高橋秀美氏の「はい、泳げません」には、クロールの歴史が書いてあった。
”私が学んでいるクロールは、もともと19世紀後半にイギリス人が開発したものである。フレデリック・カヴィルがオーストラリアの原住民からヒントをえた泳ぎがその原形とされている。産業革命以降、イギリス各地ではプールが建設され、スピードを競う賭けが行われていた。その中で、彼らは「より速く」を目指してクロール(原語は「虫が這う」腹這いで行く」の意)を発達させたのである”
「博徒のための外来泳法」。高橋秀美氏は、これがゆえに彼がなじめないのも当たり前と書いている。
彼は、プールで他の泳者が立てる波におぼれそうになるのを克服するため、桂コーチの水泳レッスンを休み、日本泳法を学び始める。
一方、桂コーチは、そんな高橋氏を暖かく見守っていた。
”こんなことわたしが言うのもなんだけど、レッスンを休むのは仕方ないと思う。急用もあるだろうし、本当は行きたくいないこともあると思う。水泳がイヤにならなければ、私は休んでもかまわないと思う。そのかわり、休んだ後は、来てほしい。わたしも、休んでいた人が久しぶりに来てくれるとすごくうれしい。この人、また泳ぎたくなったんだなって。あるいは、他のプールで泳いでいれば、それはそれでいいんです。”
桂コーチって言う人は、水泳選手引退後、大きな交通事故にあって、しばらく体がまったく動かせない状態になった。寝たきりを余儀なくされたのだが、彼女は激痛をこらえながらプールでリハビリを行った。
動けなくなって初めて、体を動かすことがどういうことなのかを体感した。彼女の教え方はスパルタだ。疲れてコースの途中で立ち上がると容赦なく叱咤の声が飛ぶ。
さて、叱咤なら、荒巻コーチは絶対に負けてはいない。
オレ、そんなコーチに出会えて幸せです。
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