スキーバスの中の蒸し暑さと窓の隙間から入ってくる冷気。眠れないリクライニングシートで、ぼくは曇った窓を拭いて暗い外の景色を眺めながら、MP3プレーヤーの音楽を聴いていた。「松居慶子 DEEP BLUE」。2001年5月に発表、8月にはビルボード誌のコンテンポラリー・ジャズ・チャートで1位にランクされたこのアルバムは、バブル経済崩壊後の空白の十年により生じた虚無感に苦しんでいた頃の孤独を癒してくれた一枚だった。特に、1曲目のアルバムタイトルにもなっているDeep Blueには泣かされた。この曲は地中海の青をイメージしたものという。心に残る美しいメロディが印象的な曲だ。いつもなら、スキーに出かける時は、ユーミンの「サーフ天国・スキー天国」がぼくの定番だった。1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」のオープニングで使われた曲。エンジンを掛け、スモールランプを点灯。おもむろにカセットを取り出し、カーステレオにセットする。さあ、出発だ。流れ出すイントロと同時に、カローラIIのリトラクタブル・ヘッドライトが開く。その当時は、この映画のオープニングに魅了されていた。何度見ても、あのスキーへ行く前の静かな興奮があますところなく伝わってくる。しかし、今回はいつもと違い、一人でスキーへ行くことを選択した。しかも、過去に1度しか経験のないスキーバスでの志賀高原へのアクセスだった。見知らぬ若者達に混ざってバスの中で一人という孤独な状況をいやすため、選んだアルバムの一つがこれだった。
途中、3時間ぐらいおきにトイレ休憩をはさみ、バスは志賀高原への道をひた走った。バスは、碓氷峠の途中でチェーン脱着するが、バスを停めてチェーンを巻いてスタートするのに2-3分しかかからない。ベテランらしいドライバーのその機敏さに感激した。碓氷峠といえば、定番の峠の釜めし「おぎのや」。長野新幹線ができて横川駅に停車することがなくなったため、駅で弁当を買い求めたのは過ぎ去った昔のこととなってしまった。益子焼のやや重い容器の思い出とともに、当時のことがフラッシュバックしてなつかしさがこみ上げてきた。おぎのやの前では、駐車場に入るバスが順番待ちのために渋滞していた。スキーバスの夜行便は、長野まで都内から高速がつながってアクセスが簡単になった今でも、こうして一部区間を一般道を通ることにより経費を節約しているようだ。横川のドライブインを出るとやがて軽井沢だ。窓の外に暗闇の中、車のライトを反射する白銀の世界が見える。空から大粒の雪が、風に舞いながら降っていて止みそうも無い。峠を抜けてバスが長野に入った時、ぼくはようやく疲れて眠りに入った。
気がつくと、夜が白々明けていた。一晩中風雪は続いたようで、朝の段階でもまだ雪止まず。 しかし、ちらほら青空も覗きはじめてどうやら天候は回復に向かいそうだった。早朝にバスの車窓からみた真っ白な雪景色。志賀の玄関口サンバレーの正面ゲレンデが目にはいると、今日は頑張るぞ~と気合いが入ってきた。
途中、3時間ぐらいおきにトイレ休憩をはさみ、バスは志賀高原への道をひた走った。バスは、碓氷峠の途中でチェーン脱着するが、バスを停めてチェーンを巻いてスタートするのに2-3分しかかからない。ベテランらしいドライバーのその機敏さに感激した。碓氷峠といえば、定番の峠の釜めし「おぎのや」。長野新幹線ができて横川駅に停車することがなくなったため、駅で弁当を買い求めたのは過ぎ去った昔のこととなってしまった。益子焼のやや重い容器の思い出とともに、当時のことがフラッシュバックしてなつかしさがこみ上げてきた。おぎのやの前では、駐車場に入るバスが順番待ちのために渋滞していた。スキーバスの夜行便は、長野まで都内から高速がつながってアクセスが簡単になった今でも、こうして一部区間を一般道を通ることにより経費を節約しているようだ。横川のドライブインを出るとやがて軽井沢だ。窓の外に暗闇の中、車のライトを反射する白銀の世界が見える。空から大粒の雪が、風に舞いながら降っていて止みそうも無い。峠を抜けてバスが長野に入った時、ぼくはようやく疲れて眠りに入った。
気がつくと、夜が白々明けていた。一晩中風雪は続いたようで、朝の段階でもまだ雪止まず。 しかし、ちらほら青空も覗きはじめてどうやら天候は回復に向かいそうだった。早朝にバスの車窓からみた真っ白な雪景色。志賀の玄関口サンバレーの正面ゲレンデが目にはいると、今日は頑張るぞ~と気合いが入ってきた。