岩国市横山、吉香公園の一画に不思議な存在感を見せつける「岩国徴古館 (いわくにちょうこかん)」。
正式名称は「岩国市立博物館岩国徴古館」。昭和15年(1940)に吉川報效会の理事会で設立が可決。岩国藩藩主:吉川経健の弟の吉川重吉が「郷土に図書館と博物館を」という兄の遺志を実現したものと伝えられており、太平洋戦争中の昭和17年(1942)に起工し。終戦直前の昭和20年(1945)3月に竣工。陸軍燃焼廠治療所、図書館としての一時利用を経て、昭和25年(1950)に開館。翌年に岩国市に寄贈されました。
設計は早稲田大学教授の『佐藤武夫』。フランスの新古典主義建築型で、戦争中は灯火管制があったため、天窓から自然光を採用。戦時中の建築と言う事で、構造体はレンガ造りですが、不足する鉄に替えて竹を用いた「竹筋コンクリート」が使われたといいます。
建物正面の玄関に並ぶ角柱・・、もしかしたら足を踏み入れた瞬間にそれぞれ全く知らない未知の空間に繋がっているのかもしれない。そんな不思議な錯覚を覚えて館内に入れば、そこはまた別の異空間に続くかのごとく、錦帯橋をモチーフにした半円の通路。
妄想を振り払い💦早速、館内の展示品を拝見することに。展示内容は多岐に渡り、吉川家ゆかりの文書、歴史資料、美術工芸品等々・・・
特に興味を惹いたのは「錦帯橋コーナー」、この美しい錦帯橋の絵画が置かれているのは、昭和25年(1950)にキジア台風で流失した当時の錦帯橋の欄干。
「錦帯橋の一部材」は、見取り図の赤い印の部分に使われていたもの。
精巧に作られた1/150の模型
最後は勤王の志士の方々の中でも何故か常に贔屓してしまう(笑)「高杉晋作:遊撃軍激励の詩」
建物の前庭は牡丹園となっており、例年4月末~5月はじめには色とりどりの牡丹を愛でる事が出来ます。おりよく一度目の訪問は四月後半。
生憎の空模様でしたが、それでも大輪の牡丹は馥郁と香り、岩国の旅に更なる彩を添えてくれました。
牡丹園の奥に見える碑は「神武正統記念碑」。
「神武正統記念碑:片山家の祖である久安は、豊臣家の剣術師範を勤め、慶長15年には後陽成天皇に居合の技を披露し、伯耆守の官位を任じられた。元和元年に岩国に移り住み、その後吉川家の剣術師範を歴代勤めた。片山家の来歴が記されたこの碑は明治25年(1982)に八大片山武助が建立したものである」現地案内
まるで堅固な要塞を思わせるこの建物は、1998年1月に国の登録有形文化財に登録されました。また2020年7月7日には、DOCOMOMO japan主催の「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」の一つにも選定されたそうです。
訪問日:2013年4月20日&2015年11月19日
時代が下った戦時中と言われれば???となるけどモチーフが錦帯橋となればなるほど。
福沢諭吉の婿養子で戦前「電力王」と呼ばれた福沢桃介がアールヌーボーを好み彼の手掛けた発電所で特徴的なアールが多々見られます。
実は5月にその一つを見学しておりそのうちアップできるかと?(そのうちっていつや??)笑
桃介ゆかりの発電所というと
南木曽町の「読書発電所」でしょうか
2014年の6月
桃介橋や福沢桃介記念館、
それに外観だけですが読書発電所等を見てきました
https://blog.goo.ne.jp/tibinekosan/e/b86474c98b483dca7f55069a8525d699
遠目から見ただけのダム、
外観だけでも素敵だった記念会内部
記事のアップ、楽しみに待っています😊
白蛇も、徴古館も初めて知りました。正面の角柱前に立つtononeko殿と、アーチ型の通路に立つtibinekoさんも、何となく威厳がありますね。
吉川公の子孫という人が、会社の後輩にいたのを思い出しました。高校時代の一年後輩なので、この人は私を「先輩」と呼んでいました。
名前は「吉川元○」と言い、吉川家の人が代々つける「元」という字が使われていました。
男らしい気っ風の良い人物で、家柄が良いせいもあり、早く偉くなって役員になりました。役員になっても、私のことを「先輩」と言っていました。
もう亡くなってしまい、会うこともありせんが、徴古館を寄贈した吉川氏の説明を読み、ついつい思い出しました。
あなたのブログは、不思議な博物館ですね。
館内に流れる時間は
ともすれば忘れてしまいがちな遠い過去の姿を垣間見せてくれました。
その時々に都合のよい歴史を創作する為に書を燃やし、建造物を破壊するような国もありますが・・
日本という国の来し方、歴史を物語るものが 大切に残されていることに感動します。