日野郡日野町(ひのちょう)は鳥取県西南部に位置し、岡山県と境を接する町です。戦国時代には尼子・ 毛利両氏の戦場となり、徳川時代初期には、関長門守が黒坂に城下町を形成。藩政時代には、福田氏による自分手政治が行われ、新田開発などによる農業の生産拡大がはかられました。また、山砂鉄の採取とたたら製鉄は、明治時代に近代製鉄が台頭するまでこの地域の重要な産業として発展してきました。「町の木:杉」「町の花:ツツジ」「町の鳥:おしどり」を制定。
キャッチフレーズは「おしどりの住むまち」
木造の古い駅舎が郷愁をそそるJR西日本伯備線「根雨(ねう)駅」
明治22年(1889)、町村制の施行により日野郡菅福村・黒坂村・渡村・安井村・根雨村・ 真住村が発足。
1913年、渡村・安井村が合併、日野郡日野村が発足。黒坂村・菅福村が合併、改めて日野郡黒坂村が発足。 根雨村・真住村が合併、日野郡根雨町が発足。
1936年、黒坂村が町制を施行、日野郡黒坂町となる。
1953年、根雨町と日野村が合併、日野郡根雨町が発足。
1959年、根雨町と黒坂町が合併、日野郡日野町が発足。現在に苛ります。
マンホールには町章と、「町の鳥:オシドリ」「町の花:ツツジ」、「大山の山並」が描かれています。
「鵜の池公園」カラーパネル
昭和35年(1960)4月30日制定の町章は「日野町の「ヒノ」を図案化。鳥は鳥取県を表し、翼は躍進、円は町民の協調を意味し、町の限りなき前進と発展を象徴します。」公式HPより
日野町金持地区に鎮座する「金持神社」カラーパネル
撮影日:2012年4月22日
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一口メモ
「自分手政治(じぶんてせいじ)」、江戸時代、鳥取藩が藩内統治の一環として家老職にある家に藩内の重要な拠点の町を委任統治させたこと。 「自分政治」ともいい、 寛永9年(1632)8月、国替えで岡山から池田光仲が鳥取城へ移った年から実施され、明治2年(1869)に廃止されるまで約240年間続いた。
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