前回の観心寺参拝で『楠木正成公』の物語は終わりましたが、楠公史跡はまだ先へと続きます。桜井駅で父:正成公に諭され、一人故郷に帰った『楠木正行(くすのきまさつら)』は、やがて長じて亡き父の遺志を継ぎます。湊川の戦から12年。「四條畷の戦い」が足利尊氏の家臣・高師直(こう の もろなお)との間に始まりました。
大阪府四條畷市南野に鎮座される「四條畷神社」。御祭神は『楠木正行公』、『楠木一族の将士24柱』を配祀。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社。
創立「明治天皇の思召により、明治二十二年別格官幣社に列格仰下され翌年鎮座。 楠正行公は楠正成公の嫡男であり、正成公の大楠公に対して、小楠公と申し上げる。 卿は延元元年 ( 1336 ) 湊川へ出陣せられる父君と、桜井の駅にて訣別されたが、時に御年十一歳、爾来母君に孝養を尽くして臥薪嘗胆読書練武に励み、報恩の至情を奉げた。 天平二年 ( 1347 ) 十二月、後村上天皇に拝謁、国難に殉せん事を誓い、如意輪堂の扉に鏃 ( やじり ) をもって決死の和歌を遺された。 翌年正月、敵将高師直の軍勢八幡を発し河内に至るや、正行卿一族は寡兵、よくこれを迎え撃ち、獅子奮迅せられたが、満身に槍を受け遂に殉節せられた。時に御年二十二歳の青年であった。 この正義に燃えたる小楠公の事蹟と吉野朝史の一齣は、四条畷に長く留められ万古に変わらぬ。 飯盛山は青少年の徳義掲揚を叫び、老松は史蹟を語っている。」境内由緒より
鳥居を潜った先、まっすぐに伸びる石段に一瞬たじろぎながらも、ここまで来てまさか引き返すなんて・・・杖代わりの御亭主殿を待つことにします。
登りきった石段の先、〆柱の左右より神域を守護されるのは、豊かな体を低く構えた見事な毛並みの狛犬さん一対。この子たちに会えた時点で足の痛みは遠のきました(^^;)
拝殿の正面に建つ神明鳥居は、鎮座百年にあたり伊勢神宮より贈られたもの。伊勢に奉られるのは皇祖神・天照大神。その社より鳥居を贈られる・・・ その事を思えば南朝の正当性を訴えた楠公父子の思いは、見事、叶ったとも言えるのではないでしょうか。
「境内社:御妣(みおや)神社」「正行公御母堂を祀る。 正成公なき後、正行公を始め御兄弟を国家の忠臣として育てあげられた。賢母の誉高く、女性の鑑、子育ての大神として祀られる。」由緒碑より
『楠木正行』の母君が祀られる本殿。屍となって眠る地は別々であっても、神となられた御霊は、いつも共に在る事でしょう。
「境内社:有源招魂社」「飯盛山の東峰に霊妙な有源山があります。 かつてその所に成人教学研修所があり、内外古今の先哲先人の御霊が合祀されて研修諸生の崇敬の的でありました。 過般、当四条畷神社境内に新しく神殿を奉建、2007年4月7日有源招魂社と称して御鎮座になりました。」案内より
御祭神:碑
「桜井の別れ像」、刻まれた文字は「忠考両全」・・忠と孝は本質的に同じものであるから、孝行が完全ならば忠義も全うできるの意です。
四條畷市推薦名木の楠の根元に「楠公慰霊塔」。豊中の山林で偶然に発見された古い塔で、1991年にこの地に移設されたとの事。
四条畷の戦を前にした『楠木正行』は、吉野で『後醍醐天皇』の廟を拝したのち、如意輪寺の本堂の板壁に、一族143名の名を留め、やじりを用いて辞世の句を残したと伝えられています。
【 返らじと かねて思えば 梓弓 無き数に入る 名をぞ留むる 】
河内飯盛山の山頂には「楠木正行像」があるそうですが、さすがにそんな体力はありません。
明治時代に作詞された鉄道唱歌「関西・参宮・南海篇」より
四條畷に仰ぎ見る 小楠公の宮どころ
ながれも清き菊水の 旗風いまも香らせて
心の花も桜井の 父の遺訓を身にしめて
引きは返さぬ武士の 戦死のあとは此土地よ
参拝日:2008年6月7日
もとは「櫻山招魂場」として、高杉晋作らにより元治元年(1864)に建立されたものであったとか。
この「櫻山招魂場」が日本初の招魂社となった事も、この時始めて知りました。
御霊を慰める為の拠り所として立ち上げられた招魂社が、国を護る護国の御社となった経緯・・
まだまだ勉強不足で知らないことばかりです。
それだけにほんの些細な事でも自分の目で、耳で知った事実は奥が深く、気持ちが高揚します。
でもこの御方に関しては主人も異議を唱えないので
心おきなく思いのたけを綴っていられます。
国を想う人の誠が報われるには
まだまだ人も時も未成熟なのだと思います。
固い青い実が熟すには、長い年月が必要なのかもしれません。
でもいつか花を咲かせる事を信じましょうよ!
国事に殉じた人の魂を招いて祀ったところで、各地にあり、招魂場と呼ばれてそうです。
招魂社と改めたのは、明治政府だったのですね。幕末に亡くなった人を祀った神社を「招魂社」、幕末以前の人を祀ったのは「護国寺」として整理したと説明されていました。
幕末の志士を祀った全国の招魂社が、「東京招魂社」にまとめられ、「靖国神社」になったという説明ですが、楠公の神社も「招魂社」としてあるのですから、この説明も十分でないことを教えられました。
私も歴史を学び直そうと思います。奥深くて、気持ちが鎮まります。
tibinekoさんは楠公が大好きだから、やっぱりこのシリーズは読んでいて、楽しいです。😊
息子さんも神として祀られていたとは。
昔の人はほいほい、人まで神さまにして祀るので、
すこし羨ましいです。
わたしは安倍さんもそう祀られて良いと思っているのですよ。
ぜひ、日の本の鎮守の神の一柱として鎮座していただきたい。
個人的な意見ですけどね😅
安倍さん憎しの風潮を別としても、
今の日本人の感性だとなかなか人を神として祀るとは
ならないでしょうから、
一人ひっそり、残念に思っています。
他に楠木公ゆかりのどんな話が出てくるか、
楽しみにしています。
どうぞ心豊かな4月をお過ごしください😊