旧東伯郡関金町(せきがねちょう)は大山の東麓、蒜山三山の北麓に位置した町です。町名は関金温泉に因んでおり、温泉名は明治10年(1877)に合併した金谷村・湯関宿の合成地名から名付けられました。「町の花:ツツジ」を制定。
約1300年前に開かれた山陰屈指の古湯として知られる「関金温泉」、その無色透明無味無臭のお湯は、古くから「白金(しろがね)の湯」と呼ばれ、日本名湯100選にも選ばれています。(国道313号線「湯の関トンネル」壁画)
明治22年(1889)、町村制の施行により久米郡矢送村・南谷村・山守村が発足。
1896年、郡制の施行により、河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。
1953年、矢送村・南谷村・山守村が合併、東伯郡関金町が発足。
2005年、倉吉市に編入、倉吉市関金町となりました。
集排マンホールには、町章を中心に、全体に「町の花:ツツジ」が描かれています。
昭和37年3月23日制定の町章は「三角形で三か村の合併と、共に等しく発展することを意味し、中央の円形は円満なる融和を示し、飛鳥の形をしているのは勇飛する町の姿を表す。中央の突起は山を表し、伸びゆく町を表徴。全体で町の頭文字である「セ」を図案化している。」合併協議会資料より
国道313号を通る「湯の関トンネル」壁画「関の地蔵」。
古くから関金温泉で「関の地蔵」と呼ばれてきた、国指定重要文化財「木造地蔵菩薩半跏像」
道の駅「犬挟(いぬばさり)」は、関金町と岡山県の境「犬挟峠」にある道の駅。鳥取県倉吉市と岡山県真庭市が共同で運営する、全国でも珍しい道の駅です。「犬挟」の由来については諸説あり、神代の昔、日本武尊が西国平定のため国境の矢筈ヶ山(やはずがせん)から「この矢のとどく限りの的すべて従え」と言って矢を討ったところ、これが峠にささった事から 「矢ばささり」⇒「犬挟」となった。道の駅の方にお聞きしたお答えは、犬も通れないほど狭い道だったから。ロマンを求めるなら前説、真実らしさを求めるなら後説かな(笑)
倉吉を後にして岡山方面に帰る折、この道の駅で車中泊をさせて頂きました。思わず買い過ぎてしまうほど新鮮な野菜が豊富で、近くには美味しい湧き水もあり、また同じ方面に帰るお仲間とも偶然ご一緒になり、ゆっくりと休むことが出来ました。
車中泊をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。
改めてその折には、本当に有難うございました
撮影日:2012年4月22日
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