かれるものにしかならぬという訳だろうが―



 ―流石にこれは手痛い批判と言わざるを得ないのではないか。
 墨東~氏の言い様は、こう…30~50年前から変わらぬ典型的な「現状に対する問題提起」の韻を踏んでいる感があり、大変安定感があるが、それゆえにこその限界を露呈するものでもあるかなあと、そんな感想。

 …まあその。赤松氏は、ただチョイエロ萌えな感じの漫画描いてるだけで超大金持ちになって社会的名誉もなにもなんぼでも好き勝手買い取れる立場を手に入れた人、という言い方もできる。そのうえでなお、めんどくさい、運動の組織化・指導なてことしているの―これ、どうかねえ、理想なき者の振る舞いと、さて言えるものかどうか。僕はかなーり無理があると思うんだ。その辺の妥当性を無視するのはよくないな。
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