今月のコーヒーはケニア。アフリカ最高峰のキリマンジャロに次ぐ高い山ケニア山(標高5,202m)の山麓で収穫されたアラビカコーヒーだ。
ケニア山の名は、マサイ族やキクユ族のキリニャガ(Kirinyaga):神の山という言葉からきている。この山の頂上にはンガイ (Ngai) と呼ばれる神が黄金の玉座に座っているという言い伝えがある。
山域にあるレナナ(Lenana, 4,985 m)のピーク。このレナナ峰は第二次世界大戦中に3人のイタリア人によって初登頂されている。
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Felice Benuzzi(フェリーチェ・ベネッチ)は、戦争捕虜としての毎日に飽き飽きしていた31歳のイタリアの若者だった。
エチオピア(1941年)。英国が東アフリカで植民地の帝国を構築するというムッソリーニの野心を打ち砕いた時、ベネッチは、エチオピアの首都アディスアベバに配置されていた。
彼は、何千もの他のイタリア人と共に、ケニア山のふもとの捕虜収容所に捕えられ、衰弱しながら戦争の終わりを待つだけの、絶望的に退屈な隔離された捕虜生活を余儀なくされていた。
「単調な生活を打ち破るため・・・」、彼は手記を残している。
「再び危険を冒すしかなかった」・・・と。
アフリカの奥地にある捕虜収容所では、中立国へ逃げるのは不可能だった。
「俺は、恐ろしくこっけいなこの人生を終わりにしようと考えた。俺は外に出て、ケニア山に登り、ここに戻ってくる」
彼の書いた”No Picnic on Mount Kenya”は、勇気とユーモアに満ちた物語だ。
彼は6か月間、捕虜仲間2人と、秘密裡に食料を集め、衣類、靴およびテントを裁縫し、ピッケルとアイゼンを作るため屑鉄拾いをする。
・・・収容所から脱走した後、野生動物(象やサイ)、飢餓、寒さ、および、アフリカで最も挑戦的な登山など多くの危険や困難が押し寄せるのだが、彼らはものともしない。
ケニア山のレナナ峰に人類初登頂し、手製のフラグを掲げた彼らは、また悲惨な捕虜収容所に戻ってくる。彼らにとって、つかの間の自由が終わるのは全然構わなかった。野蛮な戦争に直面し、人のあるべき姿を問うために・・・彼らは山に登った。
9月のしえと。そんなケニアのコーヒーがおいしい。
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