●STAP細胞で疑義 理研とは
中日 2014年3月15日
ノーベル賞学者輩出 自然科学界をリード
「STAP細胞」研究論文をめぐる疑惑で14日、中心となった研究員が所属する独立行政法人・理化学研究所(理研)の野依(のより)良治理事長らが会見した。理研といえば、戦前から続く日本を代表する自然科学研究の殿堂だ。現理事長をはじめ、ノーベル賞受賞者たちも輩出してきた。それだけに問題の衝撃はひときわ大きい。 (白名正和)
画像 /原子核分裂の実験装置とともに記念撮影する理化学研究所のメンバーら。戦後、GHQにより解体された=仁科記念財団提供
理研は幅広い自然科学分野を網羅する総合的な研究機関だ。テーマは病気にかかるメカニズムと予防法の解明、スーパーコンピューター「京(けい)」による災害時の被害シミュレーションなど数多い。所属する研究者らは約3400人、2013年度の予算規模は844億円に上る。
歴史は大正時代にさかのぼる。1913(大正2)年、アドレナリンの発見者として知られる高峰譲吉氏が、米国視察後に科学研究所の設立を提唱。第一国立(現みずほ)銀行の頭取などを歴任した渋沢栄一氏ら財界人の寄付金などで、4年後に設立された。
後進資本主義国から脱して、欧米と肩を並べる国力を養おうと、独自の技術力を探求した。戦時中は物理学者の仁科芳雄氏が陸軍の要請を受け、原爆の製造開発に携わった。通称「ニ号研究」で理研構内でウラン濃縮を試みたが、完成できなかった仁科氏は広島の原爆投下時にも軍の問いに対し、この爆弾を初めて「原爆」と確認している。
敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は理研の存在を危険視し、仁科氏が開発したイオンを加速する実験装置「サイクロトロン」2基を東京湾に沈めた。さらに48年には理研を解散、株式会社に改組した。
しかし、58年に特殊法人として復活。再び多分野での研究を進めた。65年には量子電気力学での基礎的研究が認められて、所属する物理学者の朝永振一郎氏がノーベル物理学賞を受賞した。
戦前からの足跡をたどると、ビタミンを発見した鈴木梅太郎氏、地球物理学の草分けの寺田寅彦氏、人工雪を初めて発生させた中谷宇吉郎氏、中間子を発見してノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏ら、日本を代表する自然科学研究のスターを輩出している。
一方、理研は研究のみならず、事業も手がけた。鈴木氏の研究は後にビタミンAの商品化につながり、製造技術は「理研ビタミン」が受け継いだ。同社は現在乾燥ワカメ、ワカメスープなどの商品で、一般市民にもよく知られている。
「成果主義による影響」 懸念も
日本の自然科学界をリードしてきた理研。それだけに今回の問題は衝撃が大きい。ちなみに日本分子生物学会は、理研に厳正な対応を求める声明を出した。
同学会の理事である大阪大の篠原彰教授は「成果主義が理研を含めた学界にまん延している」と、根底的な背景を指摘する。
「論文が有名な科学誌に出れば、国や民間企業から研究費を取りやすくなる。医療関連の分野はその傾向が強い。目立った者勝ち、成果を出した者勝ちという今の学界の風潮に、理研も影響されている」
篠原教授は今回、理研の広報体制にも違和感を感じたという。研究員のかっぽう着姿がやたらに強調された。「過剰な露出だった。論文の内容を精査するべき組織が、売り込み役になっているように見えた」
篠原教授は事態をこう懸念した。「地味な研究には光が当てられず、目立つかどうかばかりが優先されがちだ。そうなれば、まじめな研究者たちは失望する。回り回って、人材の枯渇につながりかねない」
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