地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

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墓場まで

2011年11月12日 | 読書

  

『花過ぎ 井上靖覚え書き』を読んで不快感、公表せずに墓場まで持って行くべき

 富良野に何度か行ったが、旭川空港で降りたのは、タッタ一度きりだ。岡山空港から羽田経由で旭川へ飛んだ。その際に、井上靖記念館が旭川に〈あることを知った。旭川は、井上靖の出生地とのことだ。

 井上靖〈1907(明治40)年~1991(平成3)年〉は、1950年に「闘牛」で芥川賞を受賞し、『氷壁』『あすなろ物語』『しろばんば』や歴史小説で知られる大作家だ。

 過日、その井上靖とひととき同じ時間を生きた白神喜美子の書いた『花過ぎ 井上靖覚え書き』(平成5年、紅書房刊)の存在を知り、いつものように借りて読んだ。図書館は、こうした本まで所蔵しているのだと改めて教えられもした。

 さて『花過ぎ』は1946(昭和21)年の出会いから、1961(昭和36)年の別れまでを書いている。芥川賞を受賞した「闘牛」執筆の経過や受賞時の喜びなど、身近にいた者の筆であり詳しく書かれており、井上靖を知る上では興味深い。

 ただ、こうした二人の世界は、私の常識では「墓場まで待っていくこと」べきだと考える。二人で共に過ごした濃密な時間は、決して公表すべきことではないと言えよう。

 このことは、大塚英子著『「暗室」のなかで 吉行淳之介と私が隠れた深い穴』(河出書房新社刊)を読んだ際にも感じた不快感だ。

 因みに、以前にも書いたが、本に帯のないのは図書館から借りた本であり、帯があるのはほとんどが私の所蔵だ(時に古本屋で帯のないのを買った場合もある)。そして、吉行淳之介に関してはその著作はもちろん、死後に出版された吉行淳之介に関わっての様々な本も購入して読んだ。その中に、大塚英子の吉行淳之介に関した二冊の本も入っているという訳だ。

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『海に墓標を』

2011年11月12日 | 読書

 

中元輝夫著『海に墓標を』、66年歳月を経て海上で戦死した父に慰霊の花束に感動

 若い頃から存じ上げている中元輝夫さんが、『海に墓標を 父の最期の地 ベトナムへ』(文芸社刊)を出版された。いつもは図書館で借りて読むのだが、早速購入して読んだ。

 中元さんのお父様は36歳で出征し、昭和19年に「比島方面ニテ戦闘ニ於イテ戦死ス」との一文と、「白木の箱の中に入った黒い炭のような物と石ころ」が帰ってきたとのことだ。

 そして、その後様々なご縁に導かれて、お父様の亡くなったのがベトナム沖に沈んだ「音羽山丸」ということを突き止め、ベトナム政府の協力も得て、慰霊の船を出して、海底に沈むであろうお父様のために、ベトナム政府が用意してくれた花束と観音様を捧げたとのことだ。

 父が戦死し、その後を追うように母も死んだ後に、中元少年は兄弟とともに生活のために日々働く姿は心を打つ。「8人家族の大黒柱だった父は、国の命令で戦地に送り込まれ、遠い異郷で最期を遂げた。そしてまた、父を失った母が力尽きて倒れ、遺児たちは厳しい労働と困窮に耐えなければならなかった」と書いている。

 ところで、「比島方面ニテ死ス」との戦死公報がとどけられる2ヵ月も前に、国は正確な戦死の状況を確認していたとのことだ。しかし、今日に至るまで、事実は遺族に伝えられなかったとのことだ。中元さんは、こうも書いている。「それが日本という国の戦後処理の実態、犠牲を強いた国民に対する国の責任の取り方の実態である」と。

 この中元輝夫さんの『海に墓標を』には感動した。涙なしには読めなかったし、怒りが湧いてもきた。この本はお父様とお母様へのオマージュであり、見事な自分史でもある。

 私は終戦後に北朝鮮で生まれ、乳飲み子を抱えて我が両親は昼は隠れ夜歩いて、何とか帰国し私たちを育ててくれた。もしも両親が私たち兄弟を手放していれば私は生存していないか、北朝鮮残留孤児となっていた。両親に感謝の意味でも、そんな引き揚げの記録だけでも書き残しておきたいと思うが、既に両親は鬼籍に入っている。悔しい限りだ。

 その意味でも、中元さんは大変な苦労の中で正確な「戦死」されたであろう場所を突き止め、お父様の最後の地で慰霊祭を開催し、かつその記録を本として出版されるなど、素晴らしい親孝行をされたと心からの拍手を送る。

 ところで、この『海に墓標を』の表紙の絵は、中元さん同様に私も存じ上げている画家の西節子さんだ。素晴らしい作品で、まさに本の内容にぴったりで感動したことも書き添えておきたい。

コメント (2)
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