tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

晩鐘の鳴る里(7)

2007-09-11 20:13:52 | 日記

気が付けば二人は、神社の境内に来ていた。
「ねぇ、タツヤ」
久美子は境内の端にある鐘楼台に登る階段に腰をかける。それにならいタツヤも久美子の隣に腰をかけた。久美子のそばは、いつも石鹸のようないい匂いがすることを思い出していた。
すっかり大人になった久美子とこうして並んで座るのは、照れくさいようなヘンな気持ちだった。

「タツヤ。なんで、あそこであんな大きな金魚をねらったのよ?」
「さあな。取れそうな気がしたのかな。ってか、とれそうな金魚は、いい加減とり尽くしてたし」
久美子は、タツヤがあの場面で大きな金魚をねらったのがどうにも理解できないようだった。
「ひょっとして、手加減した?」
「まさか。でも、情けは人のためならずっていうからなあ」
「なによ、それ。わざと負けたってこと?」
「いや、金魚屋のオヤジが、なんとなく、かわいそうになって・・・・・・」
翻訳の仕事をしていると、逆説的に日本語を正しく理解し表現する能力が必要となる。そんなんで、久美子は、言葉を大切にしているようだった。
「タツヤ、それ、ことわざの意味取り違えてる」
「なんで?徳を積めば自分に返ってくるって意味だろう?もう、金魚すくいの時に充分に久美子の胸の谷間を楽しんだし」
「・・・・・・なによ。えっち!」
言うがはやいか、久美子がタツヤをぶつ。が、中学校からの習慣で、女の子が良くやるように甘えるように軽くぶつんではなく、久美子は左ストレートを出してくる。
タツヤには、ボクシングの真似をして出してくる久美子のパンチが充分に見えていた。だが、同時に、その久美子の左手の薬指に銀のリングをしているのに気付いた。<こんなにかわいいし、高校生の頃は男からもててたから、指輪をしてても別におかしくはない・・・・・・>。そう思う一方で、タツヤは久美子がいつの間にか遠い世界に行ってしまったような気がして、心が苦しくなった。タツヤは久美子の軽く握ったこぶしが顔面を捉えるその瞬間まで、左手の薬指に付けられたその指輪を見続けていた。というよりも、当る寸前で見切ってよけようと上体をかわしたつもりで、体はぜんぜん動いてなかった。
「痛てえ。なにもグーで殴らなくても。目にあたったぞお」
タツヤは目を押さえて、両方の膝小僧の間に頭を落とした。

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晩鐘の鳴る里(6)

2007-09-10 20:01:45 | 日記
タツヤは金魚すくいの鉄則を無視して、あえて元気のいい一番大きな出目金をねらった。
紙に水圧がかからないようにポイを斜めに入れるが、体の大きなその出目金はすばやい身のこなしで逃げていく。ポイを進行方向に対して真横にして、その大きな出目金をコーナーにゆるゆると追い詰める。そしてその出目金を包囲するようにポイとおわんを配置した。半分ほど水面に潜らせたおわんに、出目金を周りの水ごとおわんの中に追い込む作戦だ。が、出目金の泳ぎはさらにその上を行くものだった。 体を半分おわんに入れたように見せて、次の瞬間、目当ての出目金はあざ笑うように、身を翻すとポイをやぶって水槽の広い中央へ泳ぎ去っていった。
「ああ、やっぱりだめかあ」
「おしかったわね」
今の戦いの一部始終を見ていた久美子が、タツヤを慰めた。2人の後ろを取り巻いていたやじ馬達からも、思わず落胆のため息がもれた。
「もうちょっとだったのになあ・・・・・・」
結局、2人で合計62匹。すくった金魚をいくつものポリ袋に入れてもらって2人は店を出た。

Carpenters - Yesterday Once More (Karaoke) </object>
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晩鐘の鳴る里(5)

2007-09-09 18:59:06 | 日記

「いよいよ、本格的に始めたんだ。徹夜仕事だな、大変だろ」
「出版モノなんかの翻訳は、出版社の売上に大きく関わるから有名翻訳家じゃないと仕事がもらえないのよ。私に依頼が来るのは、日本語のマニュアルの簡単な翻訳。中学生でもできちゃうかも」
そういって、久美子はエヘヘと笑った。彼女がそうやって笑うときは、嘘をついてる時だ。きっと辛いのだろう。目のまわりには、かすかにクマが浮き出していて、睡眠が充分にとれていないような印象を受ける。翻訳は英語の能力はもちろんだが、それを違和感のない日本語に翻訳するためにも日本語を正しく理解し表現する能力が必要不可欠だ。また、学術的な論文を担当する場合は専門用語について詳しくなければ翻訳は難しい。きっと、負けず嫌いの彼女は、1人で必死で頑張っているのだろう。だからタツヤは何も聞かず、そうかと頷いた。

結局、久美子のポイは34匹目をすくったところで破けた。金魚すくいのオヤジは、ほっとしたように息をついて、次の煙草に火をつけた。
水槽に残っている金魚は、元気良く泳ぎまわっているたくさんの小さな金魚たちと、それに混ざって数匹のかなり大きめの金魚や小さめのコイなどいわゆる『紙破り』と呼ばれるものだった。これらの大きめの金魚やコイは、金魚すくいの初心者たちのポイをやぶるために仕込まれたワナだ。金魚すくいの鉄則の第1番目は、<決して、こいつら見栄えの良い大物を狙ってはいけない>である。狙うは小さめの表面近くを漂う金魚のみだ。表面近くに上がってきている金魚は酸欠であっぷあっぷしている状態で、早い話が弱っている。 数をすくいたいのなら、弱っている金魚をねらうのが鉄則だ。ちなみに、金魚すくいの鉄則2は、ポイを水に漬けるときはいっきに全面をつける。鉄則3は、金魚を追いかけない。鉄則4は、ポイの表(おもて)面を使ってすくうである。


松任谷由実 - 晩夏
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晩鐘の鳴る里(4)

2007-09-08 18:49:57 | 日記
「私ね、仕事始めたの。翻訳の仕事」
こんな田舎の町でも、都会に本社を置く翻訳会社などと契約すればフリーとして働けるようだ。E-メールを活用して仕事の請負を行っているらしく、パソコンがないとどうにもならないらしい。収入は、原稿用紙1枚あたりいくらという出来高制と彼女は言う。
以前、タツヤの携帯に夜、久美子から電話が突然かかってきて驚いたことがあった。当時は、アルバイトで翻訳の仕事をしていて、訳せない部分があって困ってしまったとのことだった。
「機構の説明などで、『アームAは紙面と直交方向に動く』のような言い回しがよくでてくるでしょ。これを英文でどう表現するの?」
久美子が調べた範囲では、『電界に直交』とか『支柱Bに直角』というのはあったが、『紙面に対して~』というのは探しても見つからなかったらしい。
「”The arm A moves in the direction orthogonal to the plane of the illustration.”って訳したけど、合ってる?」
電話口で、久美子は泣きそうになりながら聞いてくる。たかがバイトなのに、そこまで真剣にやる久美子が彼女らしいといえばそれまでだが、相変わらずだなとタツヤは思った。
たまたま、国際会議で研究発表を予定していて、似たような表現を用いた資料をパワーポイントで作ったことをタツヤは思い出していた。たしか、教授にセリフをチェックしてもらって、表現を直してもらったはずだ。
資料を探してみたら、”The lengths of fiber lie perpendicular to the plane of the sheet.”と書いてある。
だから、『紙面に対して直角』は、
<”The arm A moves in the direction perpendicular to this figure of this paper.”でOKじゃねえか>
と久美子に伝えた。電話の向こうの彼女はすごく喜んでいた。だが、それでも翻訳はまだ半分も終わっていないようだった。
<いつも徹夜になる>と、そのとき久美子が言ったのを思い出していた。

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晩鐘の鳴る里(3)

2007-09-07 20:08:02 | 日記
「元気?」
タツヤの背中をつっ突くと同時に、その懐かしい声は、前触れもなく後ろから降ってきた。振り返ると、そこには懐かしい笑顔があった。
「あれ、久美子!?」
ジーンズに白のシャツを着た幼馴染の姿を見つけ、振り返ったタツヤは顔をほころばせた。彼女の<元気?>のたった一言で、久しぶりの田舎で一人ぼっちという疎外感が急速に融けて行った。タツヤは、まるでここに住んでいた当時にタイムスリップしたような気がした。
「おばさんがここだって言うから・・・・・・。タツヤは全然変わってないわね。いつ帰ってきたの?」
頭の上に2個、髪の毛で団子をつくった久美子の目が、彼を見つめて笑っている。雑踏のなかで、彼女のいる場所だけが明るく輝いて見えた。彼女の引き込まれてしまいそうな大きな黒目がちの目は、小さい頃から全く変わっていない。
「ん……あぁ。……昨日」
「どう?向こうは。たまには連絡をよこしなさいよ」
矢継ぎ早に繰り出される質問や、報告。本当に何も変わっていないとタツヤは苦笑する。
鵜澤久美子。家が近所でしかも同級生。小さい頃はいつも一緒に遊んでいた。タツヤのファースト・キスの相手は中学1年生の時、久美子が相手だった。
<ファーストキスはレモンの味> 
当時、タツヤはなにかの雑誌で読んだこのセリフの真偽をどうしても確かめたかった。けれども、確かめるには実践が必要だ。しかし、すぐに実践できるくらいなら初めから悩む必要もない。いろいろ考えて、試す相手は久美子にしようと決めた。なぜかは説明できないものの、他の女子と比べて久美子は、すごく清潔だと思ったからだ。というよりも、当時、タツヤが女性として意識することができたのは、ごくわずかなの芸能人と久美子だけだった。それ以外のオンナは、彼にとって女性ではなかったのだ。
しかし、いざとなると、なかなか言い出せなかった。ある日の放課後、誰もいない校舎の裏庭に偶然に通りかかった久美子を捕まえて、思い切って<目をつぶって>と頼み込んだ。制服を着た久美子は<なにか、プレゼントでももらえるの?>となんの疑問も持たずに素直に目をつぶった。おそるおそる、顔を近づけてかすかに唇が触れた瞬間に、自分に何をされたのか気がつき、怒った久美子のパンチが飛んできた。パンチはまともに鼻柱にあたって、タツヤはハデに鼻血を出した。
ちなみにタツヤは、その後も、久美子をわざと怒らせるようなことを何度もしたが、彼女のパンチが当ったのはこの時が最初で最後だった。彼は中学校に入学するや剣道部に入部して、生育がよいとは言え女の子のパンチならば、かるく、上半身を捻ってかわせるぐらいの反射神経を身につけていたのだ。いくら、久美子が真剣にパンチを出してきても、まったくかすりさえしなかった。それも、今となれば、青春時代の甘く切ない思い出だった。
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