美濃市(みのし)は岐阜県のほぼ中央、中濃地方に位置する市です。東西南は関市・北は郡上市に隣接。市域の80%以上が山林で、標高は南部の市街地では100m程ですが北へ行くほど高くなり、今淵ヶ岳、瓢ヶ岳、矢坪ヶ岳など、標高1000mを超える山がそびえています。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の功によりこの地を拝領した『金森長近』は、長良川畔に小倉山城を築城。長良川に上有知湊(こうずちみなと)を開き、経済の発展を目指しました。その後、元和元年に尾張藩領となるも、上有知湊は和紙を中心とした船運による物資集散の拠点として経済活動が進み、商業都市として繁栄していきます。
市街地には、江戸時代から明治・大正時代の歴史的建造物が建ち並ぶ「うだつの上がる町並み」があり、1999年5月13日に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。「市の木:カエデ」「市の花:梅」を制定。
キャッチフレーズは「和紙とうだつのまち 住みたいまち 訪れたいまち 美濃市」
1889年(明治22年)、 町村制の施行により武儀郡上有知(こうずち)町・洲原谷(すはらだに)村・上牧村・ 大矢田村・藍見村・中有知村・長瀬村・片知(かたじ)村・蕨生(わらび)村・神洞(かんぼら)村が発足。
1891年、武儀郡洲原谷村が「洲原村」に改称。
1897年、武儀郡長瀬村・片知村・蕨生村・神洞村が合併、武儀郡下牧村となる。
1911年、武儀郡上有知町が美濃紙にちなんで「美濃町」と改名。
1954年、武儀郡美濃町、洲原村、下牧村、上牧村、大矢田村、藍見村、中有知村が合併、美濃市となる。
マンホールには「うだつ」を中心に、周囲に美濃紙で作った美濃祭りの「花みこし」がデザインされています。
美濃市長良川右岸浄化センター展示マンホール(担当者の方、その節には無理なお願いに快く応じて頂き、有難うございました。)
市章と「市の木:カエデ」。周囲には美濃紙で作った美濃祭りの「花みこし」がデザインされています。
美濃市長良川右岸浄化センター展示マンホール
集落排水のマンホールには、中央に市章と、それを取り囲むように清流を泳ぐ2匹のアユがデザインされています。
昭和29年(1954)4月1日制定の市章は「「美濃(三の)」を図案化したものです。市章の「の」の字を亀甲形にしたのは、市の市街地が亀甲形をなした高台にあるため、慶長のころから「亀野」と呼ばれていたことにちなんだものです。」公式HPより
和紙とうだつで有名な岐阜県美濃市のイメージキャラクター『うだつくん』。「うだつのあがらない」の語源となった防火壁「うだつ」を頭に乗せて美濃市のPRに励んでいます。『うだつくん』の頭に触ると「うだつが上がる」そうですよ。
旧中部電力社章のマンホール
胸に中部電力「C」のマークを付けた旧中部電力キャラクター。今は『カテエネコ』にすっかり主役の座を奪われてしまい、名前さえ不明😔
撮影日:2010年11月28日&2012年5月21日&2018年10月12日
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2010年の車泊旅では美濃市曽代にある「道の駅・美濃にわか茶屋」で車泊をさせて頂きました。かなり遅い時間でしたが随分と沢山の車が並んでおり、寂しさとは無縁の夜でした。 車泊のお礼代りのお買い物は翌朝に。テント下の大きな台の上にお菓子が一杯ならんでいてついつい目移りしながら気が付けばカゴ一杯・・・😅 ご亭主殿からは、お土産で配るにしても多すぎるだろうと突っ込まれながらも、カゴの中身を死守した私と友人。こんな時の女子の結束は岩よりも固いのです😍
車で旅をする者にとってこうした施設は、本当に有難く大切な場所です。改めて、その節は有難うございました。🙏🙏🙏
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