「♪小さい頃は神様がいて不思議に夢をかなえてくれた♪」
ユーミンは「やさしさに包まれたなら」でこう歌った。
「どこにでも神様はいて、奇跡はは毎日起こる」
こう考えるのはやおよろずの神を信じる日本人の考え方であって、絶対的な神を信じるカトリックの教えとは本質的に異なる。などと、この映画では文化の違いに基づく本質的に???なところがたくさんあって・・・そこが面白い。そして理解できない場面があるものの、ストーリーの進行には大きく関わってこないので、たとえ全然わからなくても困ることは無い。
オープニングは、懺悔室。
”I had 22 impure thoughts.”
”Oof!”
”I contemplated murder.”
”Murder?”
”Only in thought, Father,only in thought.”
おいおい、14歳の少年がいきなり殺人(murder)かい?と思って観ていたら、どうやら"murder"には、"masterbation(一人エッチ)”の意味があるようだ。敬虔なるカトリックの教えでは"masterbation"は「聖書の教えに反する罪」であるとし、全寮制の学校で児童に禁欲を強制する。しかし、この懺悔。小さい頃から、いろんな映画に出てくる懺悔のシーンを見るにつけ告悔する登場人物たちにあらぬ興味を覚えると同時に、もし自分が懺悔しなければならない時には何を言おうかとドキドキしながら見てたものだ。キリスト教じゃなくてよかったとつくづく思う。さもないと、ぼくは何度"murder"を告悔しなければならないのだろう・・・。
ラジオが告げる
"It's early in the game still. There are 10 runners tightly bunched...the winner will surely come from this group. There are all the usual suspects, and one surprising addition... runner 1-5-7. Let me see... Ralph Walker from Canada, age... 14?"
”レースはまだ序盤。10人のランナーが団子状態に。優勝者はきっとこの集団に。優勝候補者はすべてこの集団にいる・・・。ゼッケン157って誰?カナダのラルフ・ウォーカー 14歳?”
スポーツ実況のアナウンスは、いつも、試合を盛り立てる。(解説者は、お願いだから静かにしててね。)
レースの途中で、苦しくなったラルフが、心の中でつぶやくセリフ。そしてコーチが必死で応援する。
"Hail Mary, full of grace...Don't redline."
"You can do it, Ralph! You can do it, Ralph. You can do it, it'll be a miracle. Come on. Run, Walker... Run!"
”神様、もっとぼくを走らせて・・・(redlineには機械を故障点検のために使用中止にするという意味があるらしい。自分を機械に見立てて神様にお祈りしているのが興味深い)”
精神的に苦しくてどうしようもない時に、神であれなんであれ心の支えがあるってことは大切なことだと思う。
泳ぎに興味の無いラルフが、友達(唯一の?)を誘ってプールに行く時の言葉。
"My brother says you can see right inside the woman's change room from a certain angle. I need to see naked girls."
”ある場所から女性の更衣室が覗けるんだ。ぼく、裸を見たい”
男なら、だれでもそうDA YO NE。この後、その場所を偶然見つけ、女性の裸を覗いていて、しかも、プールの流水口が微妙な位置にあったためラルフは***しまう。それを目撃されて、ラルフは学校中の笑いものに・・・。ラルフも言っているが、そのためにプールの水を入れ替えるのは、いくらなんでもやりすぎDA YO NE。
コーチが奇跡がなんであるかラルフに説くシーン。・・・ってよくわからない部分。
"So, St. Francis, who had grown up very rich, left Assisi one last time,|this time decided to give away everything he had, even the clothes off his back. Soon thereafter, he performed the miracle of the stigmata. Juste like Christ, he bled."
"Do you need to be a saint?"
"What? Forwhat?"
"To produce a miracle."
ラルフは奇跡を起こすためには聖人であることが必要なのかどうか確かめている。これがこの映画の重要なポイントとなっている。キリスト教において、聖人という語は、神によって聖とされた信徒を指す。つまり、この時点で聖人ラルフ(原題より)は、自分が聖人からほど遠い存在であることを自覚している。
ニーチェが出てきて哲学的なお話。・・・わからん。
"The Anarchist and the Christian have a common origin." "Nietzsche wrote that. I think there's some truth to it, Father."
”ニーチェは「無神論者とクリスチャンの根っこは同じ」と書いた”とコーチが言う。”神父さん。ある意味真実と思いますが・・・”
ニーチェの記述について調べてみたが、上の引用がどういう意味なのか良く判らない。敬虔なクリスチャンも、本質的には神を信じてないってこと?
もう一つ、わからないところ。ラルフは尼さんになる決心をしたお気に入りの彼女にお祈りの仕方をコーチしてもらう。
"Why don't you try, uh,rubbing your knees with sandpaper until they bleed, and then kneeling down in a pan of alcohol to pray?"
"What grit paper?"
”どうして紙やすりで血がにじむまでひざをこすって、そしてアルコールの入った皿に膝まづいてお祈りしようとしないの?”
”紙やすり?”
ネットでいろいろ調べてみたが、アルコールの入った皿に膝まづいてお祈りするという記述を探せなかった。きっと、宗教上のいわれがあると思われるが、今のところ不明。
ラルフは奇跡について神父に訊ねている。
"Producing a miracle is possible?
"Flying to the Moon is possible, but it's never going to happen."
"Phew...I can see what you mean."
”奇跡を起こすのは可能?”
”月へ飛んでいくのは可能。しかし、普通の人は絶対にできない”
”言った意味はわかります・・・”
ここも、ポイント。敬虔な神父と言えども、神のなせる業である奇跡が起こるのを信じていないだ。
ラルフはコーチに反論する
"Your friend Nietzsche wrote, and I quote, "The Anarchist and the Christian often have a common origin." I'm trying to be both."
"That's not what Nietzsche meant!"
"I don't care."
このシーンは、奇跡を期待していることを口にしないと約束したにもかかわらず、ラルフがハーフマラソンで優勝した時に、新聞のインタビューで口にしてしまったことをコーチが叱責した時の会話。
”あなたの友達のニーチェが書いたものを引用したんだ。ぼくは無神論者とクリスチャンの両方になりたいんだ、”
”それはニーチェが書いた意味と違うぞ”
”構うもんか"
お祈りの仕方がわからないと言うラルフに、コーチはこう言う。
Most marathoners will tell you, around Mile 20, they start praying for any kind of help they can get.
”誰でもマラソンランナーは、20マイルも走ればで神に祈りをささげだすものなんだよ”
ぼくも、この時点で神に祈りをささげている・・・いったいこの文章はいつになったら終わるんだ・・・。
やっぱり、神様はいるんだろう。たとえ、それが無謀な挑戦であっても。ぼくには絶対無理な速度・・・2分46秒/km・・・で14歳の少年は、ボストンマラソンを駆け抜けて行ったのだった・・・。