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前々藩主蜂須賀重喜を父に持つ、超エリートの蜂須賀直孝は、なぜ人生を賭してまで阿波踊りに興じたのであろうか。
というのも、阿波踊りは、「樋脇武士踊り」や「麓武士踊り」、「黒田節(武士)踊り」などの武士たちが踊った、合し面打ち(二天技法)や手首固め(合気道)護身技法の型の入った踊りとは全く異なる田楽、念仏踊りの類だからだ。・・・エリート武士の踊りには似つかわしくない。。
当時の町民、藍や材木を扱う阿波商人の主な取引相手は、商売上手で金銭に厳しい大坂商人だ。徳島は、現在でも「大阪府徳島」といわれるほど、大阪との結びつきが深い商人の町。そして、阿波商人は、大坂商人と代々取引することで大阪の商売人哲学を叩き込まれてきた。
その藍商の一人、志摩利右衛門が藩の財政危機を救うため、財政方に登用される。事務かたとしての登用だが、財政改革の担当としてはエリートの直孝たちにも倹約のため締め付けざるを得ない。直孝たちは、バカにしていた商人の蓮舫ぢゃなくて利右衛門から、予算縮小のためのいらぬ小言を言われなければならなかったのだ。
・・・踊らにゃ損損。損得が物事すべての基準になる大阪商売人の哲学は、直孝ら阿波の武士たちにも影響を及ぼすことになる。
「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」
さて、ここからは全くの想像なのだが、直孝にはいつしかの阿波踊りの折に見初めた女性がいたのかもしれない。
というのも、使用人のお女中を雇えないほど経済的に困窮してはいなかった。だから、子ができなくてお家断絶の危機だったというわけでもなかろう・・・。
昔から「讃岐男に阿波女」といわれ、四国でも徳島の女性の評価は高い。もし、エリートの肩書を取り外した自分のすべてを受け入れてくれる女性に出会えたら、もうレールが敷かれた人生など関係ない。損得抜きで、すべてを捨ててでも相手を逃がさない。武士としての屈折したプライドだ。
そんな風に直孝は思っていたのかもしれない。あるいは、エリートが故に、名乗りだせない父親の存在を我が子に知らせるために踊ったのか。。
・・・そんな掌編を読んでみたいなあ。阿波ロマンスじゃきに。
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