今日「岡山日日新聞社」が破産を申し立て、今日付けで「日日新聞」は廃刊となった
今日夕刊紙である「岡山日日新聞」(=「オカニチ」)が届けられて驚いた。「いつまでもつか」と聞いたこともあったが、まさかの破産申し立て、そして廃刊だ。
私にとっての「オカニチ」は、エース記者N部長の存在だ。私が現役時代には市政記者室に在籍されておられ、いつも市役所内を回って、ネタを探し出されていた。その取材方法は秀逸だった。私の席の横に座って「雑談」をされる。取材を意識させず、いわゆる日常会話をされるので、ついついしゃべってしまうこともあった。
そうして集められた情報を集約し、それにN部長の問題意識を加えると、特ダネとなる。N記者の書かれる記事は、いつも読者を引きつける豊かな記事だった。とてもお世話になった、私の尊敬する記者の一人だ。
今日の「廃刊」の報道を受けて、N記部長電話させてもらった。身分的には解雇となるようだ。寂しい限りである。優秀なN記者のことだから次なる職場・活躍の場はあると思うが、私的にはこれからもペンを片手に仕事をして欲しいと願う。心からの感謝を伝えた。
ともあれ、私の誕生日から約40日後に誕生した「岡山日日新聞」(1946年5月1日創刊、出発は「夕刊岡山」)。その廃刊はとても寂しいし、残念に思う。
「円。MARU」ですき焼き丼を食べながら、少し辛い仕事のことなどを語り合った
一昨日から、何だかお肉ばかり食べていることになった。私は脂ものが大好きだが、お肉はそんなに好きというわけではない。ステーキよりも鯖の味噌煮が嬉しいし、肉じゃがが好きだ。
その鯖の味噌煮や肉じゃがの作り方について、先の畠瀬本店の店主さんからお借りした「料理本」には、とても詳しく書かれている。一ヶ月の期限でお借りしているので、早く身につけなければと思っている。
話がずいぶんと逸れたが、昨日のお昼は「円。MARU」ですき焼き丼を食べた。私が親しくしていただいている方はまだ現役で働かれており、昨日はその仕事が話題となった。
私のように前期高齢者の仲間入りをした身の者にとっては、現役で働かれている方は羨ましい限りだ。ただ、働いている方は、早く「毎日が日曜日」の身になりたいと語られる。
昨日お話した方以外にも現役で働いている方々は、口癖のようにシンドイを連発される。今、どこの会社・職場も、少しだけ軋んでいるみたいだ。
ともあれ、少しだけ辛い仕事現場のことを話題として語り合った。現役で働いている方とお話しすることで、元気をいただける。ありがたいことだ。それにしても、もう11月も半ば。まちには、クリスマスがあふれている。
昨夜はシルヴィ・ギエムの「ボレロ」は三回目だが酔いしれた、熱い夜を過ごした
モーリス・ベジャール振り付けの「ボレロ」。それをシルヴィ・ギエムが踊る。「魅了される」、とはギエムの「ボレロ」のためにあるような言葉だ。
その「ボレロ」を、ギエムが封印したのは2005年。その後、ベジャール追悼公演でただ一度だけ踊っただけ。その「ボレロ」を、ギエムは3・11の悲報を受けて復活させた。ギエムは「HOPE JAPAN」と題するチャリティ・ガラをパリで開催すると共に、日本公演を実現させている。そのギエムの日本公演は「シルヴィ・ギエム on stage 2011 HOPE JAPANと名付けられている。その倉敷公演に昨日行った。
ギエムの「ボレロ」は、今回で三回目だ。前回は「封印する」そのラストステージということで観に行った。その意味では、裏切られた感もないではないが、「HOPE JAPAN」ツアーの趣旨に鑑みて、今回が見納めと思って観に行った。
今回の公演では、ギエムはソロで「TWO」「ルナ」を踊り、ラストが圧巻の「ボレロ」だった。「ボレロ」を踊り終えたギエムに、ほぼ満席の観客はスタンディグオベーションで讃えた。まさに圧巻、魅了された。
ただ、このギエムのソロと「ボレロ」に挟まれて上演されたのが、過日トークを聞かせてもらった上野水香の「詩人の恋」(振り付け・モーリス・ベジャール)だ。ラストの「ボレロ」の圧倒的な感動に見過ごされがちだが、上野水香も素晴らしかった。
ところで、この日は少し早めに倉敷に着き、夜の美観地区を散策した。立冬を過ぎて夜は少し寒かったが、明かりに照らされた夜の美観地区の美しさに心は温かかった。そして、見納めのギエムの「ボレロ」で、心はさらに熱く燃えた。ステキな夜を過ごした。