旧石川郡鳥越村(とりごえむら)は石川県の南部、手取川の流域に位置した村です。
加賀の一向衆徒が中心となった「一向一揆」の里として知られており、毎年六月に開催される「一向一揆まつり」が有名です。「村の木:杉」「村の花:笹百合」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により能美郡別宮村・河野村・吉原村が発足。
1907年、別宮村、河野村、吉原村が合併、能美郡鳥越村が発足。
1949年、白峰村、尾口村と共に石川郡に編入。
2005年、松任市、石川郡美川町、鶴来町、河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村が新設合併、白山市となりました。
マンホールには「村の花:笹ユリ」が、村章を中心にデザインされています。
昭和46年4月1日制定の村章は、「村名の頭文字「と」を飛鳥のイメージに図案化し、村の融和・平和・団結を表わすと共に、産業・分化・ 村勢の雄飛発展を象徴したものです。」HPより
出合町に有る「道の駅:一向一揆の里」に併設された「鳥越一向一揆歴史館」。建物の前には、白山麓山内惣庄の旗本で鳥越城主『鈴木出羽守』と、その娘『二曲(ふとげ)姫』の顔出し。
道の駅の記念スタンプに描かれた、鎌を武器に変えた険しい表情の人たち。「一向一揆」とは、簡単に言えば本願寺門徒(一向衆徒)が中心となった国人や農民による集団の呼称。「一揆」とは彼らによる集団行動を指し、 特に、幕府・守護・領主などに反抗して、地侍・農民・信徒らが団結して起こした戦を指します。ところが現代においては、何故かこの「一揆」のみが独り歩きをし、百姓一揆に代表されるような、お上の詐取に抵抗する暴動そのものを表す言葉となりました。
室町・戦国時代に近畿・北陸・東海地方に、一向衆の僧侶、門徒や、名主・地侍が連合して守護大名・荘園領主と戦い、 加賀一揆のように一国を支配したものもありました。一世紀にも及んだ加賀一向宗徒による一揆は、天正八年(1680)に石山本願寺が降伏した事で鎮圧されてゆき、これによって各地に形成されていた「一向一揆」も解体されました。
撮影日:2015年10月21日
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